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重症妊娠悪阻での入院を経て、キャリアについて考えた
猛暑の中通院を始めたあの頃から、気が付けばダウンを着る季節になっていました。臨月まで働けるものだと思っていたら、仕事を辞める決断をしていました。
特に妊娠出産の話をするつもりはなかったのですが、難しい話だな…と思い書いてみました。(ですので、これからは特に妊娠出産について何かを発信することはないかもしれません。以下に書いていますが、不安感が強いためです)
ここでは、そんな私の妊娠初期のトラブルと、心境の変化をまとめます。体調が万全ではない時期に書いたもののため、拙い部分があるかと思いますがご理解ください。
あくまでも私が経験したこと/経験ベースで思ったこと、を自由に書きます。ただ、私が仕事を辞める決断をするのはかなり難しく、今の制度だけで救われない人もいるという妊婦さんのキャリアに関する問題について伝わると嬉しいです。(私も解決策は明確にはわからないので、議論していきたい。)
妊娠するまでの私
私は23歳、新卒の歳でした。もう遠い昔のように感じますが、4月には新卒入社をしました。
高校時代から起業したり、色んなスタートアップでインターンさせてもらったり、楽しく働かせてもらっていました。海外にある起業家のシェアハウスにいたこともあったり、好きなように夢を追って過ごしていました。新卒で入社したのも約一年半ほどインターンさせてもらっていた会社で、本当に素敵な会社でした。
その後、どうしても自分の幅を広げたい、別職種に就きたいという気持ちがあり過去に働いていたスタートアップに転職しました。小さなオフィスでみんなで働くのが大好きだったし、挑戦したことのない業務を任せてもらえるのはかなり大きかったです。
というふうに、私は仕事が好きでたくさん働いていました。また起業したいという気持ちもあったし、色んな会社でお世話になる過程で出会う素敵な上司の方々に憧れを抱き、早く追いつきたいと思ったり、同世代の優秀な方に出会い私もやらなくてはと思ったりと、常に前に前に進みたいというような日々でした。良くも悪くも、行動力と好奇心はあるが、運が良いからなんとかしてもらえてきたというふうにも思います。きっと上手く大人になる方法を急いで探しているというような若者だと思います。
ライフプランについては、結婚、出産、子育てと仕事のタイミングって難しくない…?どうするの…?というのを私も考えるようになっていました。まあやるときはなんとかやれるでしょ、くらいに思っていました。今となっては身の回りにそれぞれ経験された方がいないので、どれだけ考えても机上の空論やただの理想であり、具体的なイメージなんてできなかったのだろう、と思います。
東京都の卵子凍結助成金の説明会にも参加し、将来の妊娠に備えようともしていました。
仕事もライフプランも、大切にしたいと思っていたからです。
つわりが始まった
妊娠に気づいて本当にすぐ、なんとなく気持ち悪さが出てくるようになりました。うーん、あまり動きたくない、でも動ける、くらいからのスタート。
しかしだんだんと酷くなり、夫の予約してくれたご飯にも行けなくなったり、思うように生活ができなくなっていきました。とにかく気持ち悪くて、動けなくなっていきました。
そして気付けば、外に出られなくなり、毎日寝たきり生活。近所のコンビニにも歩いて行けない。
出産経験のある女性からは、つわりがあっても働けていた、その方が気が紛れると聞くこともあったので、なんとかベッドから這い出してPCと向き合っていました。臨月まで働けるものだと思っていたので、気軽に休むことが難しかったのです。しかし吐き気に苦しみながらPCを開き続ける私を見た夫から、「もう休んだ方がいい」と言われ、そこから仕事も休みました。
それからは、なんで私は働けないんだろう…甘えてるのかな…人よりも弱いのかなあ…と、毎日苦しかったです。少しでも早く復帰したいという気持ちが強く、会社の方はとても優しく休ませていただいていたのに、勝手に焦りのようなものを感じていました。
自分が弱いから、甘えてるから、動けない。動いて!と自分を責めることも多くありました。それでも、どんなに動こうとしても、それ以上身体は動きませんでした。Amazonで物を買うという行為も、頭を働かせられなくてできないし、お風呂に入りたくても脱衣所で吐き気を催してトイレに戻って…という生活を送っていました。声を出すのも辛く、伝えたいことを思うように伝えられないのも苦しかったです。
そんな辛い期間、赤ちゃんはすごく小さく、心拍確認や手足が見えるか、など赤ちゃんの成長に不安なことがたくさんありました。その不安もあれば、自分の体調が上手くいかないということもあり、とても苦しかったです。
私の場合は夫がとにかく支えてくれていました。食べられない時期も、「食べられるものがあったら食べて!」とたくさんフルーツや飲み物を買ってきてくれたり、毎日のように「何かいる?」と連絡してくれていました。
特に、嘔吐恐怖症のような感じだったので、とにかく吐きたくなくて我慢することもありましたが、段々我慢もできなくなり、よく戻すようになりました。精神的なショックもありましたが、私が戻してしまった時にしてほしいこと(トイレには入ってきてほしくないけど、お水は置いて欲しいなど)をすり合わせていたので、心がとても楽でした。
それに、トイレから出てきた後も、「おいで」とソファに私を座らせてくれていました。ああ、この人の前で吐いちゃっても嫌われないんだ…という安心感がとにかく大きかったです。
彼に負担をかけたと思いますが、今となっては一緒にいてくれたことが本当に大きな助けになっていました。
1回目の入院
ちょっとまずいかも…?と思い始めた日、重症妊娠悪阻で入院をすることになりました。
ある日、りんごを齧って吐いてしまい、変だなあと思いながら過ごしていると、再度寝る前に吐いて、どうしたものかと思いながらりんごジュースを飲むと、それも吐いてしまった日がありました。
水分をすぐに吐くようになると点滴、と聞いていたので、夫に翌日病院に連れて行ってもらうことになりました。
この時私は、つわりが酷いと言われるレベルになったのかー、ついにそこまできたのか、くらいにしか思っていませんでした。
産婦人科に行くと、これは良くない。脱水。ということで点滴のできる病院へ紹介状を書いてもらうことになったのですが、私が里帰り出産を検討していたこともあり分娩先が東京にありませんでした。当日受け付けてくれる大きな病院というものがなかなかなく、どこか診てくれるところはないかと先生に探していただいているうちに私の体調が突然悪化しました。
視界が悪くなり、世界が黒と黄色に見えて、耳が聞こえなくなってきて、なんだか身体が重くなっていく。目の前の机を叩いて、看護師さんを呼ばないといけないけど、なぜか身体も動かない。声も出ない。怖い怖い助けて助けてと、身体の中で叫んでいるうちに、偶然看護師さんが気づいてくれました。
息も苦しくなり、手は痺れ始め、急遽点滴の処置をしてもらいました。本当にもうダメかもしれないと思い、夫に慌てて電話して、「私を病院に送って!!目が見えない!声が聞こえないの!!」と伝えたのを覚えています。そして、大きな病院へそこから移動しました。
そこから入院生活が突然始まることになりました。驚くことに、脱水が進みすぎていて、血管が凹み、点滴の針が刺さらないのです。
かなり試していただいたのですが、仕方なくこの日はお水を少しずつ飲みましょうという方針になりました。この日の晩はとても怖く、今日倒れたのに、自分の口から飲める水だけで生きるなんて、、と不安でたまりませんでした。
夜もあまり眠れないまま、朝が来て、少しずつ頑張って、水を飲んだり、朝食を食べてみたりしたら、なぜか吐かなかったのです。そして点滴を入れてもらえることになりました。
入院中も吐いたり、気持ち悪くなったりということはありましたが、本当にまずい場合は点滴をしてもらえることで、安心して過ごせていました。少しずつご飯も食べられるようになりました。
助産師さんやお医者さんもとても優しく、夫も頻繁に面会に来てくれて心が落ち着いていきました。
1週間と少し入院し、退院することができました。入院していた病院は分娩予定の病院ではなかったので、退院後は分娩予約のため、実家のある大阪へ向かいました。
2回目の入院
大阪で療養中、なんとまたご飯が食べられない、吐いてしまうという状態になりました。それでも、お水を吐いたら、とか、病院に連絡した方が良いと言われる条件を特に満たしていなかったので、じっと我慢していました。
しかし、段々吐く量が増え、病院に連れて行ってもらったところ、検査結果が悪く、またしても入院ということになりました。
脱水が進んでおり、また点滴が刺さりづらいとかそんな問題もありましたが、また入院か…元気になると良いな…と休んでいました。点滴や採血がしづらいことで、私の腕は内出血?やテープだらけになっていきました。その痛みも辛かった。
しかし、入院を数日しても、以前のように良くなりませんでした。ずっと気持ち悪くて、なんだか不安で、上手く過ごせなくなり、病室で泣いてしまうようになりました。
ある夜、助産師さんに相談したいと思って話し出した時に大泣きしてしまったのですが、別室で私の心が落ち着くまでただ話を聞いてくださったことがあります。いつまで続くかわからなくて怖い、いつ退院できるかわからなくて不安、妊娠中の不安が消えない、旦那さんに会いたい、と言って泣いていましたが、話を聞いていただいたからか、その日から段々と落ち着いていきました。
しばらくはどんなに頑張っても二口しかご飯が食べられなかったのですが、少しずつ楽な日も出てくるようになりました。布団の感覚を気持ち良いと感じるとか、呼吸がいつもよりずいぶん楽とか、そういう変化があり、吐いてしまうことはあったけど、気持ちが楽になっていきました。
そして、家族や夫の支えもあり、2週間ほどして退院することができました。
仕事を辞めることを決めた
入院中、不安がグルグルしたりすると特に具合が悪くなる気がしたので、自分の持っている不安について整理し始めました。
気持ち悪かったのでメモなどもできていませんが、ひたすら自問自答。
赤ちゃんが元気に産まれてきてくれるか。
私は心身ともに弱いけど、赤ちゃんを守り切れるか。
仕事には復帰できるのか。
という不安がありました。
今こうしている瞬間も赤ちゃんは1番近くで生きてくれていて、心臓を動かしてくれている。今だってお腹の子は生きているし、ずっと私の子。
私はただ健康で、ストレスなく、今はこの子を守ってあげたい。この先のことはわからなくても、今この子が生きているということにずっと変わりはないから、私は私にできることをしてあげたい。
私はそんなに人としても強くないけど、それを自覚しているのなら、自分の身体と赤ちゃんを守ることに専念したい。
キャリアなど、赤ちゃんに直接関係ない私個人の焦りを一旦今は置いて、ただ私が赤ちゃんと向き合うような期間があっても良いのではないか。
入院しているからこそ、妊娠経過におけるトラブルについての不安感は大きく、とても身近なものに感じられたのです。
そこで私は夫に「もう私働けないかもしれない。赤ちゃんを守ることで精一杯。」と伝えました。
彼は元々、今は考えないでいいよと言ってくれていましたが、改めてきちんと伝えると、特に驚くこともなく「いいよー」という返事でした。
そして仕事を辞める決断をしました。
この決断は、簡単にできたものではありません。
今は妊婦さんも働きやすい、働けるように配慮されている社会になっていると聞くし、厚生労働省も働く妊婦さんに関するサイトを公開している。
共働きの世帯も多いのだから、私もそうしないといけない、と思っていました。実際私は仕事も好きです。去年はこんなことしてたな、とか思い返しながら、仕事を辞めるってどんな感じなんだろうと考えたりしました。
夫にも伝えましたが、ずっと仕事をしない専業主婦になりたい訳ではないのです。必ず、戻りたい。それは家計に貢献するという意味でもそうだし、一社会人として、やりたいことはたくさんある。キャリアも積んでいきたい。
でも、私にとって、今1番大事なのは、赤ちゃんを守り抜くこと。私にとって、私の赤ちゃんが成長していってくれることがとにかく嬉しく幸せなのです。
私の限界を迎えていることを自分が1番理解している。もちろん、キャパが広く、仕事もしたいし子どもも産みたいという方が、今の国の制度を使って、働き続けることは本当に素晴らしいこと、女性が何も諦めずに済むのは良いことだと思うけれど、私にとっての幸せはそうじゃなかった。私は、今はのんびりと赤ちゃんと成長していくことに集中したい。そう思ったのです。
家で寝ている頃から、勤務先への迷惑をかけている申し訳なさや、自分の今の生活、旦那さんへの負担を考えて毎日泣いていましたが、少し、この考えに辿り着いて私は安心しました。
仕事を辞めるにあたり、参考にした情報
内閣府男女共同参画局から、第1子出産前後の女性の継続就業率というものが公開されていました。
(https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/top/hyouka/k_45/pdf/s1.pdf)
本来きちんとまとめたいのですが、簡単に説明させてください。この資料からは、就業継続が半数以上にもなっていることがよくわかりますが、一方で出産退職も46.9%(2010〜2014年)となっていることがわかります。
私が思っているよりも、多くの方が妊娠出産を機に、キャリアを見つめ直しているのだと知り、そういう選択を今取ることもあるのだと、少し自分に優しくなれました。
全部上手くやれたら、何も問題はないのですが、受け止めなければならない現実もあります。私は、今の制度で私のような状態で正社員として働くことはできないから、自分と赤ちゃんを守ることを優先して退職を決意しました。
妊婦さんとキャリアについて考える
病気ではないとは言え、インターネットを見ていると私のように心身ともに辛いという妊婦さんも多くいらっしゃいます。
例えばつわりの期間は、産休のように休暇を取りやすくしたり、精神面のケアをしてもらったり、まだ社会ができることはあると思います。
妊娠、出産後に女性が社会に戻りやすくする構造を作る、再就職できるようなルートを作ることも一つ。
それも、正規雇用での再就職ができるようにならないと、自分のライフプランも大切にした女性の社会進出は進まないのではと思ってしまいます。
妊娠初期で長期でお休みして、妊娠に伴う様々な不安が自分ごととなり自分と赤ちゃんを守りたくて働けなくなるというケース、私が一例です。私にとっては今仕事を辞めることが最善でしたが、再就職に不安が大きくあります。
出産に向き合うにあたって、身体的、経済的など人によって理由は様々だと思いますが、その期間がネガティブに働かないようになってほしいと思います。経済成長への寄与ももちろん大切ですが、大切な赤ちゃんと向き合えるような、そんな選択ができる世の中、経済的支援があるとまた違ってくるのではとも思いました。お腹の中で赤ちゃんを育てられる期間なんて人生単位で見ると短いのですから。
少子化対策は、妊婦さんが安心して赤ちゃんと向き合える社会にすることからではないでしょうか。経済的不安や、身体的不安を少しでも減らして、安心して妊娠に向き合えるようになってほしい、それぞれの妊婦さんが大切にしたいことを大切にできる、マタニティライフを送れるようになると良いなと思います。
そして、私のように働けないような場合でも、ゆっくり休んで良い、それは悪いことじゃないと思える社会になってほしいです。居場所がないように感じることがかなり辛かったので、議論されたり理解が得られるだけでも全然違うと思います。
最後に
私の経験談をもとに、思っていることをまとめてみました。それぞれの妊婦さんに色んなお話があるものだと思いますのであくまでも一例としてですが、改めて女性のキャリアというものは難しいのだなあ…と思います。そして、妊娠期間はこれからも大変なことがあるのではとも思います。
もし何か取り組みをされている方や、妊娠を機に退職後再就職をされた方など、いらっしゃいましたら私の今後についてアドバイスいただけると嬉しいです。まだ毎日ずっと体調が良いというわけではなくトラブルはありますが、資格取得?時間に縛られないような1日数時間の働き方とかないのかな?何をしたら良いんだろうか、ということを考えるのはできるようになってきました。
今正社員は難しく、退職してしまいましたが、アルバイトや業務委託で働ける仕事を探したりしたいとも思います。
退職しても、完全に社会との接点がなくなるのはやはり寂しいし、今はまとまった時間たくさん働くというのが厳しいですが、数時間ずつ進められるような仕事があれば取り組んでみたいというような気持ちもあります。
ひとまずは自分の身体と心、赤ちゃんを最優先してゆっくりと過ごしながら、考えていきたいと思います。企業、個人だけの努力で何とかなるようなものではありませんし、きっと改善には時間を要すると思いますが、妊婦さんたちがそれぞれの思い描くマタニティライフを送れるような社会になることを願っています。