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香港 #31

家に帰宅した私は、ムっとまとわりつく空気をすぐさま消したくて、エアコンを最大風量で入れた。そして日本の祖母に無事到着したと報告の電話を入れ、それに続いてラム先輩のLINEにメッセージを入れた。
”ご心配をかけました。明日午後から仕事に戻る予定です。申し訳ないですが、もう送迎は結構です。今まで本当に良くして下さって、ありがとうございました。大変感謝しています。ここからはどうぞ一後輩として接して頂ければ幸いです。ラム先輩の気持ちに答えられない私を、どうかお許し下さい。宜しくお願いします。”
メッセージを送ると少し肩の荷が下りたような気がした。身勝手だとわかっていたが、そうして私は一方的に用事を終えた。



一週間空けた家にやっと帰宅したばかりで、もう出かける準備をするなんてと思いながらも心は弾んでいた。鼻歌を歌いながらまず、熱めのシャワーを浴びて体に活をいれる。それから髪と体を丁寧に洗った。

バスルームから出るとまずバスローブをまとった。頭をタオルでくるっとターバンの様に巻いたら、すぐに冷蔵庫まで直行しキンキンに冷えたエビアンをゴクゴク飲んだ。それから履いていたコットンのスリッパの音をペタペタたてながらベッドルームに向かった。
ベッドと向かい合う位置にあるウォークインクローゼットの扉を開け、洋服や下着を吟味する。そして選んだ物を日本から帰って来たばかりのバッグにある衣類と詰め替えた。


髪をドライヤーで乾かし、ある程度体のほてりが冷めたところでお気に入りのレースの下着をつけ、大きな花柄のワンピースを着た。顔にオールインワンジェルを薄く塗ると化粧はやめておき、薄い桜色が発色するリップクリームだけ塗った。そしてソファーにもたれ、アンディの迎えを待った。


フラットの下に着いたよとアンディからの連絡で、すぐにバッグを手にした。エアコンをオフにし、灯りを消すと、玄関のキーを瞬く間に閉め、エレベータホールに急ぎ階下行きのボタンを押す。
少しの時間も待ちきれなくて、早く早くと気が急いた。


外に出ると黒く光るフェラーリが停まっており、側を通り過ぎる人々の目を引いていた。まさかあの車と思うや否や、アンディが車から降りて私に手を振った。
私が車の側まで行くと、「ありがとう」と言いながら私を抱きしめた。それから私の荷物を持つと、もう片方の手を私の腰に回し、車の右側のドアまで私を連れて行きドアをあけてくれた。
私は、その光る低い車体の助手席に滑り込んだ。


”Harbor Hotel Apartment” そう書かれた建物の前で彼は車を停めた。
それはビクトリアハーバーに面したホテルに隣接して建てられた、高級、高層アパートメント。驚いて言葉を失くした私。

飛行機で香港に戻る時も、車を見た時も、そして今も、住んでいる世界が違うのではと不安に駆られ、何か弱い気持ちになった私に彼は、
「さあここで降りるよ、あとはスタッフが車を駐車場に停めてくれるから」
といつもの笑顔で私を促し、エントランスですぐさまキーを入れて開錠すると手をつないで私をその中に招き入れた。

入ってすぐの広いロビーは、照明が少し落とされていて、大きな花瓶に活けられた花々が浮き立つようにスポットライトがあたっていた。ソファーセットがいくつかあり、住人がくつろげるようになっていた。ガードマンのいる部屋の前を少し進んで左手に目をやると、床から天井までが何枚かの巨大なガラス張りになっていて、きらびやかなネオンが光る香港島を見渡せた。そのあまりに美しい景色に息を呑み、しばらく立ち止まり眺めていたが、アンディは部屋からも同じ景色が見渡せると、私をいざなった。


彼の部屋に入ると本当に同じ景色が私を待っていた。
「何もかもがドラマみたい」
そういう私をアンディが背後から抱きしめた。
「僕のできる限り、君をもっとQueenにしてあげるから」
そんな甘い言葉を耳元でささやいた。
ともすれば噴き出してしまいそうな会話も、彼がすると決まってしまうから不思議だった。
それから暫くは二人で夜景を眺めていたが、その間バッグの中からスマホのバイブレーションが何度も響いていた。私はその先にいるのがラム先輩だとわかっていたので無視をし続けていたが、アンディが気にかけ、スマホを取らなくていいのかと私に問った。
私は彼から離れ、バッグからスマホを取り出すとすぐに電源を落とした。


その夜、彼は激しく何度も私を求めた。もう、私には彼しか目に入らなかった。心も体も奪われ、彼以外の事は何も考えられなくなっていた。
いや、何も考えたくなかった。
私は、アンディと言う深みに急速に落ちて行くのを、止める事ができなかった。



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