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遊戯王SEVENSありがとう!感想雑談生台本

どうも!”自称”アニメ遊戯王キャラクターの僕乃他案です。
先の3/27、とうとう完結した遊戯王SEVENS!
本配信は、私たちを楽しませてくれたかの作品を祝いつつ、
SEVENSについての思いのたけを打ち明けていきましょうというものです。

〇最終回
まず特筆すべきは冒頭のデュエル、静と動の対比です。
迫力満点のデュエルの最中(中断しているときに)静かな雰囲気で始まったので、ギャップで引き込まれました。
”特別な瞬間”を作り上げる演出として本当に見事なチョイスだと感じました。
デュエル内容についても、サンダーボールド・ミラーイノベイターやエースブレイカーと、オーティス戦では不採用となったが遊我のデュエルを支えてきた準エースたちからの、魔剣士アンサラーと風精の加護といった初期の初期、最初の構築済みデッキのカードも手札に写り、ルークも手の内を推測するといった、これも「迫力」だけでない”総決算”の魅せ方で唸りました。
このデュエルをみると、遊我はSEVENS内でも本当に珍しい属性種族混合デッキだと感じます。
同じセブンスロードを持つオーティスですら”闇魔法使い”に統一していますし。
販促の面ももちろんあるのでしょうが、オーティス戦のような”仲間の力”という多様性感を個人だけで出せているのだなーと…。
そして両者とも、代名詞ともいえるエース(セブンスロードとドラギアス)不在なのにエース召喚する、という覆し方!
ルークは幻影ルークも絡めた赤いドラギアスという破天荒さ。
対して遊我はIDカードの書き換えと、重要な場面でこれまで何度も行ってきたやり方で行うというロジカルさ。
幻影ルークについては後にまた話題に出しますが、要素として拾いはしたけど「いや結局何??」という分からなさも破天荒さ、何でもあり感に寄与しており、ここはうまく化学反応が起きたなと感じました。
ドールについてもオーティスとのちょっとした会話だけでグッと解像度が上がったの凄いですよね!
こういう「煙に巻く」拾い方と「匂わせ」のバランスが絶妙で、もちろんちゃんと全部説明されればそれはそれで嬉しかっただろうし見たい気持ちもあったのですが、こういう風に成立させたのは本当巧だなと…。
最後、ルークを巻き込まないためにセブンスロードマジシャン(IDカード)を託してオーティスの元に向かう遊我とそれを引き留めるルーク。
挿入歌と遊我・ルークのセリフ、声優さんの熱い演技で本当に見ていてグッとくる場面でした…。
時間が飛んで2年後、ルーク学ランとっても似合っていて、屋上でふてくされているのも(こういっては失礼かもですが)本当に雰囲気がマッチしていて「うわっ素敵!」と思いました!そしてそんなルークが見つめるセブンスロード。
遊我の帰還と同時にIDカードに戻り、デュエルディスクもラッシュ使用になるというニクい演出!
見終わった後「はぁ…」と思わず息が洩れ、喪失感も合わさって放心しちゃいました。

〇尺不足
SEVENS、特に最終章となる「デュエルの王」編はやはり尺不足をひしひしと感じましたね…。
パッと思いつく限りでも、
・記憶喪失編のガクトネイルアサナが一片にまとめられたこと
・ナナホ、ひいては裏七星の不明瞭さ
・ゴーハ・ユウガ(グルグル)の顛末
と、急いでいる感は否めなかったよなと思います。
その他個人的にも「自由を維持するためのコスト」と「大人と子供」、ひいては遊我への最後の課題がちょっと有耶無耶になったのかな、せざるをえなかったのかな…?と勝手に考えています。

まず、ガクトネイルアサナが一片にまとめられたことについてですが、これは各キャラクターの”格”を考えるとそれぞれ1話単独でお話貰ってもおかしくないハズです。同時に状況が進み、デュエルが開始するというスピード感は気持ちいいものがありましたが、やはり肝心の「記憶が戻る」、大事な思い出がフラッシュバックする場面も、ちょっと意地悪な感じ方ですが「頑張って処理したなあ」という気持ちもちょっとありました。
ただ彼ら3人については「成長前に戻り、遊我達にとって好ましくない成長をした」というくくりなので、同時進行で一遍にまとめた判断も普通に分かります。
記憶喪失組は基本的に「答えは得た・もう既に得ていた」という解決です。
ガクトネイルアサナについては単純に記憶と共にそれを取り戻し改めて自身を定義する、というチュートリアル。
ロアは実は記憶を失ってはいないがこれを機にリセットしたかった、しかしファンからの声援で初心を取り戻すという変化球。
最後のロミンは応用編で、記憶は復元したうえで”答え”を取り戻すのを邪魔している罪悪感を、恩師とのデュエルで乗り越えて独り立ちする…という流れです。
ここのチュートリアル部分(こういうとめっちゃ失礼ですね)は何回もやる必要はないだろうということですね。

次は裏七星ですが、これについては省略されたのだろうという推測はあまり異論はないのではと思います。
ゴーハ・ユウガ復活のために暗躍し、復活後は彼に付き従っていたのも関わらずあっさりと見捨てたこと。
社会を混乱させるというボンヤリとした目的しか判明しておらず、言うなれば単なるパブリックエネミーとしてしか人物像が掘り下げられなかったこと。
そして”遊我の幼馴染”というおいしいポジションかつ強い敵意を向けられていたにも関わらず、遊我の関わらないところで退場したこと。
もし裏七星との物語が描かれていたのならどんなお話になったのか、彼女たちの魅力ももっと見えたのだろうな…という惜しい気持ちでいっぱいですね。
ただ、最低限オーティスに一矢報いたのはうまいことやったなと感心しました。
(この騒動がなければ遊我も亜空間に消えることはなかったのかもですが)

次はゴーハ・ユウガですね。
彼のバックボーン、そして揺れる心については時間をかけて説得力ある描写があったかと思いますが、肝心の「ゴーハ社長6兄弟」として団結するに至る心境の変化は、それまでと比べてちょっと早送りだったかなと思います。
ゴーハ・ユウガのくだりは、攻撃的な性格と純粋な性格、グルグルで揺れる苦しみはしっかり描写され、オーティスの掌の上だったという真実のショック、それによるアイデンティティの崩壊、ここまでを踏まえて「自分の本当にやりたいこと」は何か…?という流れですね。
決定的な心境の変化、最後はあえて言語化するまい…というのは正直不満ではあったのですが、最終回の”あえて明言しない”、”語らない”ことによる深堀りが本当に絶妙で、これらを踏まえるとグルグルもこれくらいがちょうどいいのかな…?と感じました。

そして個人的に不足しているのではないか、と感じた部分「遊我への最後の課題」、「自由の維持コスト」と「大人と子供」について、私の考えを話していきます。

〇「自由の維持コスト」
SEVENSは基本的に自由を奨励しています。(勿論ラディカルな無政府主義ではなく常識的な範疇でですが)
主人公である遊我はキュークツなドローンによる監視社会、キュークツなデュエルを改善すべきと考え、ルークらと共に実行に移しました。
それからもどんどん他のキャラクターも影響しあい成長していき、
・規律や伝統に縛られないこと
・進化していくこと
・自分の夢、好きなことを諦めないこと
などといったSEVENS内での到達点に至ります。
遊我もその方針で行動していき、「オリジナルデュエル開発ロード」という「自由なデュエル」を実現する最たるツールを配布します。
が、ここで問題が発生します。
ルール同士の対立と、ルール乱立によるシステムのリソース圧迫です。
ルール同士の対立についてはゴーハ・ユウガに扇動された結果ではありますが、誰もが好きに思想を持ち行動するとなったら、衝突の発生も考慮しなければなりません。
また、誰もが自由に行動する・できる社会を成立させるのならば、それを裏で支える仕組みやリソース管理は必要です。
自由を奨励してきたけど、ではその自由によって社会的な不利益が発生したときの対処、また自由を維持するためのコストはどう支払っていくのか、という問題に結論を出すのが「遊我への最後の課題」だったのではないか、と感じました。
そしてこれは「大人と子供」というもう一つのテーマにも関わってきます。

〇「大人と子供」
記憶喪失編への言及でも話題に出しましたが、
・規律や伝統に縛られないこと
・進化していくこと
・自分の夢、好きなことを諦めないこと
という自己の再定義をしていくと同時に、ロミンで恩師を打ち破りソロ曲を披露するという”独り立ち”を描きました。
そしてその次にルークにも「独り立ち」のテーマを描いています。
ルークはタイガーには弱く、苦手意識を強くもっていたこと。
また、ルークはタイガーから「そういうことは一丁前になってから言え!」と家からの自立を否定されていたこと。
実はこのような課題を抱えたままだったが、この腕時計の一件でのデュエルにて、
「現実を見ろ」という問題定義から「それでも!」という意思表示で「夢を掴むんだ」という決意を確固たるものにします。
ここでの問答を乗り越えた精神的な成長と姉に初勝利したことで、歯車にならない自分のドーロを進む、という言葉に説得力を持たせたのです。
で、ここまでは精神論の話です。
ガクトネイルアサナ、ロアとロミン、そしてルークへと繋いだこのテーマに
「では結局現実的にどう実現するのか?」という問いに解を出すのが遊我で、それが先の「自由の維持コスト」に繋がったのかな…?という考えです。
そしてその答えの出し方に「大人と子供」を絡めるのではないかと。
ルール乱立によるシステムのリソース圧迫の件では、途中までオーティスがリソース管理していましたし、「社会の歯車になりたくないとは言うが、デュエルを救ったのもまた歯車」というギャバンの言葉を踏まえると
「歯車、つまり現実的にどう問題解決するか、という手段を用意できるのが大人」なのかなと思います。
子供は遊びの王様で、大人はそれを実現するべく守る存在、という解釈ですね。
オーティスとの対決に勝ち、デュエルを守った遊我は
デュエルの王、遊びの王様であるのと同時に、それを成し遂げたことによって「子供であるのと同時に大人」という存在になったのかな…?と。
そしてその「子供であるのと同時に大人」なのは遊我と、それと対照的なオーティス、みたいな構図をなんとなく妄想していました。

〇サムネ振り返りコーナー
〇最後に
この度は、本配信に来てくださり誠にありがとうございます!!
この配信がどこか良いなと感じてくださった方は、高評価・チャンネル登録していただけると大変励みになります!
SEVENSの一口感想を続けてこられたのも、もちろんSEVENSがとても面白かったからというのもありますが、視聴してくださっている皆様のお陰というのもまた大きな要素です。
遊戯王SEVENSという気持ちの良い作品に出会えたこと、そして皆様に出会えたこと、感謝の至りでございます。
私の感じたこと、考えたことによって、皆様がSEVENSについて何か考えたり気付いたりするきっかけとなれたのならば、これほど喜ばしいことはございません。
重ねて、本配信のご視聴、まことにありがとうございました~!

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