境界を越えるバス/旧国境編9/三ツ境駅界隈と野境道路
2022年11月/2023年2月現地調査
2023/02/27初版公開/2023/03/02図面追加改訂
この記事のデータ類は2023年2月時点のものです。
特記なき本記事の画像類は著者自ら撮影・作成したものです。
武蔵・相模の国境は、三浦半島を出たのちも江戸湾・相模湾の分水嶺を辿っているために、古くからある鉄道路線の駅に近寄る機会は非常に少ないです。今回紹介する地点は、なんと大正時代末期に設置された駅のすぐ近くを国境分水嶺が通る、という非常にレアなケースになります。しかも、バス停数区間にわたって、国境分水嶺上の道路を路線バスが頻繁に通う区間になります。
武相国境と三ツ境駅・野境道路
今回紹介する地点も、まだ両側とも横浜市内なので、地点Sと名付けておく。そして路線バスが国境分水嶺上に設置された「野境道路」を1km以上にわたって走るため、これまでで一番「長い」地点にもなっている。野境道路の名称はこの道が国境であることに因んでおり、江戸期以前は「野境道」として、鎌倉へ続く街道の1つであった。
ただし、聖マリアンナ医科大学西部病院の北側にある瀬谷高校入口交差点から、都県境分水嶺=江戸期からの「野境道」は西から北方向に折れているのに対し、バス通りである「野境道路」はここを直進し、旧武蔵国都筑郡=現横浜市旭区の内側へ、緩やかに弧を描き進んでいる。
この野境道路上を走る路線の他、野境道路を横断するようにバス路線が国境を越える場所は2箇所ある。1つは相模鉄道本線三ツ境駅北口駅前広場界隈である。駅北東側の武蔵国側の住宅街を突っ切って来た路線が、国境を横切り、そのまま相模国側にある三ツ境駅北口駅前広場のバスロータリーに入って終点となる。野境道路を走ってきた系統も、国境の分水嶺に乗るまでは武蔵国側を走っており、武蔵国側の沿線と相模国にある鉄道駅の間で旅客を運ぶことから、国境越え路線といえる。
もう1つは、野境道路が中原街道と交差する「西部病院入口」交差点である。中原街道上に設定された路線がこの地点で野境道路=国境を横切り、瀬谷区=相模国側に大きく回り込んで三ツ境駅に至る。
三ツ境の地名の起源にはは諸説あるが、江戸期以前、武蔵国都筑郡二俣川村/川井村/相模国鎌倉郡阿久和村分の三村境が付近にあったため、とする説が有力である。鉄道が通ったのは大正15年。当時の神中鉄道が厚木から二俣川まで路線を敷設した際に三ツ境駅も開設された。国境分水嶺に極めて近い所にあるため標高91mで、横浜市内で最高所にある駅になっている。
国境越えバス路線の詳細
野境道路を走る系統
野境道路を延々と1km以上も走るのは、"116"系統三ツ境駅北口~若葉台中央である。毎時5~8本程度運転される頻発系統である。この路線の北側の端点の「若葉台中央」は、以前の記事で紹介した「若葉台」とは全く別の場所である。系統番号記号が数字だけであることから、かつては横浜市交通局も運行に加わっていた系統である。
現代では、神奈川中央交通中山営業所と相鉄バス旭営業所の共同運行になっている。両者の割合は、6:4か7:3ぐらいの割合で神奈川中央交通担当便の方が若干多い。神奈川中央交通担当便の内には、若葉台方向の端点から延長運転となる十日市場駅発着の"境21"系統として運転される便が、ごくごく少数であるが存在する。
なお、野境道路にて国境分水嶺上を走るのは、「三ツ境駅北口」~「つゆきの森」~「水道企業団前」~「西部病院」の間である。先述したように、野境道路自体はバス路線と共に更に北に続くが、国境分水嶺は瀬谷区/旭区境と共に「西部病院」停留所の北側の瀬谷高校入口交差点にて西~北方向に進んでいる。
三ツ境駅北口付近で越境する路線
三ツ境駅の北東側に隣接するが住所は旭区内となる笹野台の住宅街から、三ツ境駅北口直近に抜けてくる路線になる。拡大図に示すように、笹野台内の一方通行規制と三ツ境駅北口バスロータリーの構造の関係から、三ツ境駅北口にて終点となる便は、一旦、バスロータリーと駅ビルの間の市道まで抜けてから、改めてバスロータリーへ入りなおす。三ツ境駅を起点とする便は、他の路線と同様バスロータリーの西側の道へ出た後、野境道路へ左折せずに直進、一方通行の猛烈な下り坂を笹野台の住宅街へと進んでいく。
これらの路線は全便相鉄バス旭営業所が担当する。"旭32"系統三ツ境駅北口~(岸本経由)~二俣川駅北口、"旭34"系統三ツ境駅北口~(岸本経由)~旭高校入口・よこはま動物園の2系統が主力で、両者合わせると日中は毎時3本程度の運転となる。このうち、"旭34"系統はよこはま動物園まで行く便がメインで、旭高校入口折返はレアである。"旭34"系統の延長運転的な"旭37"系統三ツ境駅北口~中山駅が平日に1往復のみ運転される。"旭32"系統の変種で、"旭24"系統二俣川駅北口→運転免許センター→三ツ境駅北口が平日夜間に片道3本だけ運行される。この時間帯の逆方向は運転免許センターを経由しない"旭32"系統として運転される。
中原街道にて野境道路を横断する路線
"旭33"系統三ツ境駅北口~旭高校入口(旭営業所)・よこはま動物園が該当する。三ツ境駅北口から相鉄本線に沿って西に進んだ後、立体交差となる中原街道へ上がって東へ進む路線である。よこはま動物園=ズーラシアへのアクセス系統かと思われがちだが、よこはま動物園までこのルートで行くのは平日朝間・夕刻の少数便のみで、土休日には運転がない。
逆に、通学路線と思われがちな「旭高校入口」折返便が、土休日のみの運転である。1日10本強が運転されるが、時間帯に偏りがみられることから出入庫系統と判断できる。土曜と休日で運行ダイヤが全く異なるのも特徴である。なお、回送では、三ツ境駅~野境道路~中原街道~旭営業所というルートで運行するものが存在するようである。現車は確認したが、資料上では調査未了である。
それ以外??のバス停
ここまでで説明しきれなかったバス路線(っぽいものも含む)について、説明する。
"間15"系統は小田急江ノ島線鶴間駅~相鉄本線瀬谷駅~三ツ境駅北口で運転される系統で、平日に1日分1往復のみの運転である。区間運転便となる鶴間駅~瀬谷駅間は"間14"系統としてされ、こちらはそれなりに運転本数がある。
この系統は、三ツ境駅周辺のルートに特徴がある。"旭33"系統などと同様に相鉄本線の北側に沿った市道で「瀬谷警察署入口」停留所方向から三ツ境駅北口に到着するが、バスロータリーには入らず、市道上で客扱いを行う。到着後はそのまま鶴間駅東口行になるのだが、物理的には折り返さず、東向きのまま出発する。三ツ境駅東側の陸橋で相鉄本線南側に移るが、南口側の停留所には止まらない。本系統の本方向便のみが停車する「瀬谷警察署前」「二ツ橋」を経て瀬谷駅方面へ帰っていく。
謎なのが、次の画像で示す三ツ境駅北口のバス停ポールの位置である。東向きに発車するのであれば、バス停は道路北側に存在しなければならないが、どういうわけか逆方向になる道路南側に存在している(故にこのポールを見つけるのに十分ぐらいかかっている)。循環ルートが逆回りになったのか?、とも思ったが、次の停留所名が線路北側の「瀬谷警察署入口」ではなく、線路南側の「瀬谷警察署前」になっていることから、発車すると陸橋を越えて線路南側に移るルートで間違いないようである。
駅東側の陸橋取り付け部分で、微妙に旧国境=現区界を越えるようであるが、この区間に停留所はない。
そのバス停を探しているうちに偶然見つけてしまったのが、横浜総合卸センター関係者専用「組合バス」のポールである。調べてみると、相鉄本線三ツ境駅の他、JR横浜線十日市場駅からも運行を行っている模様。詳細は、横浜総合卸センターの公式サイト内に「組合バス」のページがあるので、参照されたい。バス停のポールは、上述した"間18"系統のもののやや西寄りにある。方向から考えても道の反対側に停まるわけではなさそうである。
行政区分の来歴
この界隈の武蔵国エリア=三ツ境駅から見て野境道路の向こう側に広がる現代の横浜市旭区のエリアは、江戸期には武蔵国都筑郡川井村であった。明治期の町村制施行時に周辺の村と合併して神奈川県都筑郡都岡村川井となる。前述したように、郡境を少し南下すると、二俣川村との村境も近い。場所は相鉄本線を陸橋で越える手前辺りになる。1939(昭和14)年に横浜市に編入され保土ヶ谷区の一部に、1969(昭和44)年に分区により旭区となる。笹野台の地名は、分区の少し前、1964(昭和39)年につけられている。
相模国エリア=野境道路の三ツ境駅側である現代の横浜市瀬谷区のエリアは、江戸期には相模国鎌倉郡阿久和村であった。明治期の町村制施行で周辺の村と合併し、神奈川県鎌倉郡中川村阿久和となる。1939(昭和14)年に横浜市に編入され戸塚区の一部になるが、この時に旧阿久和村エリアは戸塚区阿久和町と戸塚区新橋町に分割されている。。1969(昭和44)年に瀬谷区が分立するが、この時に旧瀬谷村エリアと共に旧中川村のうち戸塚区阿久和町となっていた区域だけが瀬谷区になり現代に至る。