あたしの口リコン研究が、人文社会科学誌で好評を受けました!!
こんにちは!みゅーなです!
表題にもあるように、あたしの研究が論壇誌であり人文・社会科学誌である『情況』において好意的な言及を受けました。
今回はその記事に対しての所感を滔々と述べていきます。
言及をしてくださったのは、哲学者の谷口一平(https://x.com/Taroupho)さんです。なかなか踏み込んだ内容の論考ですので、ロリコン諸氏は奮ってご購入いただいていると思いますが、未購入の方はぜひご購入のうえ読んでみてください。
以下が言及部の引用となります。
あたしは谷口さんの論説が気になるため発売日に購入して読んだら、自分の名前があって素直に驚きました。びっくり!
論説に関しての所感は後述するとして、まずはこの言及によって起きた変化が興味深かったので、まずはその話から。
紙媒体での言及によって、みんな見直してくれた
谷口さんの紙媒体での言及以降、様々な人に『みゅーなさんの研究って本当に凄いんですね。ネットの変な人がなんか言ってると思ってました』とか『紙の雑誌にわざわざ言及されるとかマジモンじゃないですか!今まで読んでなかったけど読んでみます!』といった反応をちょこちょこ頂きました。(発言者には許可を得て引用していますよ!)
あたしとしては、客観的にみて自分の研究は学術的に高水準であり、当該領域に関しては世界で最先端の研究で、自分が世界のロリコン研究の第一人者であることは自明でした。
ゆえに、谷口さんからの言及に関しても、言及それ自体に驚くことはあれど、評価に関しては驚きなく受け取っています。
ただ、冷静に考えると世間的には研究の良し悪しというのは、ひよこ鑑定士でないとひよこの性別が瞬時にわからないのと同様に、その道の人でないとわからないのは当たり前でしょう。
今回の言及が皆さんに自分の研究が正当に判断される機会となったため、谷口さんに感謝しています。
また、同業者から評価されたということに、ひと際のうれしさを感じています。
谷口さんはセクシャリティに関する論文があり、研究領域に重複がある研究者です。セクシャルマイノリティの要件についての言及を見ると、同じ論文を読んでいるのであろうと見受けられる、近しい研究者です。
その、同じ知見を持つ研究者から公の場で評価されるというのはこれまでにないことで、大変冥利に尽きました。
改めまして、言及しにくい分野であるにも関わらず、正当な評価と言及をいただいた谷口さんに感謝します。ありがとうございました。
では、改めて、論説に対しての所感を述べていきましょう。
ファーストインプレッション
谷口さんの論文に対してのファーストインプレッションは、悪い意味や害意を持ってではなく、驚きがないというものでした。
支持する支持しないはさておき、まずは主張に一貫性があり、前提から導き出される当然の帰結が書いてあったためです。これは、当然谷口さんの言説への全面的な支持を意味しませんが。
また先程言ったように、研究領域が近しいことも一つの原因でしょう。
自分がセクシャルマイノリティ研究の論文を読み、セクシャルマイノリティの学問的な要件に一定以上知悉しているという側面が、当然視させた部分は大きいはずです。
賛同できないことについて、些末な部分で言えば、掛け金という表現はどうも自分にはしっくりきません。
ヘゲモニー闘争という部分に関しては賛同していますが。
絶対的に尊重するべきものを仮定して、その仮定のもとに他者を排斥するという政治闘争において、一番貴重な財貨として子供が据えられているという筋立てに関しては自明であると賛同するのですが、純粋にワーディングとしてはもう少し芯を食ったものがあるのではないか、と思ったためです。
流石だと感じたのは、ペドフィリアは性的指向であることを承前として扱っていることですね。
ここ10年くらいの海外研究の潮流を、さらりと下敷きにしているところに、さりげなさの巧緻さを感じました。論文を読まずにご自身で自明であると考えていらっしゃるのかもしれませんが。
(上で言及した海外研究の解説は以前、記事にしています。)
ファーストインプレッションとして、内容に驚きがないと述べました。
一方で、この内容の論文を紙で掲載した情況、および著述した谷口さんには驚かされました。(また後述しますが、正直に言えば、言明する勇気に感銘を受け、一方で嫉妬と申し訳なさと不甲斐なさを覚えたところもあります。)
よくこれを書いた!これを載せた!と思った
なぜなら、アカデミアの暗黙の了解で、社会学やセクシャルマイノリティ研究、大きく捉えれば人文学全体において、LGBT規範にそぐわないセクシャルマイノリティ研究は扱えないことになっているからです。
谷口さんがあたしの研究に対して、『このような成果を見るにつけ、ポリティカル・コレクトネスの倫理に縛られた「大学」研究の凋落、アカデミアの価値の失墜をひしひしと感じざるを得ない』と述べているのも、このアカデミアの非科学的な態度に起因するためです。
アカデミアの暗黙の了解というのは、まやかしではないか。そう考える方もいらっしゃるでしょう。
しかし実際に昨年末、ジェンダーについて哲学的な考察を行った論文が、査読者にきちんと読まれないままにリジェクトされた事件がありました。
何を隠そう、そのリジェクトされた論文の著者が今回の論説の著者である谷口一平さんだったわけですが。
谷口さんの論文リジェクトの顛末について検索し、周囲の研究者の言及を読むと、アカデミアの実態がつぶさにわかると思います。
傍証としてあたし自身も、研究顧問や専門アドバイザーに、「みゅーなちゃんの研究は、大学では絶対出せない研究だし、論文も学会に出せないからなあ」と何度も言われてきています。
その研究アドバイザーの属性は、現役東大生、東工大情報博士、京都大学数学博士、産婦人科医、外科医、内科医等々で、自然科学系や医学系のアカデミアで活躍する人々に多くお世話になっています。(中学校以来の友人が半分、ネットの有志の友人が半分といった内訳になります)
主に理系という共通したバックボーンはある人々ではありますが、研究領域が違うそれらの有識者たちが、口をそろえているわけです。
しかもあたしの研究は、ロリコンとはどのような存在なのかを統計的に、科学的な手法で問い詰めていこうという研究なわけです。
統計学的な、あるいは医学的な研究であっても許容されないというのは、なかなかサバルタンな存在ですね。
ちなみに、ロリコン研究などのLGBT外のセクシャルマイノリティ研究は許容されませんが、LGBTに関しての科学的な研究はかなり進んでいるので、研究内容ではなく研究対象で選別していることは明らかでしょう。
例えばゲイに関しては、先述の記事で以下のように紹介したように、科学的な研究もかなり進んでいます。
以上を踏まえ、改めて谷口さんの論考について立ち戻ると、
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