死にそうなほど今を生きてる
クリープハイプのニューアルバムがリリースされてから1週間が経とうとしている(書き終わる頃には1か月が経とうとしている!)。わたしは寝る間も惜しんでひたすらアルバムを再生し、わたしなりの歌詞の咀嚼を楽しんでいる。リリースされてから、どんな空想がこめられているかに思いを巡らせる、この時間が堪らなく幸せだといつも感じている。
わたしがなぜ、このようなnoteを書いているかということを綴らせて欲しい。わたしは今、大学四年生。就職活動を終え、嫌いな人と縁を切り、これまでやりたかったことだけをやることができる、そんな幸せのなかにいる。私がやりたかったこと。好きな人と時間を過ごすこと、好きな音楽を聴くこと演奏すること、好きな場所に行くこと、綺麗な景色を見ること、本を読むこと、人生を考えること、将来に向けて知識を付けること、そして、文章を書くことである。昔から本を読むことが好きだった私は、特に言葉に目がない。綺麗な言葉、感情むき出しの言葉、寄り添ってくれる言葉、たくさんの心震えるフレーズに心を奪われてきた。そんな言葉を私も紡ぎたい、そんなことを考えていた。
このクリープライブライナーノーツの募集が来たのは、そんな時だった。私が支えられたクリープハイプに、支えられた気持ちをのせた言葉が届くなら…と、そんな思いでこの文章を書いている。
私がクリープハイプに出会ったのは、高校三年生の冬。一緒に勉強している時に友人がラブホテルを聴いていた。なんだその曲は。どうしてそんなタイトルばかり付けるのか、とあっという間に虜になった。今は彼よりも私のほうがクリープハイプを聴いている。
出会ってからまだ日が浅すぎる!とは自分でも思うが、本人に直接感謝を伝えたいくらいに私はクリープハイプに支えられている。そんな一部を表現できたらと思う。
アルバム一曲目である、「ままごと」のイントロ。いや、イントロとは呼ばないのかもしれないが、最初のはじまりの一音目で心臓のドキドキが止まらなくなる。音はもちろん、「このままそのまま二人でいよう」というフレーズにも心拍数が上がる。
「人と人と人と人」この曲も私の心をくすぐる。もうすぐ2024年が終わる。この一年、私は人との繋がりが洗練された年だった。離れても、繋がるべき縁は必ず再び繋がる。そんなことを感じさせられた一年だった。距離や頻度が大切なのではなくて、その後の関わり方が大切。人を思うことにはたくさんの種類があって、だからこそ、話さなくても知らない人でも支え合うことができるのだ。人と人と人と人がまだ出会わないことで生きている街で、今日もたくさんの場所に出かけて行きたい。
「センチメンタルママ」睡眠時間が心と体の健康に何より欠かせない私は、一日に七時間睡眠は欠かさないようにしている。朝6時からのバイトをしていて、夜の予定が長引いてしまう(もしくは盛り上がりすぎて飲みに直行)なんてことになってしまうと体が限界を迎える。そんな日が3日4日続くと、数分を睡眠時間に充てることになる。その数分の睡眠時間が貴重すぎて、体に染みわたる時間すぎて、生きていることを感じる。
1日にいくつも予定を入れすぎて、なんでこんなに生き急いでるんだろうと自分でも思うけど、思い返してみれば、大学生活の目標は「やりたいことを全部やる」だったわけで。1年2年は勉強、授業、バイト、サークル、遊び。3年は就活に全振りしながらカフェや友だちと時間を過ごして。4年になってようやく就活が上手く行き始めて決着つけて、好きな友だちが増えたり、大切にしたい人か分かってきたり、楽しいことを全力で楽しめたり。〝常に「今」を全力で取り組めることが(母校の学生)の良さ〟という恩師の言葉がずっと心に刺さっていて。「今」を全力で…ということはとても素晴らしいことだけど、「今」に目を向けすぎて、無理して限界になってきたことたくさんあるな。ちゃんと先を見通しながら、全力で進める人間になりたいと最近は思う。見通しすぎてつまらない人間にならないように。
「天の声」なんとなく死にたい夜、なんとなく○○にさいなまれる夜がある私たちにとって救いになるこの歌をラストにおいてくれたこと、とても愛しくなる。今、もうなにも怖い事はないというくらい、最後の学生生活を謳歌しているのであるが、それでもなにかに心が苦しくなる夜がある。そんなところから救い出してくれる、クリープハイプの曲をこれからも抱きしめ、抱え、生きていきたい。
2024年11月16日。横浜Kアリーナ。
久しぶりに聴いた尾崎さんのMC、泣きそうになってしまった。これからもネガティブで、最高のバンドをしていてくれたら、私たちもがんばれます。
ギリギリセーフ。クリープハイプのみなさんへ、届きますように。