後輩がイケメンすぎると問題かと… 第2話
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横浜の小さなマリーナに到着したのは夕方4時過ぎだった。すぐ近くの八景島は、都心から車で1時間程度というアクセスのよさで週末は多くの人で賑わう場所だ。
私達が週末を過ごすのは、そんな人気スポットから少し入り込んだ湾の一画で、関係者以外は立ち入りが制限されたエクスクルーシブな場所だった。
正門入口に近づいた私達の車を不審に思った年配の男性が、訝しい顔で管理人室から出てきた。
稔さんが下ろしたウインドウから助手席の恵基が顔を出し前屈みで手を振る。
「こんばんは、西さん」
「ああ、恵基さんでしたか…… こんばんは。すみません、いつものスポーツカーじゃなかったんで…… 今日は珍しく大人数ですね」
そう言いながら西さんという管理人さんは、後部座席の私達をさりげなく見渡した。
「うん、今日は久しぶりに賑やかに過ごそうと思って。頼んでた飲み物、俺のクルーザーに入れてくれてる?」
「ええ今朝連絡いただいてからすぐに準備しました。冷蔵庫に入ってますよ。あ、冷蔵庫の電源も入れましたからね」
「ありがとう。ところで、俺のお隣さん来てるの?」
「中嶋さんですか? いえ、まだですがもうすぐ来られるはずです。夕方到着するからシャンペンと、ツマミを用意してくれと連絡ありましたから… 丁度今から中嶋さんのヨットにおつまみ入れるところですよ。じゃ、ごゆっくり」
後部座席の私達にもペコリと頭を下げると西さんは頑丈な鍵と鎖で守られた正門を開けて車を迎え入れてくれた。
「ここの管理人さん、立ち入りの監視が厳しいのね」
西さんは、私達全員をひと目で記憶したようだ。私もスパイの端くれだから、そういうところはすぐ気が付いてしまう。
「ここのヨットハーバーは開発途中なんだ。カフェとかレストランとかもまだ建設されてないから静かでいいんだけど、閑散とし過ぎな部分もあってさあ… この間も、船荒らし騒動があったんだよね」
「船荒らし? 」
稔さんが真っ先にその言葉に反応した。さすが刑事さん。
「ああ。絵画とかブランドもののマリンウエアとか、高級クルーザーに置かれていた物が盗まれたんだ。俺の船は小型で金目のものはないから被害はなかったんだけど… 」
「犯人捕まったのか?」
「いや、まだみたいだ」
「むちゃくちゃ物騒な場所じゃねぇかよ… 」
「お前が言うな。犯人野放しにしてるお前ら警察にも責任あるだろー
…でもこのマリーナ自体も拡張中で、このちょっと先は工事現場なんだよな。不景気でその工事も中断してるから、ごみの不法投棄場所と化してる。そこを24時間監視するのは難しいし、泥棒の侵入経路もそこだろうって言われてるんだ。西さんも管理人さんとして責任感じてるから出来る限りの注意を払ってるんだと思うよ」
門からクルーザーの桟橋まで行く車内で、恵基と稔さんがそんな会話をしていた。
2
船の浮き桟橋の前で車を止めた私達は荷物を船内に運んだ。
恵基のクルーザーは、小さなデッキ付きのサロンタイプ。見た目はいいけど小型で、隣の中嶋社長の中型ヨットと比べると何だか頼りないくらいに存在感がない。
キャビンの内部も簡素だった。ホームセンターで揃えましたって感じのミニキッチンとソファーにローテーブルが置いてあるだけ。狭い船底は倉庫兼ベッドルームになっている。
「強盗の被害にあわないわけだわ、ほんと殺風景ね。もうちょっとインテリアに拘ったらいいのに」
半分呆声でそう言って私はボストンバッグを置いた。
「わざとこうしてるかもな。恵基にとっては女の子を連れ込む場所だろ? このほうが、女っ気ない印象を演出できる… なんてことでも考えてるんだろうよ」
さすが、稔さんだ。恵基を十二分に理解している。
…それにしても、ホントわからない。融通が利かないくらい筋が通ったこの稔さんが、なんであんなノリの軽い恵基と親友でいられるんだろう?
「でもこのマリーナって凄いVIP待遇なのわかるわ。管理人さんが、船内に必要なものまで準備してくれるんでしょ?
私も撮影なんかで時々ヨットを利用することがあるけど、前もってこういう風に窓まで開けて風入れてくれてるような細かい気遣い、あんまりないわよ」
船尾の窓近くに置かれたシンプルなグレーのソファーに座ったゆりかちゃんは、すぐ後ろの開いた窓から入ってくる海風が心地良さそうに目を瞑ってそう言った。
「あれ、窓開いてた?」
恵基が訝しい顔をして、ソファー後ろの窓付近にやってきた。
注意深く観察しはじめた彼の近くで私は、サッシ部分を塞ぐように置かれた丸いガラス製のキャンドルホルダーに目を留めた。
中に水を注いで小さなキャンドルを浮かべるやつだ。
「かわいいキャンドルホルダーね。ここで女の子とイチャイチャする時、こういうアイテムで雰囲気つくるんだ」
それを手にとって、ふざける様に恵基の前に翳してやった私は、彼がいつもの笑顔で軽いリアクションを返してくれると思っていた。
ところが、恵基はそのキャンドルホルダーに一瞬だけ目を向けるとすぐに、無言で顔を逸らしてしまったのだ。
—― あれ、いつもと違う…
初めて垣間見た恵基の真顔… 私は自分が知らない彼の「秘密」のようなものに触れた違和感を覚えた。
ちょうどその時、管理人の西さんが、隣の中嶋社長の高級ヨットにお摘みのカナッペを運んでいるのが見えた。どこかのお店からのデリバリーみたいで、上が透明なプラスチックのボックスに入っている。
「西さーん、すみません、この窓開けてくれてました?」
「ええ、今日はよい天気だから風入れたほうがいいと思いまして… 何か不都合ありました?」
「いや… 大丈夫です。そうですか、どうも」
軽く挨拶して窓から顔を引っ込めようとした恵基を、西さんが思い出したように呼び留めた。
「ああ、恵基さん、すみません… お手数ですが車を駐車場に動かしていただけますか? もうすぐ中嶋社長もお越しになるので、前のスペースを空けておきたいんですが… 」
「了解です」
親指を上に立てたサムズアップポーズを西さんに向けながら恵基が微笑んだ。
以前アメリカにいたという恵基はこういったボディーランゲージをごく自然にやってのける。そこもまた彼の魅力のひとつだ。
「稔、車は裏門の駐車場に置けるようになってるんだ。行き方説明するの面倒だから、一緒に行こう」
「OK。じゃ、ゆりか、俺達は車移動してくるから、おまえは由美さんと一緒に留守番な」
稔さんがゆりかちゃんに微笑み、車のキーを手にした。
「すぐ帰ってくるけど駐車場からここまで歩くと片道10分ちょっとかかるんだ。冷蔵庫に冷たい飲み物入ってるはずだから、女子2人はそれ飲んで待ってて」
恵基も私とゆりかちゃんに微笑み、出て行った。
先程の真顔が跡形もなく消えていたことに私はちょっとホッとしていた。
開いた窓からは隣のヨットの優雅なサロンが見える。私は再びキャンドルホルダーを手に取り弄びながら、カナッペを盛り付けたお皿を高級そうなローテーブルに置いてラップをかける西さんの姿をしばらく眺めていた。
午後5時を回ったころ、黒いクラウンが到着した。
中嶋社長夫妻の到着らしい。
私と恵基はクルーザーのデッキに出た。夫妻がヨットに乗船する前に挨拶を済ませて、
「今夜、ちょっと賑やかになると思いますので、よかったら一緒にお酒でもどうですか?」
と、さりげなく社長さん達を招待するつもりだ。
運転席から秘書の田口麗子が出てきた。
ショートカットが良く似合うボーイッシュな彼女は、中嶋社長から絶大な信頼を得ている優秀な秘書らしい。こうやって運転手まで務める彼女を中嶋社長は肩時も離さないという噂だ。
麗子さんは、私達に気が付くと美しい一礼をして、車の後部座席へ回りドアを開けた。
車から降りてきたのは中嶋社長の妻、真由美さん1人だけだ。社長の姿はなかった。
私は隣の恵基を見て口を尖らせた。
「奥さん1人じゃないの。恵基の情報ってあてにならないわね… それとも今夜のターゲットは奥様だったとか?」
「んなわけねぇ~だろ! まあ、綺麗な人だけどな… でも変だよ。俺さ、昨日中嶋さんと電話で話したんだ。その時は奥さんと一緒に来るって言ってたけどな… ちょっと探ってみるか」
西さんと秘書の麗子さんに先導されて浮き桟橋を渡ろうとしていた中嶋夫人に、得意の流し目で格好よく会釈を決めた恵基が、声をかけた。
「こんばんは、真由美さんですよね? 俺、沢田恵基です。中嶋社長とはお隣の誼でお世話になってます。今日は… お1人ですか? 」
認めたくないけど、恵基の甘いマスクとソフトなアプローチはいつも効力を発揮する。中嶋社長夫人は嬉しそうな笑顔で首を横に振った。
「いいえ… 中嶋も後ほどこちらに来ます。あなたが恵基さんですか。主人が話していました、お隣の船主は礼儀正しくて素敵な若者だ と。
一緒に来るはずだったんですけど、突然予定が入ったようで…
今夜は何時になるかわかりませんので、もしよろしかったら明日、うちのヨットでブランチでもいかがですか? とっておきのキャビアがあるの。
ご友人も是非… 折角の機会ですもの、皆様で楽しく過ごしたいわ」
「本当ですか? 喜んで! うれしいなあ~ …あっ、今夜俺達できるだけご迷惑にならないように気を付けますけど、騒々しいようなら、遠慮なく仰ってくださいね。
それか、もしお疲れじゃなかったら中嶋さんと一緒にこちらにお越しください。俺の船、中嶋さんほどゴージャスじゃないけど、美味しいカクテルくらいは用意できますから… 」
でたー、恵基のピヨピヨ作戦…!
俺様本性にヒヨコの皮10枚くらい被せちゃって、すっかり「素直な好青年」をアピールしてる…
標的にうまくマッチさせるこの態度とモデル並みのビジュアルで思い通りに事を運ばせるテクニック。
中嶋真由美さんも例外ではなかった。西さんがヨットの鍵を開けるまで、それとなく恵基を意識していた。
「よし! これで伏線は張れたなっ。稔達もいるし、今夜は仕事抜きでゆっくりしようよ。ねっ、由美さん」
「そうね。折角来たんだし… 」
アプローチが成功してホッとしたのか、恵基も私もリラックスした気分だった。
しかしその後4時間も経過しないうちに、真由美さんは帰らぬ人となってしまったのだ。
第3話: https://note.com/mysteryreosan/n/n5c2ebeb8a1aa
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