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あなたは本当にすごいよ。
ただ素直に褒めていればよかったんだなあ、と最近つくづく思っていることがあります。
かつての私はどこかで男性に負けたくないという気持ちが結構ありました、いや、あるとは気づいていませんでした。
これを内側に抱えながら、夫の会社に仕事を手伝いに行ったとき、
「そんなんじゃダメですよ。
こうした方がいいです。」
などの言葉を男性が私に言うと、
「そうなんですね、分かりました!」
と即座に返答して従うもそういうことが続くうち、次第になんかよくわからない、薄っすらとしたモヤモヤを私は感じていました。
スキルのない私がスキルと経験のある男性から、「こうした方がいいんです、こうしてください。」と言われるのは何もおかしいことではない。
でも、なんか上に立ちたい、俺の方が上だ、というような、圧のような、権力のようなものを振り翳したい行動が(何なら言動よりも)端々に見られ、そんな態度や言い方しなくてもいいのになあ、と感じることがありました。
もちろん、全くそんなことを私が感じないで、一緒にいられる男性もいます。
でも、ある一定数、俺の方が上だぞ!というものを感じさせたい男性がいる、とも感じていました。
夫にそれを話すと、
「弱いんだよ、男は弱いしね。
そうやって、やらないといられないんだろう。
そうね、そうね、ってやっておけばいいんだよ。
そもそも女性の方が強いんだから。」
と言われ理解はできたものの、釈然としない思いもありました。
が、その後自分がセラピーを受けていたときに、
「うわ!私は自分の過去の傷から、男性に負けたくない、何ならやり返したい!という、こんな思いを実は抱え持っていたのか。」
ということに気づいて、私自身が愕然としたことがありました。
それから、似たようなことがあったとき、「あなたも傷ついてきたのね、癒されますように。」と観れるなあと思っていたら、そういうことがほとんど起こらなくなりました。
例えば、夫とのやりとりで以前の私だったら
「私だって!」
と謎の闘いモードが発動し、夫の言い方ややり方に反応し、張り合うような気持ちがあったのが、
夫が何か自慢げに言ったりやったりしていても、
「本当にあなたのそういうところすごいと思うよ。尊敬しているよ。」
と素直に言えるようになりました。
それは、何かモヤっとしたとき、
「あっ、これは私の傷の発動かも」と気づき、
「私が癒されますように。夫が癒されますように。」
と祈るうち、気づいたら変わっていました。
自分が傷ついたままの状態にあるとき、目の前の人の素晴らしさより、自分の傷(負けたくない気持ちなどに)フォーカスがいってしまうので=闘いモード、尊敬したり褒めたりする余裕がなくなってしまいます。
が、それに気づいて癒されると、シンプルに人の素晴らしさにフォーカスがいくので、
「あなたすごいね!本当だね!」
とスッと言えます。
夫には相変わらず、小さな小言はまだ多いと言われていますが(笑)、闘いモードで張り合うことがなくなったので、「あなた怒らなくなったよねえ。」とかつての私との闘いを思い出して笑うことがあります。
「あなたは本当にすごいよ!」
自分が癒されて、こういう言葉がスッと言えるようになったとき、私たちは自分のすごさもどこかで認められるようになっているのかもしれない。
こんな私の気づきがどなたかの気づきになればなお嬉しいです。
みんなが癒され、
それぞれの素晴らしさを認め、
素直に表現できるよう、
お祈りしています。
お読みいただきありがとうございます。