雪国放浪記2023早春編その2~水上温泉郷から湯沢温泉郷へ~
雪国放浪記その2では、第1日目の後半、谷川岳天神平から山を降りて水上温泉で湯船に浸かり、国境の長いトンネルを抜けた先の湯沢温泉で湯船に浸かったレポートです。友人が1泊2日で旅したところを、強引に1日にまとめようとするとこうなる(??)という実体験です。正直、普通の人なら2日にわけることをお勧めします。
谷川岳天神平から水上温泉郷へ
今回の旅の当初の計画では、(1泊2日にて)友人が行けなかった谷川岳天神平と友人が行くことができた湯沢高原の両方を一度に回る目論見、となっていた。そのためには、水上駅を遅くとも13時台半ばの列車で国境の長いトンネルを抜けて越後湯沢駅に到達しないと、湯沢高原に登るロープウェイの運転時間に間に合わない。
しかし、上の写真の御神酒奉納(?!)の段階で、すでに12時半を過ぎていた。「谷川岳ロープウェイ」の山麓側=土合口駅から水上駅へ向かう次のバスは、14時過ぎまで存在しない。
理論的には、13時を越えた段階でも速攻でロープウェイで下山し、そのままの勢いでJR上越線土合駅まで1km少々の道のりを駆け下りたうえで、トンネルの中にある土合駅下りホームまでの24段+462段(!!!!)の階段を駆け下れば、上述した上越線下り列車に間に合うはずである。
ただ、上述したように御神酒奉納のついでにおすそ分け(??)を頂いているため、俊敏な運動は暫くの間は不可能である。重力に任せて動けば不可能ではないかもしれないが、上越線の電車に乗った後で、確実に酷いことになるはずである。
したがって、御神酒を奉納した段階で、湯沢で温泉に浸かることは決定済であったが、湯沢高原に登ることは既にギブアップしており、その代わり、谷川岳天神平でもう少しゆっくりしていくことにしていた。
天神平で「雪分」を十分に補充した後14時頃にロープウェイで下山。14時半ぐらいのバスに乗る。このバスは水上駅を経由した後、新幹線の上毛高原駅まで行く。が、重要なのはそこではなくて、このバスは水上駅を過ぎると水上温泉郷の脇を抜けていく点にある。つまり、バスを乗り換えたり、余分に歩いたりすることなく、水上駅を通り過ぎて水上温泉郷に行けるのである。勿論、次の目的地は、水上温泉郷の中にある日帰り入浴施設である。
探せば普通の温泉旅館の中に日帰り入浴に対応してくれるところもありそうだったが、手っ取り早く、公営の日帰り専門入浴施設「ふれあい交流館」に狙いを定める。
御神酒の酔いがそこそこ抜けた段階で、本日1回目の温泉を満喫。湯船は5人も入れば満員となるような大きさであるが、平日真昼間ということもあり、貸し切り状態ではなかったが、十分にゆったりと入浴できた。
次の上越線の下り電車は16時台後半までないため、水上温泉郷の中を駅に向かってゆっくりと散歩する。この日はとても暖かく、厳冬期には雪深い場所となるはずの水上温泉郷の中に雪はない。奇しくも、数週間前に水上温泉に泊まった友人の足跡?を逆方向に辿る(ものの要リベンジ案件が増えまくった?)散策となってしまった。しばらくの間、画像とキャプションだけで温泉街の風景をお楽しみいただきたい。
ちなみに、数週間前の友人のこの区間?の行程は、こちらから。
後半、結構疲れたので、乗車予定の列車が早々と数時間前から入線してるのを良いことに、その車中で休憩&「雪どら」をいただいた。
国境の長いトンネルを抜けると…
湯沢・長岡方面行の電車が通る「新清水トンネル」は、名前から判る通り、上越線の複線化に伴って第二次世界大戦後に掘られたトンネルである。ただし、新潟県側の坑口は、昭和初期に掘られた単線運転時代から続く「清水トンネル」の坑口と非常に近い位置にある。従って、現代における「国境の長いトンネル」を抜けて出会う風景は、ぼぼ、川端康成氏の「雪国」と同じ世界を時空を超えて追体験することになる。いや、むしろ、現在の下り線の水上側の坑口の標高は低い(故に土合駅がトンネルの中になってしまってたりする)ためさほど雪深くないことが多く、トンネルもかなり長くなってるため、インパクトはより強くなっているかもしれない。
この風景と感動は、在来線限定である。新幹線で上越国境を越えると、越後湯沢駅の直前までトンネルが続くため、トンネルを抜けると、即、(大きな)駅であり、インパクトが若干弱い。ただし、自動車や高速バスなどで上越自動車道の関越トンネルを抜けた場合は、新潟県側の同じような地点にでてくるため、鉄路以外でもこの雰囲気は味わうことができる。
ちなみに、上越線のこの区間は、長いトンネルと急勾配が続くため、1931(昭和6)年に水上ー越後湯沢間か開通した当初から電化されていた。なので、高崎から水上までは蒸気機関車が列車を引っ張ってきていたが、その先の国境越え区間は、最初から当時最新鋭の電気機関車が列車を牽引していた。電化区間は越後湯沢の1駅先の石打駅までで、そこから新潟方面は、再度、蒸気機関車が列車を引っ張っていた。
もっとも、川端康成氏は、「雪国」の冒頭の車窓風景が、上越線清水トンネル北側である、とは明言していない。小説の本編でも、実際に当時の湯沢の街で起きた事件=映写場の火事も作中にて起きるが、「雪国」そのものがノンフィクション小説ではないため、あくまで「現実世界の湯沢によく似た架空の街」が舞台となった物語のようである。
越後湯沢のピアノと温泉とへぎそばと…
越後湯沢の駅の改札をでて、構内をうろちょろしていると、とんでもないもの?を見つけた。
件の友人もこのピアノは発見していたようであるが、その日は結構混みあっていたようで、彼女のレポートには登場していない。このため、自分は、まったくの事前情報なしで、このピアノに出会ったわけであるが、インパクトが強すぎて、弾いてる人がいなかったにもかかわらず、ちょっとだけ物怖じしてしまい弾くのを躊躇ってしまった…
ピアノの設置場所自体は改札の外であるが、上の画像でピアノの奥の間仕切り?の先は、在来線の改札内通路である。実際、電車を降りて改札に向かう途中、妙に「生」っぽいピアノの音が聞こえていた。まぁ、スピーカーの位置とかで流してる音楽がそういう風に聞こえるのかな?、と思ってたが、本当に「生」だったとは…
気を取り直して駅東口に出て、件の友人が立ち寄った「へぎそば」のお店に向かう。だがしかし、、、
、、、今日は平日ではあるものの、ネット上の情報によれば、定休日ではなかったはずである。なんらかの弾み?で、定休日がずれてしまったのか? なお、ここと相前後して、西口側にある自分の記憶にある へぎそば のお店の様子も見に行っているが、こちらも定休日なのか、営業時間外なのか、良く解らない状態であった。なお、上述したストリートピアノを用いてのストリートライヴ(?!)は、この移動の間に行っている(ピアノの使用可能時間は18時までであった)。
というわけで、友人のレポートで情報をもらっていた、越後湯沢の公営日帰り温泉施設「駒子の湯」を目指しつつ、途中で夕食を食べられるようなところを探す、という方針にする。「駒子」は、言うまでもなく、小説「雪国」のヒロインの1人である。モデルとなった女性は実在し、平成半ばまで存命だったとか。
結局、夕食(にへぎそば)を食べられるところを見つけられないまま、徒歩十数分で「駒子の湯」に到着。ただ、時間帯がまずかったのか、スキー/スノーボードを終えた若者たちで、超満員状態。おまけに日が暮れてしまったので「雪見風呂」は叶わず… まあ、本日二箇所目の公営温泉施設なので、贅沢は言えない。やや熱めの湯であったが、我慢しつつ暫く浸かっていると、徐々に空いてきて、洗い場の待ち行列も解消していた。
ここでも(ちょこっとだけ)ゆっくりして、越後湯沢駅まで徒歩十数分かけて戻る。往路と別経路をたどったが、へぎそば を食することができるお店にありつけず。最終手段で、自分の記憶の中にもある、越後湯沢駅構内のお店に行こうとしたが、こちらはオーダーストップの時間を越えてしまっていた… いや、件の友人から駅庫内の土産物屋や飲食店の営業時間についての事前情報はもらってたから、こうなることは分かっていたはずなのであるが…
なお、越後湯沢エリアでの友人の旅の様子は↓こちら↓からどうぞ。端っから行く予定がなかった「白瀧酒造」はともかく、「駒子の湯」以外には自分はたどり着けておらず、見事なまでの惨敗状態である。
なんとか食料調達の方法を見出そうと悪戦苦闘したものの有効打がみつからず、越後湯沢駅改札脇の New Days で緊急回避的な食糧(要するにコンビニおにぎり)を仕入れ、本日の宿泊予定地に向けて、新潟行の新幹線「とき341号」に乗り込む。
ちなみに、この時点では、まだ東京方面へ戻る新幹線は何本も残っており、多摩エリアの自宅まで帰ることができる時間だったりする。明日の行程を鑑みて新潟へ進むことにしたが、実は、明朝、新潟から乗る予定の列車は、東京を朝出てきても間に合う列車だったりすることは、次回(以降?)の記事で触れようと思う。
なお、正式?な夕食は、新潟駅到着後、餃子が有名な全国チェーン店にてありつけた。コンビニおにぎりも含め、旅情もなにもあったもんじゃないが、快適な旅のためには、食事抜きというのはあり得ない。それに旅先であれば、それでもテンションは上がるものである。多分。
(以下、その3~秋田県内陸部彷徨?~に続く)
本日の行程
※列車の時刻は2023年3月18日のダイヤ改訂以前のものです。
天神平→谷川岳ロープウェイ(土合口)14:05→バス→水上温泉→入浴・散策→水上駅16:42→17:20越後湯沢→徒歩→駒子の湯→徒歩→越後湯沢20:15→とき341号→21:03新潟(泊)