夢、幻。

目が覚めると、僕は泣いていた。

それは寒い明け方であった。
年の瀬と呼ばれる時期であったのだが、その前の晩はそこまで寒さを感じていなかった。
一人暮らしを始めて数年の月日が経っているが、今でも時々思い出す事がある。
実家では猫を飼っている。正確に言えば、うち1匹は飼っていた、である。
「きなこ」と名付けた、保護猫である。
僕が実家にいた頃に迎え入れたのだが、大学に行くために一人暮らしを始めた、その年であった。
別れというのは突然である。
その日、きなこの体調が良くないから一度会った方がいい、という母からの連絡があった。
あまり頻繁に帰れる距離ではない為、その日は久しぶりの帰省となった。
大丈夫だろうという希望としかしながら不安をも抱きつつ実家に帰り、動物病院に入院しているきなこに会いにいった。「生きてるだけでも」という医師の言葉は、受け入れ難かった。回復するものと思っていた。連絡をもらったとき、ここ数日ぐったりとしていると母は言っていた。
しかし僕が会いに行った時には四足で立って、元気があるようにみえた。
最後の力を振り絞っていたのだろう。
その翌日、きなこは息を引き取った。

それから数年経ち、今でもたまに思い出すが、現実として受け止めることはできていた。
そして先日、久しぶりに夢にきなこが出てきた。
一緒に遊んでいたが、それは何気ない日常の一コマのようであった。
目が覚めると、僕は泣いていた。




ここからは余談であるが、「悲しみは悲しみのままで」という槇原敬之の『宜候』というアルバムに入っている曲を思い出していた。

してやれることをしても
必ず後悔は来る

槇原敬之「悲しみは悲しみのままで」

と曲中で歌っている。それと同時に、表題曲でもある「宜候」では

全て自分で決めた
それを忘れなければ
この先も後悔はしないだろう

槇原敬之「宜候」

という歌詞がある。
ディスクレビューのような感じではないので、アルバムの他の曲を挙げたりはしないが、是非アルバムを通して聴いてみてほしい。

自分で決めたことならば、後悔はない。ということは、確かにそうなのかもしれないが、僕自身どの選択においても後悔は多少はあると思っている。

しかしながら、生きていれば別れなどといった自分ではどうしようもない出来事がおとずれることがある。それは後悔してもしきれないものであるから、せめて自分のことについては自分で決めて、後悔が無いようにしよう、という意味が『宜候』というアルバムには込められているのだろう。
そんなことをふと考えたので、ここに書いてみた。


なんとなく、書きたくなって、書いてみた。実際には数年経ったわけではないなど違うところもあるが、もちろんほとんどが事実の出来事である。
そして、書きながら、やはり泣いていた。
忘れることなどできないし、頻繁ではないかもしれないがこれからも思い出すだろう。
後悔は、してもしきれないものである。

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