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境界を越えるバス/都県境編20/小山橋

東京神奈川都県境 境川編その6
2024年10~11月現地調査
2024/12/05初版公開

データ類は特記なき限り2024年12月現在のものです。
図表・画像類は、特記なき限り筆者自らの手によるものです。

東京都・神奈川県境を越える路線バスシリーズも、番外編?を除いてついに20回目となりました。今回は、長い歴史を持つ長距離路線でありながら、2025年3月一杯で廃止が予定されている路線にまつわる記事になります。


橋の位置など

小山橋付近の地図。前記事の橋も柿色字で記入しています。
バス路線は本記事にて取り上げるもののみを記載。
ベース地図は OpenStreetMap により作成。

 この橋の付近で、境川は河口から約40kmとなる。橋の左岸は東京都町田市小山町である。橋の右岸は神奈川県相模原市中央区宮下本町二丁目になるが、1980(昭和55)年に住居表示が実施されるまでは神奈川県相模原市大字小山であった。詳細は後述するが、太閤検地により武蔵・相模の国境が確定するまでは、両岸共に小山村で、下流側の矢部村/上流側の相原村と同様であった。

町田市側から見た小山橋全景。
相模原市側には都県境のロードサインがあります。
相模原市側から見た小山橋全景。
東京都側には都県境を示すロードサインが見当たりません。
奥の信号交差点は、町田街道との交点です。
左岸下流側から見た小山橋全景。
川幅がさほどでもないため、橋の規模もそこそこです。
右岸下流側から見た橋の全景。

 橋を渡るのは、東京都道・神奈川県道503号相模原立川線である。500番台の東京都道は、1例を除いて同じ番号の神奈川県道とつながっている。厳密には、相模原地区の神奈川県道は500番台を割り振られており、繋がっている東京都道が番号を合わせた形になっている。

経由するバス路線

 この橋を経由するバス路線は、"桜84"系統聖蹟桜ヶ丘駅~相模原駅北口とその区間運転便となる"南84"系統南大沢駅~相模原駅北口である。運転本数は合計で1日6往復。午前の3往復を京王バスの南大沢営業所/午後の3往復を神奈川中央交通の多摩営業所が担当する。平日は全便が"桜84"系統として運転される。土休日のみ、午前中の京王バス担当便のうち、初便の相模原駅行以外の2.5往復が南大沢までの"南84"系統として運転される。
 元々は、土休日も含めて全便が聖蹟桜ヶ丘駅~相模原駅北口間を運行していた。2021年4月から、土休日午前中の京王バス担当の大半が南大沢駅~相模原駅間に運転区間を短縮された。神奈川中央交通が担当する午後の便には変更はない。
 最寄りのバス停は横土手で、橋を渡る路線のポールは境川の南岸に渡った先にあるので、所在場所は神奈川県相模原市内になる。ちなみに、橋の北詰で交差する町田街道を往く"町30"系統町田駅~橋本駅などが使用する横土手バス停のポールは、町田街道上に設置されているので東京都町田市内に存在する。一方、"桜84""南84"系統の町田市側最寄りのバス停は沼入口というちょっと変わった名前のバス停である。

小山橋を渡る"桜84"系統相模原駅北口行。
午後の便なので、神奈川中央交通の担当。
横土手のバス停に停車中の"桜84"系統相模原北口行。
小山橋を渡る"南84"系統南大沢駅行。
南大沢駅止まりなのは、土休日午前中の京王バス担当便だけです。
橋を渡って町田街道と交わるお山交差点を通過する"南84"系統南大沢駅行。

 "桜84"および"南84"系統の多摩ニュータウン内の経路は、南大沢駅以南にて幹線道路から外れた道を走るように見える。実はこの道筋はニュータウンが開設される前から存在する古い道である。バス路線は、多摩ニュータウンの開発が始まる前、遅くとも1961(昭和36)年の段階で開設が確認されている。京王相模原線開業前で、当然、南大沢駅もなく拠点となる場所もなかったかったため、バス路線は直接野猿街道方面へ向かっていたようである。
 この当時、途中で分岐する路線で相模原駅~唐木田という系統も存在した。小田急多摩線も影も形もない頃であり、現代の尾根幹線の旧道に相当する道路上に折り返しの停留所があった模様である。1972(昭和47)年に廃止されているようであるが、詳細は不明である。


 "桜84""南84"系統ともに、2024年5月末に京王バス・神奈川中央交通の双方から路線退出等意向申出書が提出されており、2025年3月一杯で路線廃止となる予定である。南大沢駅~相模原駅間には本系統の単独区間がそこそこの距離に渡って存在しており、経路違いとなる系統も存在しないため、この区間ではバス路線が完全に無くなる。聖蹟桜ヶ丘駅~南大沢駅間については、若干の経路違いではあるがほぼ並行する運転本数の多い路線があるため、影響は少ないと思われる。
 なお、この路線廃止により、JR横浜線相模原駅に入る京王バスは無くなる。南大沢駅・聖蹟桜ヶ丘駅に入る神奈川中央交通グループの路線は、別系統が存在するため乗り入れは継続される。

JR横浜線相模原駅北口バスロータリーの風景。
停まっているのは"橋52"系統橋本駅北口行。都県境越え路線ではないですが、
"桜84""南84"系統以外で唯一相模原駅北口へ乗り入れる路線です。
南大沢駅で発車待機中の"南84"系統相模原駅北口行。

小山橋両岸の地方時自体の変遷

 本記事の前節にて述べたように、この界隈では1594年に行われた太閤検地より前の時代では、川の両岸とも相模国高座郡小山村だったとされる。川の名前も、高座川(たかくらがわ)と呼ばれていた。左岸側は南斜面であることから「日向小山」/右岸側は北斜面であることから「日陰小山」との通称がつけられている。
 太閤検地に伴って、武蔵・相模の国境が高座川(ほどなく境川と名前をつけられる)に定められ、小山のエリアが武蔵国と相模国に分割される。
 武蔵国側は幕府の天領となったこともあり、江戸時代全体を通じて変化はない。1889(明治22)年の町村法施行に伴い、上流側の相原村と合併して神奈川県南多摩郡堺村大字小山となる。その後、三多摩地区東京府移管、さらに東京の都制施行を経て、1958(昭和33)年に合併で東京都町田市小山町となり、現在に至る。2004(平成16)年に多摩丘陵側を小山ヶ丘1丁目~6丁目として分離したが、境川に接する領域は小山町のままである。
 相模国側は上流側の相原村の大字となっていたが、1646年に分村して相模国高座郡小山村となる。1889(明治22)年の町村制施行に伴い、境川右岸の周辺の村と合併して、神奈川県高座郡相原村大字小山となる。その後、1941(昭和16)年に合併により高座郡相模原町大字小山→1954(昭和29)年に市制施行で相模原市大字小山となる。その後、1960年代半ばから住居表示が始まり、境川沿岸は1980(昭和55)年に宮下本町1丁目~3丁目が分立して現在に至る。なお、2010(平成22)年相模原市の政令指定都市移行に伴い、もともと相模原市大字小山に属したエリアの内、西の方の橋本3・4丁目と東橋本全域は緑区の所属となったが、それ以外のエリアは中央区の所属となっている。

付録:2025年3月に廃止される予定のかつて紹介した路線

 神奈川中央交通グループが路線退出等意向申出を行い、2025年3月一杯で路線廃止となる予定の路線の中には、都県境越え路線としてかつて紹介した以下の路線が含まれている。()内に2024年12月現在での運転本数を示す。
・"南01"系統南町田クランベリーパーク駅~若葉台中央(休日1往復)
・"町73"系統町田バスセンター~青葉台駅(平日片道1本)
・"町82"系統町田バスセンター~つきみ野駅(全日2往復)
・"淵24"系統淵野辺駅北口~登戸(土曜1往復)
 このうち、並行路線が無く、都県境を越える区間のバス路線が消失するのは、”南01"系統の横浜町田インターチェンジ付近"町82"系統の鶴間橋付近"淵24"系統の柿生~鶴川間である。ただし、柿生~鶴川間には、小田急バス新百合ヶ丘営業所と鶴川駅の間の回送便が多数設定されており、こちらは残る予定である。

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