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香港 #29

待ち合わせの時間より早めに空港に着いたのは、少しでもアンディに早く会いたい気持ちが体中に広がっていたからだ。空港のターミナルビルに入ってすぐにスマホで連絡を入れると、彼も同じ気持ちでいれくれた事がわかった。彼は私が着く30分も前に到着していたのだ。

待ち合わせの場所で落ち合うと、一緒にカウンターに行きチェックインを済ませ、続いて手荷物検査、出国審査を終えた。
彼は出発までの時間をゲート近くのラウンジで過ごしたいと、慣れた様子で私をエスコートした。

ラウンジに入ると、
「いらっしゃいませ、アンディ様」
スタッフの女性がとびきりの笑顔で挨拶をしたが、すぐ後ろの私に気付くと、ほんの少し表情が変化した。私には人の心の些細な揺れを感じたり、表情の微妙な変化を捉えてしまう癖があり、仕事ではそれを活かせて良い事も多々あるのだが、逆に疲れてしまう事も多いのが事実だった。
アンディはそんな事に気づいている様子もなく、
「こんにちは、お世話になります。いつものを二つ、あの窓際のカウンター席にお願いします」
と一番端の方の席を二本指で示した。それから彼は、私の腰に手を回すと一緒に歩いてそこまで連れて行き、椅子を引いてまず私を座らせた。その後で私の左にゆっくり腰掛ると、持っていた黒いバッグからPCを、次にUSBを取り出しそれをPCに挿した。
画面には先日彼に撮ってもらった私の写真が小さく何枚も映し出された。彼が一つずつそれをクリックすると画像は画面一杯に拡大された。
「本当にこれが私なの?信じられない!」
それだけ言うと写真の美しすぎる仕上がりに息を呑み、しばし口を噤んだ。
小さなクリック音がする度、また一つ、また一つと、別の画像が拡大されていく。
「こんにちは。私と別人の様な、私さん」
少し恥ずかしく、くすぐったい気持ちで画面に向かいそう言った。

「女は、メイクとヘアスタイル次第でとことん化けるもんだよ」と誰かが言ってたけど、あの日鏡で見た時以上に、私がここまで変身するとは思いもよらなかった。それに、それだけじゃない。写真の事を何も知らない私でも、これは写真家の優れた技によって生みだされた姿なのだとすぐにわかった。

出会ってからまだあまり時間がたっていなくて、彼の事はほとんど何も知らなかったが、もしかしたらただの写真家じゃないのかもしれない。もし、すごく有名な方だったらどうしよう。彼は私をずっと好きでいてくれるのだろうか?いいえ、そもそも遊びって事はないんだろうか?そんなことが心に巡ってきて、急に私は怖くなって俯いた。

「君は本当に美しいね」
その言葉に私は顔を上げ、すぐ側にいるアンディをみつめると、彼はとても満足げな表情でまっすぐ私の瞳を見つめ返してくれた。 
その数秒間を引き裂く様に、ラウンジスタッフが「失礼します」と声をかけた。
私達は少し照れたまま慌てて前を向いた。そのスタッフは、運んできた飲み物を静かに私たちの目の前に置くと、私をちらっと横目で見ながら
「どうぞごゆっくりおくつろぎ下さい」
と言った。
私が少し頭を下げ、彼が彼女の顔を見てありがとうと言うと、彼女はくるりと背をむけ立ち去った。
私はエスプレッソが来るのだと勝手に思い込んでいたので、小声で彼に、
「これ、ミックスジュースに見えるんだけど」
と尋ねると、
「そうだよ。ここのミックスジュースがとても美味しくて。君に是非飲ませたかったんだ」
と子供みたいな顔をして笑った。




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