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香港 #38

更衣室で着替えた後、一刻でも早く帰宅したかったが、ラム先輩がどこかで待ち伏せしているんじゃないかと気になり、ビクビクして鼓動が早まった。
部屋から出るのを暫く戸惑っていたが、やがて私は、細心の注意を払い、外に出るとすぐさまはタクシーに乗りこんで、アンディの部屋へ向かった。
走り去るタクシーの中、それにしても先輩は何故あんな事を言ったのか?とふと疑問が頭をよぎる。でも、それだけで、もう私は身の毛がよだつ思いをして震えた。



待ちに待ったアンディが撮影旅行から戻って来る夜だった。
香りに敏感になっていたので、料理するのは本当はとても辛かったが、アンディを喜ばせたい一心で彼の好きな料理を作った。また彼の好きなワインを、いつもなら彼が開けてくれていたが、今夜は私が一度挑戦してみようと、苦手なオープナーを使い、注意しながらとてもゆっくり回して、なんとかコルクを潰さず綺麗に開けた。少しドヤ顔で、またそれを栓にする為ボトルの口に戻すと、次に氷を沢山入れたステンレス製のワインクーラーに入れ、冷やした。

「ピンポーン」
チャイムが鳴ったので私は急いでドアを開けに行った。
帰って来たアンディは、ドアを閉める間も待てないといった様子で私を抱きしめると、会いたかったと何度もキスをした。しかし、すぐに私が少し痩せた事や顔色が悪い事に気づき、とても心配した。
私は、彼がきちんと見てくれているのを知ってたまらなく嬉しかったが、きっと気のせいだと思うと笑顔で答えると、彼にテーブルにつくよう促した。


アンディはテーブルに用意された食事に、一瞬少し驚いた様子だったが即座にとても喜んで、お腹がぺこぺこだからすぐにはじめたいと、ワインを私のグラスに注ごうとした。だが、私はその手をやんわり止めた。
「ごめんね、私はあっちにあるレモンペリエにしとくね」
と冷蔵庫を指さした。すると、彼はボトルをワインクーラーにいったん戻し、いつになく真顔になって私の瞳をまっすぐ見つめてきた。
「どうしたの、留守中何かあった?」

食事の後で妊娠の件を切り出すつもりでいたが、もう、彼をはぐらかせないと感じた。
「大事な話があるの、実は・・・」
言い淀んでしまった。
「優亜。悪い話じゃないよね」
珍しく彼がおびえているように見えた。

私はテーブルの端に置いていた封筒をとり、その中に入れておいたお医者様から頂いたエコー写真を取り出すと、両手でそっとアンディに差し出した。
「これは?」
アンディの顔がみるみる内に、満面の笑みに変わっていくのが見て取れた。
「優愛。子供!子供が出来たんだね!」
彼が私の手を取り強く握った。
「何かあったのかと凄く心配したよ。でも、僕たちの子供が・・・ああ、なんて幸せなんだ。優亜、夢みたいだ。嬉しくて嬉しくてたまらない。もう、踊り出したいぐらいに」
そう言うと手を離し、突然椅子から立ち上がった。そして私を彼の方に向かせて跪いた。
「優亜、どうか僕と結婚してください」
私の右手をとりキスをした。
「はい、お願いします」
即答した。


私は突然のプロポーズの嬉しさのあまり、涙が止まらなかった。
一人でずっと悩んでいた、私の中にあった不安の一つ一つが一瞬で消され、体の力がスッと抜けるのを感じた。

アンディは、椅子に座ったままの私に覆いかぶさるように抱きついて喜んだ。
「それにしても、今夜の夕食のどのお皿にも、くし切りのレモンが大量に添えられてるのが何かひっかかってたんだけど、きっと妊娠のせいだったんだね」
と彼は笑って、私をも笑わせようとした。そして、
「次の二人の休みの日に、まずは、僕の祖母の家に報告に連れて行くから、そのつもりでいて。とりあえず、夕食にしよう!」
そう言った。


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