古代メソポタミア史・概略

・古代メソポタミア史 –

メソポタミア一帯は2本の大河に挟まれた肥沃な土地で、古代よりシュメール人を始め様々な人種が移住してきた。

戦乱と離合集散は規模を拡大しながら繰返され結果様々な文明、文化、技術大系を生み出した。

最終的にオリエント一帯に世界帝国と呼ばれる迄に拡大しアレクサンドロス3世によってヘレニズム世界の一部となった。


・シュメール人
メソポタミア文明の基礎を築いた人々で先行文化のウバイド文化をつくった人々とは別と言われる。

自身を「ウンサンギガ」(「混ざり合わされた者」の意)と呼びその地を「キエンギ」(「君主達の地」の意)と呼んでいた。

「シュメール」とはセム族アッカド人により用いられた異称で風貌は人物像を見る限りセム族と変わりないがシュメール語はどの言語系統にも属さず出自は不明。

セム語族アッカド語に押され死語となったが、宗教語・学者語としてはラテン語の様な位置づけで古代メソポタミアで長く受け継がれた。


・アッカド帝国(シュメール王朝)
BC2350〜BC2113頃アッカドとシュメールを統一した最古の帝国。
首都はアガデで所在は不明。ペルシャ湾から地中海に至る覇権を確立したとされる。

当時特殊だった常備軍によって軍事的優位性を確保、ナラム・シン王の時代に王の神格化が始まるが、のちにアムル人、エラム人、グティ人の侵入で無政府状態へ。


“誰が王で、誰が王でなかったか…”


後世アッカド末期の混乱をナラム・シンと関連づけ建国者サルゴンと破壊者ナラム・シンという対比がなされる。


・アッシリア史概略
古代オリエント世界でも例外的な一貫性をもって中央集権的国家体制を維持し続けた。

BC2000年代の都市国家アッシュルから始まり勢力の拡大と縮小を繰り返しBC900年代新アッシリア時代にオリエント全域に渡る大帝国を打ち立て衰退し滅亡。

その1000年以上に及ぶ歴史に終止符を打った。


・バビロニア史概略
BC2300年代アッカド時代には既に存在しておりBC2000年代にはアムル系国家群の中から台頭。

メソポタミアの象徴的中心都市として登場し始め、以後シュメール・アッカドの地をギリシア語で「バビロンの地」バビロニアと呼ぶようになった。

バビロンには様々な民族の王朝が打ち立てられ一貫して文化の中心地であり続けたが、アレクサンドロス3世の後継者以降徐々に凋落し、AD100年代廃墟に。


– 古代オリエント統一の系譜 –


集権的階層組織構造の発明によって物資の集積と拡張性ある組織編成が可能に。
文明が発生した有史以来の人類史とは階層組織構造への順応の歴史とも言えるのかもしれない。


・ルガルザゲシ
BC2400年代シュメールの都市国家ウンマを率いてシュメールを統一、ウルク第3王朝が成立。


・サルゴン
BC2350頃都市国家アガデを率いてアッカドとシュメール、後のバビロニアを統一しアッカド帝国が成立。


・シャムシ・アダド1世
BC1813頃都市国家アッシュルを率いて北部メソポタミア、後のアッシリアを統一し古アッシリアが成立。


・ハンムラビ
BC1792頃バビロン第1王朝を率いてアッシリア、アッカド、シュメールを統一。


・ティグラト・ピレセル3世
BC744頃新アッシリアを率いてエジプト、レヴァント、アッシリア、アッカド、シュメールを統一。


・キュロス2世
BC550頃都市国家アンシャンを率いてエラム、アナトリア、エジプト、レヴァント、アッシリア、アッカド、シュメールを統一しアケメネス朝ペルシアが成立。


・アレクサンドロス3世
BC330頃マケドニア王国を率いてギリシア、西インド、エラム、アナトリア、エジプト、レヴァント、アッシリア、アッカド、シュメールを統一しマケドニア帝国が成立。





その後の流れは「メソポタミア文明の結論としてのキリスト教から心理学の発生に至るまで」にて記述しています。

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