私の音楽
こんにちは、Myuです☺︎
今回は、私の音楽歴について話します。
音楽と出会い、今年で14年になります。
音楽との出会い
私が音楽と出会ったのは4歳の時です。
歌うことが大好きで、街中で流れている歌をよく
歌っていました。そして、テレビで自分と同じくらいの子がブルグミュラーのアラベスクを弾いている姿を見て、自分もこの曲弾きたい!と思ったのがきっかけです。
そこで、5歳の時に、ヤマハ音楽教室の幼児科
コースへ入りました。
たくさんの友達とエレクトーンで演奏したり、
歌ったり、発表会で大きなステージに立ったり、
とても楽しかったのを今でも覚えています。
ピアノを始めたきっかけ
私がピアノを始めたのは8歳の時です。
幼児科コースを卒業すると同時に、個人でこれからもエレクトーンを習うか、新しくピアノを個人で習うかの選択をしました。正直とても悩みましたが、ピアノなら今後たくさん可能性が広がるかもしれないと思い、母と相談した結果、ピアノを
個人で習い始めました。
小学校時代
私は小学校の時はピアノをたくさん頑張っていた訳ではありませんでした。むしろ、すごく嫌いでした。なぜ嫌いだったのか覚えていませんが、、
しかし、頑張ろうと思ったきっかけが2つあります。
1つは小学4年生に初めて挑戦したピアノの
伴奏オーディションです。友人の誘いで受けました。このオーディションを受けた人が、私と私よりもピアノが上手い人2人のたった3人だけでした。私はこのオーディションで落ちてしまいました。それがとても悔しくて、、ここからもっと ピアノ頑張りたいと思うようになりました。
そして2つ目。小学4年生の時、祖母が音楽療法について教えてくれました。
「こういう職業、Myuに合ってると思う」
大好きな祖母から言われ、将来の夢への気持ちがますます大きくなりました。
中学時代
私の強みはピアノが弾けること。
それを最大限に活かすことができたのが合唱コンクールでした。私よりピアノが上手い人なんて
たくさんいる。
だけど、「合唱コンで絶対に3年間ピアノ伴奏やる。」中学入学と同時にそう心に決めていました。
(結果、3年間ピアノ伴奏できました🙌)
大きな挫折
私は、自分のピアノ人生の中でとても大きな挫折をしました。
中1〜中2の春休みに初めて出場したピアノのコンクール。恥ずかしいことに、この出来事が起きる前は自分の演奏にとても自信がありました。しかし、コンクールに出て、周りの人たちのレベルの高さに圧倒されてしまい、自分の演奏に完全に
自信がなくなってしまいました。
この日から、(すごく失礼なことだけど)誰かに
ピアノを褒められてもそれが全て
お世辞に聞こえてしまう。合唱コンの伴奏以外は
ピアノやりたくない。そう思っていました。
中3の合唱コンクール
私は、3年目の合唱コンの伴奏をやりました。
飯沼信義さん作曲の「名付けられた葉」を弾きました。中学入学当初、伴奏を3年間やると決めていましたが、今回だけは悩みました。
まず、クラスに合唱コンの伴奏経験者が私含めて3人いること。(弾く人は2人のみ)それに、
高校受験がんばる為に夏休みに塾を変えたこと。遅くても二学期始まるまでに受験勉強と両立しながら譜読みを終わらせなければいけない。。。
実は譜読みがすごく苦手な私にとって、この曲はとても難しい曲でした。なんとかして伴奏者に
なることができましたが、その後が大変。
いろいろあって指揮者と初めて指揮伴合わせしたのが本番の数週間前で何度も話し合い・練習したり、歌と合わなくて何度も心が折れそうになったり。本番では、人生でベスト3に入れるくらいに緊張しました、、。
それでも、最後まで励ましてくれたのがクラスの仲間たちでした。最後は優勝に終わり、
「伴奏者がMyuでよかった」と言われてとても
嬉しかったです。
ピアノをやってて本当に良かったです。
あるピアニストとの出会い
私は、中3の時にあるピアニストと出会いました。
彼女は中3のGW明けに転校してきた子です。
「ピアノで全国大会レベルの子が来る」と噂で
聞き、びっくりしました。しかし、私は彼女と
出会って自分の音楽人生が変わりました。彼女と出会って良かったと心の底から思っています。
私が初めて彼女のピアノを聴いたのは合唱コンの時でした。彼女は松下耕さん作曲の「言葉にすれば」を弾きました。
なんと!他の伴奏者とは違い、歌いながらとても楽しそうな笑顔で弾いていました。
私は彼女のその演奏にとても心が動かされました。ピアノってこんなに楽しそうに弾けるんだ!そう思い、私も彼女のように周りも楽しんでくれるようなピアノ演奏がしたいと思いました。
(この話は長いのでまた今度、、)
高校時代
高校は普通科の学校へ進学しました。
また、何か新しいことを始めたいと思い、ダンス部へ入部しました。
高校では、音楽・美術・書道の選択があり、
もちろん3年間、音楽を取りました。
高1
担任の先生と進路の話をした時。
私はやはり音楽の夢、音楽療法を諦めることが
できませんでした。
それを話したら、音楽療法は副業にして他の職業を本業にするべきと言われました。
実際、音楽療法士をしていらっしゃる人は音楽療法の仕事の他に看護師や介護士などの仕事を本業としている人が多いのです。
私は医療系にも興味があったので将来は
看護師+音楽療法士になろうと決めました。
高2
高2では、看護の勉強をする為に理系の道に進みました。勉強をがんばる為に、5歳から通っているピアノ教室も辞めてしまいました。
しかし、理系の勉強をするにつれて自分は本当に心から看護師になりたいのか?という疑問が
湧いてきました。
音楽療法の仕事をしたい、でもそれだけでは生計が立てられないから看護師になる。それはどうなのか。
そこで、自己分析をしました。自分が本当にやりたいことを見つけるために。そしたら、最終的にたどり着いたのがやはり音楽の道だったのです。
やっぱり自分には音楽しかないんだって。
そこで、高2の冬に音楽関係の大学をたくさん
探しました。しかし、音楽の大学となるとほとんどの大学が一般科目に加えて音楽科目(楽典・ソルフェージュ)の勉強が必要でした。それがわかった時、
いちばんに頭に思い浮かんだのが部活動でした。
私は、今までピアノしかやったことがなかったので音楽科目を学びながら、一般科目の勉強しながら、ピアノの練習しながら、ダンス部の文化祭の公演の
練習するということを想像しただけでとても大変でした。
ダンス部を辞めたくないけど辞めなければいけないと思い、両親と部長に「部活を辞める」ことを話しました。言うにはすごく勇気がいりました。
部長に言った後、やっぱりもう一度考え直したいと思い、しばらくこれからのこと考えました。
高3
ある時、ピアノ(自由曲1曲)と作文だけで入学できる大学を見つけました。オープンキャンパスに行くと、
ここでは芸術を学ぶ人しかいないキャンパスなので自分に合ってるかもしれない、基礎から音楽を
しっかり学べるかもしれないと思い、第一志望にしました。そこで、ここまで続けてきた部活動とピアノを両立してがんばると決めました。
ピアノのレッスン
ピアノのレッスンは、父の知り合いに音大出身の方がいるのでその先生に教わりました。
主に、6〜10月はじめまで週に1〜2回の4時間
ほどのレッスンをしました。
高3の夏休みは、ダンス部の文化祭公演の練習+ピアノのレッスン+ピアノの練習で
予定がいっぱい。だけど、自分で決めた道なので
がんばることができました。
レッスンでは、苦手な小節を右手・左手・両手と各50回ほど弾く練習をしたり、とにかくゆっくり丁寧に弾くことを心がけて練習したりしました。
こんなに1曲に対して一生懸命になったのは
多分はじめて、、その他にも先生とたくさん音楽の話をしました。
先生のレッスンのおかげで無事に第一志望校である音楽科の大学へ合格することができました。
現在と今後
現在は、音楽の基礎を中心に日々、音楽の勉強やピアノの練習に励んでいます。
大学に入り、ピアノだけでなく、他の楽器の友達に出会ったり、新しいことを学べたり、音楽に
囲まれた生活を送っていてすごく幸せです。
大学生のうちにたくさんの音楽活動したいな〜!
まずはずっと通ってきたヤマハの講師の資格を
大学生のうちにとりたいです。
長かった💦
ここまで読んで下さりありがとうございました☺︎
Myu