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過去は癒せるのか②

過去は癒せるのか①

前回からのつづき。
(最初から長くなりそうな予感…)

まずは、タイトルの問いに対して、自分なりの答えを出してみた。

自分と過去を許し続けることで、癒される過去はある。(いちばんいいのは過去に囚われないこと)

人はそれぞれに事情があり、環境が違えば得意不得意も違う。そうなると、見たい(見えている)世界も違うだろう。

もしも、みんなとわたしの見えている現実が同じだとしたら、一生消えない傷を負ってしまった人たちが存在している。

なので、ここからは、その気になれば癒せる過去があるという話をしていきたい。

具体例はわたしのウザい話になってしまうことをどうか許してほしい。

もうバレバレだとは思うが、わたしは劣等感コンプレックスが酷かった。家も裕福でなかったし、がんばっても出来ないことが多い。そして超がつくほどの敏感さん(HSP気質)。自分のほしい能力を持っている人を見ると尊敬と同時に胸の痛みを感じる。

いまもドンと落ち込む時はあるが、そんな自分も自分だと受け入れてからは水に流す時間の速度が上がった。

あるがままを生きる。

その昔は親やまわりのせいにしていたし、気がつくと「許せない」とか「どうせ、わたしなんか」と、さらにネガティブな言葉も当たり前のように吐いていた。

責任転嫁をしたところで、何も解決しないし報われない…そんなんだから、なんどもなんども壁にぶちあたった。

「どうやったら過去や未来に縛られずに、もっと自由に生きられるのか」

さらにさかのぼると、小学四年の時には「人は死ぬのになぜ生きるのか」といった内容を文集に載せていた。大人になってからも人の心理や哲学的要素の多い文章、精神世界に興味を持つようになり、タロットと出合う。(学術的でむずかしいものは苦手)

ながい人生を振り返ったとき、もがき苦しんだ経験はそれぞれがひとつの点(結晶)となり、また次の点と結びつき、やがて線になることに気づいた。それからは、また次の目的地をゆっくりとあわてずに探す余裕が出来てきた。

『過去はもう、ここにはない。だから、もうそろそろ手放そう』

生きづらくて社会から距離を取った時期もあるが、それでもなんとか生きている。

おそらく、
生きている意味なんて、ないに等しい。

それでも意味を見出し、過去の経験をどう活かせばこの先が変わり出すかと創造する力によって傷は癒される。と、わたしは信じたい。

空白(ブランク)を空白のままにしない。

もちろん、過去と向き合うことで傷がさらに悪化したり身近な人に迷惑をかけるパターンはある。だから、無理に向き合う必要はないし安易な行動は賛成できない。

それでも、
体感して思うのは…

悩むことや出来ないことはそんなに悪いことではない。

ここで②は終わる。
(いつか続きがあるかもしれないパターン)

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