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timeleszに守られているんだと気づいた日
timelesz projectのメンバーも18人にまで絞られてさらに加熱してきた昨今
視聴者の想いもどうやら加熱しているらしい。
昨日から今日にかけて、風磨くんが質問箱であらゆる質問に答えていた。
大喜利的な面白いものもあれば、オーディションに関するなかなか過激な質問もあった。
オーディション番組で賛否両論があるのは致し方がないこと。私はある程度視聴者の声は取捨選択して、彼らが届けてくれるものに集中して受け止めたい。と思いながらtimelesz projectを見守っている。
だけど中には愛があるゆえなのだろうか、自分の中の気持ちを、それが尖った気持ちであったとしても、世界に発信し、中には候補生やメンバーに向ける人がいるらしい。
…私は見に行かないことで精神衛生を保つタイプなので、直接見ないようにしているのだけど
好きな人を傷つけた誰かの声をみて、その人を好きな人が自分のことのように傷ついているところを見ているだけでも、辛いものだ。
なので少しだけ、今考えていることを整理しようかなあという実況note番外編。
これはただの筆者の独り言。
こういう考え方もあるよね。的な気持ちで捉えてもらえたら。
ファン投票が必要か?
風磨くんの質問箱の中で、特に議論を生んだのはファン投票をしたい視聴者と、ファン投票をしませんと伝えた風磨くんの攻防だったように思う。
この、「ファン投票」を軸にすると、このオーディションの本質が見えてくる気がしたので、今回は「ファン投票」をひとつの軸に、timelesz projectの楽しみ方について改めて整理してみようと思う。
商業的には
ファン投票は面白いとおもう。
視聴者参加型と言うのだろうか。
自分の好きな人が入る、入らないで、ランキングがついて一喜一憂みたいな。
自分の声が取り入れられていることが実感できるし、人気が目に見えてわかるし、人気が目に見えてわかれば、自分の気持ちとも折り合いがつけられるし、大勢のファンの意見が制作側に伝わっているようにも見える。
それに、参加できるって楽しいし、視聴者はさらに盛り上がると思う。
なので私は、投票という側面を持つエンタメを悪いとは思わない。
場合によってはそれが経済を動かす時もあるし、社会的なインパクトはさらに大きくなっていたであろうと思う。
それでも私はやらないことが正解だろうなと思っている。
新しいグループを作るなら
うちの会社のファン投票でできる、新しいグループなんていうものもまあ、見てみたい気もする。
一時的なものとかならね、尚更面白いかも。
でも、今回は"timelesz"の"仲間探し"をしている。
既存のグループにメンバーを入れるというところが普通のよくあるオーディションとは大きく異なっている。
こんな言い方をしたら失礼かもしれないけれども、
私がメンバーだったら、自分の大切にしてきたグループの仲間になる人をどんな熱量で応援してるかもわからない人々によって決められるのは怖いなと思う。
決まったメンバーがどんなメンバーでも共生しなければならず、共に夢を叶えられなければ、プロジェクトが、 timeleszが"失敗"することになる。
それがどういうことかおわかりだろうか?
timeleszのメンバーからすれば小さい時…中学生とか、それくらいの時から、学生時代も青春も全部注いだ、つまり人生を賭けたアイドルという生業に終わりを告げるということだ。
それに対して私たちはどうだろう。たしかに、汗水垂らして稼いだを金を、お小遣いを、彼らに使い、大切な休日を、有給休暇を彼らに捧げ応援してきたんだ…!とか、恋愛よりも優先してきたんだ!とか、そういう主張もあるかもしれないけれど
例えば思いもよらないようなグループができて、もう好きじゃなくなったとして、
私たちはお金を払いません。時間を使いません。という選択をしたところで、職を失わないし、家族(のような存在)を失わない。
そこが、圧倒的に違う。
確かに、人生をかけて彼らのことを応援している。彼らの夢は私の夢でもある。
だけど、私たちに出来ることは悔しくも、ほんのささやかなことだけなんだ…
夢
アイドルとは、夢を見せてくれる人々だと思っている。
夢とは希望であり、希望を持たず生きることは、辛い。
例えば希望って、明日の朝ごはんに大好物のメロンパンを食べるんだ!みたいなささやかなトキメキもその一つだと思うし
僕、私は将来○○になるんだ!みたいな大きな生きる意味みたいな類のものもあると思う。
そんな中で、大きな夢を常に持ちながら、その夢の応援をさせてくれて、しかもその夢を叶えていってくれる。そんな稀有な存在がアイドルないし、"推し"だと思っている。
だから、推しの夢は、ファンの夢であって、それをどんな理由であれ絶たれるというのは、胸が引き裂かれるような思いになる。
だから、自分が応援してきた、夢を信じてきた推しが、自分の大好きなものの形を変えて、未知の集合体を作ろうとしていることは
怖い。
だから、少しでも自分の気持ちを反映して欲しいと思う気持ちは、わかる。痛いほどわかる。だけれども結局その気持ちは投票をしたところで報われないことになるだろう
ファンが選んだ人
今残っている数名の候補生
みんな見た目がそれなりに整っていて、技術力、ガッツだって相応に兼ね備えていることはずっと見ている視聴者ならわかっているはず。
私もだいぶ洗練されてきたなあと思っている。
そんな客観的な見方とは別に"好き""嫌い"はある。
ああこのまま応援している人がいなくなって、イマイチな人だけ進んでいったらどうしよう。
私の応援してる人、
全然画面に映らないんですけど。
と、思う時もある
じゃあ、このまま、私の好みではない人がメンバーに決まったとしよう。
そんなことを考えた時、一つだけ救いになる言葉が湧き上がった
「メンバーが決めたんだったら」だ。
好きなメンバーじゃなかった上に、ファン投票で決まりましたとなった場合、もう気持ちの逃げ場がない。
「ファン投票をしない」という決断に、私たちは守られていたんだ…
と、今日になって気付かされた。
責任
ファン投票をしないということは、自分たちの決断に自分たちで責任を持つということだ。
うまくいっても行かなくても、それはこのプロジェクトを始め、しかるべきメンバーを決めた自分たちの責任。
そう収めることが
彼らの選択だったのではないだろうか
これは、前述したように、ファンの心を守るものであり、新しく入ってきたメンバーを守るものでもある。
本当はそうならないのが1番いい、だけれども新メンバーへの風当たりが強くなってしまう可能性が高いことは、残念ながら念頭に置いておかなければならないことだ。
そんな時に、"自分たちが決めたんだ"は、大きな盾になる。
そうやって、何か向いてはいけないような槍が新メンバーに向いてしまった時に、大きな盾になって守る為にも、この決断をしたような気がしているのだ。
伝統
もう一つ、投票という側面とは少し外れてしまうかもしれないが、
このプロジェクトは伝統を壊すことになるのか?について考えてみる。
確かにこの会社にはJr.がいて、大半のアーティストが、長い下積み時代をJr.として積み、やっとデビューの切符を掴み取る
だから、こんな風にそのルールが壊されていくような感覚がやるせない人もたくさんいると思う。
私も好きなJr.のグループがいる。だから全くわからないわけではない。
あとは、外から入ってくる人の素行や礼儀などを不安視する人もいると思う。
歌やダンスが出来ればいい話じゃないし。
実際番組が始まってみてどうだろう。
むしろうちの会社が長く選ばれてきた理由を丁寧に説明してくれているかのような映像に見える。
経験者であろうと、なぜだろう輝きが違う。見せ方を知らないのだろうか、覚悟が足りないのだろうかと考えさせられながら
彼らが長きにわたり輝き、人々を笑顔にさせてきたことがいかに大変で尊いことであったのか、ドキュメンタリー全体を通じて伝えてくれているようだ。
会社の存在自体が危ぶまれるこの時代に。
私自身改めてJr.やこの会社のアーティストのクオリティの高さに尊敬している。
だから、これは確かに"新しい試み"であると思う。
だけれども、それは会社の良き伝統を壊してしまうものではなく、むしろ世の中に広く会社の伝統を伝えるものであり、
また、途中から加わるには、伝統を背負う覚悟がある者でなければならないこと、timeleszはそんな仲間を本気で見つけようとしてるんだということを、魂を削りながら伝えてくれているように私には見えている。
逆にいうと、元々会社に所属している人だって、なかなか派手な私生活を送っているらしい人も散見するし、デビューして数年でパッと辞めてしまう人だって少なくない。
だから、うちの会社の人だから大丈夫なんてこともないと思う。
ファンにできることは、選ぶことや、気持ちをぶつけることではなく、いつだってたったひとつ。
"信じる"ことだけなのではないか。
と私は思っている。
何者でもない
ファンはファンなりに人生を賭けてtimeleszを応援している。
だけど、残念ながらそれ以上でもそれ以下でもない。
それでも、ファンがいなければ、彼らは仕事を続けられない。
だから、彼らが私たちを大切にしてくれているように、一人一人大事な存在ではあると思う。
だからといって、自分の思い通りにならなかった時に、マイナスな言葉を誰彼かまわず発信していい理由にはならない。
自分の悲しい気持ちや、行き場のない怒りを彼らに伝えて、受け止めて欲しいと委ねるのは傲慢だと思う。
自分がどんな心の状態であれ、それは人を傷つけていい理由にはならない。という人としての話でもあって、
つまり、アイドルとファンだからじゃない。友達や家族が相手だってそう。ただ、みんな同じように傷つく心を持つ人間であるというだけだ。
私がもしどこかに牙を向けないと自立していられないほど傷ついたあなたの友人だったら、抱き合って一緒に泣いたのに。
顔の見えないあなたを、
抱きしめることはできない。
好きなものや、関心のあるものは同じはずなのに、同じように笑ってひとつのものを楽しめない世界がやるせないなと思う。
でもまあ、人によって感じ方や考え方が違うのもまたこの世の定め。時が解決してくれるのを待つだけかなと私も私で自分自身を慰めるのだ──。
始まり
さきほど、ふとした時に私の頭はこんなことを考えていた。
「新しいtimeleszが始まったら──」
そして、ハッとした。
timeleszを応援していて、始まりを感じるような節目に立ち会うのは初めてであると気づいたのだ。
なんなら会社のグループの中でもなかなか味わえない感覚のように思う。
それが晴れ晴れしい門出であっても、別れとはやはり終わりのイメージの方が強い。
反対に新しく加えるというのは、プラスであり、始まりのイメージが強いのだ。
私たちは"始まり"という1つの希望を抱きながら彼らを見守ることができていること、実はもっと尊んでも良いのではないか?そんな気がしてきた。
そしてこの考え方は彼らがこのプロジェクトをはじめた理由でもあるように感じている
理由
デビューしてからずっと会社の方針に翻弄されながら、なかなか5人で揃うことも叶わないまま、マリウスが卒業し、健人が卒業し、
彼らからしたら、
長い間希望を持って応援して欲しい
そう願うこと自体、酷にも感じたのかもしれない。
だから、絶対に大きな夢を叶えて、応援してくれたファンに後悔させない結末を作らなければならない
と、考え実現したいと思った時に、それにはもう正攻法で人気が爆発することはなかなかに困難であることは悲しいかな現実そのような気もする。
だから、新たな希望である"始まり"をつくることが夢を叶える最後の挑戦であり、最たる手段と考え、
それが新メンバーオーディション、「timelesz project」だったのではないだろうか。
それはもちろん、自分たちの夢を叶えること、自分たちのためのように見える。
だけれどもこの世界、攻めなければ、守れない。
大きなチャレンジをすることで大切に育ててきた「timelesz」ひいては「Sexy Zone」を守ることができ、それはつまりファンの大好きなものを、夢を守ることにも繋がる。
もちろん3人でもカッコいい。当の私だって、先ほど、becauseの特典に付属していたライブのダイジェストを見ながら、
『もう3人で最高だよ…新メンバーいる?』と、テレビに話しかけていたところだ。
だけれども、その気持ちと同じくらい新しい形のtimeleszが見たこともないような夢の道を駆け抜ける姿を、まだそれが奇跡のような薄らとした想像だったとしたって、思い描かせてもらえることを、ありがたいことだとも思うのだ。
timelesz最初で最後のシングル曲「because」
歌番組で「君こそ理由だよ」と歌う時カメラ目線で熱視線を送ってくれる。勝利が。
理由。
その前にはいろんな言葉がつくと思う
アイドルを続ける「理由」
オーディションをする「理由」
愛する「理由」
生きる「理由」
前につく言葉はわからない。
そして真意もわからない。
だけれどもコチラを見て「理由」なんだと伝えたい気持ち、それが全てのように思う。
それは本当にささやかなことなのだけれど、ファンとアイドルって本当はそんなささやかなサインを尊ぶ愛を楽しむもののように思う。
だから私はこれからも、それが些細なことだったとしてもただ"信じる"を続けたい。
それが私の彼らへの愛だ。