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五井先生の文

超常識というのは、現在の常識を足場として、その常識を更に更に高め広げてゆくものでありまして、それが宗教的であれば、人類の進化に大いに役立つ道なのであります。

病気は医者、という常識に加えて、自己の精神の調和や安定が病気を癒す、という教えが入ったとすれば、これは常識をいささか超え、広げたものといえます。それを更に、病気に把われている意識想念を、自己の肉体から離して、神のみ心の中に昇華させて、神のみ心の完全円満な大光明波動の中で浄めていただく、ということを教え、病気というものは、過去世から今に至るまでの、想念波動の汚れが、毒素となりガスとなって、肉体の器官を冒かしているものなのだから、その想念波動の汚れを過去世の因縁の消えてゆく姿として、神のみ心の現れである大調和精神、世界平和を祈る光明波動の中に入れきってしまいなさい。つまり消えてゆく姿で世界平和の祈り、ということを教えたり、守護の神霊の存在を教えて、神霊の加護による治病ということもあるのだ、自分は守られているのだという気持を強めてやることなども、今日までの常識にはない、超常識の生き方であるわけです。

宗教というのは、だいたい常識を超えた、超常識の道なのでありますが、とかく常識の世界と衝突することがありがちです。その衝突をさけるためには、常識を足場にして行うことが大事なのであります。病気は医者という常識があったら、やたらに医薬を否定しないで、その常識を足場として、超常識に入ってゆけばよいのです。それは、このお医者様も、このお薬もすべて神様の慈愛のみ心が光っているのだ、というように、神の愛のみ心の現れというほうにすべてを持っていって、その基盤で、消えてゆく姿で世界平和の祈りの生活をしてゆくのです。

これですと、調和を破るところは一つもありませんし、非常識なところが少しもありません。自然に神のみ心の超常識が、常識の生活の中で生きてくるのであります。こういう在り方は家庭の人々の愛の心をも生かしているわけで、宗教精神がそのまま生きていくわけです。

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