「なんとなく」が写真への大切な核になるまで
タイトル画像はスムーズにおむつを替えてあげられて
僕が満足してたら、一本の裾に足を二本入れてしまっていたことに気づき、申し訳ない気持ちと、笑えてきてしまった時のもの。
前回の記事でお話させてもらった
僕が写真を始めるきっかけになった「なんとなーく」について話していこうと思います。
このなんとなーくが実はとても大切で、今の自分の写真のスタイルを形成する核となっていたのです。
なぜなんとなく好きだったか..
生まれた時から写真が身近にあったから
です
リビングには節目節目の家族写真が当たり前のように飾られていて
兄弟三人分の写真が入った大量のアルバムがあり
小さい頃から絵本のように日常的に見返していた記憶があります。
形にして飾る.アルバムに納める
これは当たり前のようで当たり前ではなかったのです。 この重要性はまたこんど。
写真の世界に飛び込んで4.5年ほど経ち
帰省したタイミングでふとアルバムを見返したのですが
今までとは違った目線で見ることができ
極端に写っているのが少ない人物に気づきました
父です。
写っていない人物イコール
我が家の専属フォトグラファーは父だったのです。もちろんカメラを向けていてくれた記憶はあります。
写真を見返した時に感じたのは
父からの真っ直ぐな愛
でした
構図とか露出とかピン合ってる合ってない等
全然気にならなかったのです。
それまで愛されていないなと感じたことはありませんが、自称陰キャな父(一級建築士でユーモアがあってとっても尊敬している)は行動や言葉で素直に愛情表現するようなタイプではないです。
だからこそ
その日その時にその写真を撮ってくれた父の事を思い浮かべると、なおさら写真からたくさんの愛が伝わってきました。
写真って愛情の再確認ができるツールで
誰かのために写真を撮ることは
その人へ向けた愛情表現なんだ
と心底感じたのです
それまではがむしゃらに現場で写真を撮っていたが写真に対する自分の核が一つ形成された気がしました。
誰に撮ってもらうかってすごく重要なことの一つだと考えます
大好きな彼女ならきっと彼氏が最高の表情を残せるだろうし子供ならパパママのとる写真の愛情には敵わないと思うのです
それが良いお値段のカメラでも、iPhoneだったとしても
あれ、じゃあカメラマンっていらないね!
とは言わせません
流石に僕らの立つ瀬も無くなってしまうので。笑
ですがこれについては長くなりそうなのでまた今度。
僕はその日をきっかけに
写真を撮る時に
被写体の可愛いなとか愛おしいなって思う仕草や瞬間をたくさん見つけてあげれるよう意識し、努力するようになりました。
その人にとっての10年来の親友や彼女,パパママが撮る写真に負けないように。
ちなみにこのnoteですが自分ルール
15分以内で書きわらなきゃやめ
を課すことにしたので多少の誤字脱字文法無視お見逃しくださいませ。笑
皆さんは最近いつアルバムを見返しましたか?
おうち時間がある今、この投稿がきっかけで昔の写真に触れて心が暖かくなったら嬉しいです。
今日も僕は写真を撮ります
未来の君に向けたラブレターとして
最後まで読んで頂きありがとうございます
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