最期
2020年10月30日 午前7:58分頃
祖母が亡くなった
7:16
本当に急だった朝電話が鳴ってipadのほうにも着信が出るので見たら病院から
前みたく少し元気になると帰りたくなる衝動が出て柵から落ちたのか?と思い、電話に出ると看護婦さんから「いま呼吸してません、今すぐ来て欲しい」と言われ寝起き1発まだ寝てる頭を動かし呼吸が止まってるってなんだ?と思い叔父さん電話して迎えきてもらって病院へ
7:45分頃
酸素マスクかなにかかろうじて生きてるかと甘い考えをもってたけど病室に着いた時はもう口を開け目をつぶった祖母がいた
夢か何かと思ったまだ夢の中かあなんてアホなことを考えいつも私の手は冷たいから触ると祖母が冷たい手してんねって言って反応があるから祖母のおでこ触ったり手触ったりしたけど目は閉じたまま
まだ温かい本当に亡くなった直後だったようで
両親の死に目も祖父の死に目も見れてなかったからこの人の死に目だけは一緒にいたいって思ってたけど叶わなかった
私は弱虫だから3〜4日前に祖母の前で死なないでほしいずっと一緒にいてほしいて言ったらずっと一緒にいるし1人になんかしないわよ長生きだからごめんねって言ってて年越して一緒に買い物行こうねって喜んでたのに
看護婦さんが来て昨日元気だった人がいきなりということで看護婦さんも違和感を感じてCTを撮りに
原因はクモ膜下出血だった
生きてる時に祖母の母親がクモ膜下出血で亡くなった事、家系が高血圧で頭にくる病気が多いし祖母自身も便秘で高血圧になるから便秘薬でうまくコントロールしてた
高血圧に頭痛だった可能性
ご飯を食べてないから便は溜まってないて過信していた粉にしてでも便秘薬を飲ませればよかった
看護婦さんに私らが帰ったあとの状況を聞いた
夕飯にお粥が出て3分の1しか食べなくてもういいのよ生きていたくないという事を看護婦さんにも話していたらしい
そして高血圧と便秘の件を伝え薬を飲ましてもらったけど血圧は下がらなくて夜オムツ交換に来たけど濡れてなくて朝4時半頃来た時は交換、返事もあったんだって
だけど朝7時に血圧測定しに来たらもう呼吸は止まってたということ
話を聞いてる間ずっと涙が出てきて何がなんだかわからなかった病名だけは理解できた
入院前日に入院手続きしてる時看護婦さん複数とお話して点滴してる腕周りをいじくりまわして注意されてた人が翌日突然死
本当に頭が追いついていかなかった
それからすぐに祖父が世話になった葬儀屋に連絡トントン拍子で日程も決まって見積もりも出た
その間もずっと涙が出てくる何してても
もうあの声、姿、一緒に買い物も行けない、家に帰ってもただいまって言ってくれる人もいない
ただただ無気力
入院して帰る時にまた明日来るねって手繋いで少し祖母の手が冷たくてもうあんたしか居ないからって寂しそうに言ってたのが最後の記憶
生みの親の両親は小さい時に死別
なかなか育児放棄があって父親はかろうじて幼稚園送迎や休日にどこかに行ったりしてたけど母親はアル中で手がつけられない人で母方の祖父母宅に父親がいつも預けにきていたらしい
ほとんど学校行事は祖父母が来てくれて金銭面も祖父母が出してくれていた
だからほとんど祖父母に育てられたようなもので親と変わらない
25年間ずっと一緒にいた迷惑ももちろんかけたけど怒らなかった人の成長を見るのが好きで世話焼きでお話好きそんな人だった
家に帰ってきてから昨日まで寝てたとこを見たり入院前に貴重品預かっててそれを見たらまた泣いてしまった
本当にしんどい
祖母が健康な時に冗談半分で亡くなったら私と飼ってる猫も棺桶入るからねって言ってて長生きだからと言われたのも思い出す
90歳まで生きると思ってたし年金1000万分貰うつもりかと思ってた
90歳超えても杖つかないでバリバリ生きてけるようなそんな生命力があった人
2週間ほぼ飲まず食わずで入院前に検査したら採血結果ほぼ異常なしガンになる兆候なし超人かと思ってた
若い人といると若い人のエネルギーもらえるのよねて言ってたけど元気をもらってたのは私のほうだった
看護婦さんに一緒に暮らしてる孫の話するんだって自分が育てた割にはよく出来た孫だって
家がすごく寂しくなっていつもより寒い気がする
わたしもさびしいよ