後輩がイケメンすぎると問題かと… 第7話
1
微睡む私を香ばしいコーヒーの香りが取り巻いている。先週もこんなだったような気がするけど…
静かな波のゆりかごって、いいなあ。本当に気持ちいい。目覚めるのが面倒くさいくらいだ。あれっ? でもこの香りってちょっと違うかも。コーヒーに何か他の匂いが混ざってるよ… ミントみたいな清涼感と落ち着いたムスクみたいな… なんか見覚えのある香りのような気がするけど…
トロトロした夢心地の頭で、それが何なのか探っていた。
そしてその香りの正体を理解した瞬間、私はバチッ と目を見開いた。
「おはよう、由美さん」
私は何かに弾かれたように ―― ガバッ! と、ソファーベッドから飛び起きた。目鼻立ちのはっきりした恵基のハーフ顔が寝ぼけた私の目にいきなりどアップで映しだされていたからだ。
やっぱりそうだ! コイツのコロンの香りだ。なにこれ、顔、近すぎるよっ。
青いカーペットの床にぺちゃんと片あぐらをかき、私が寝ていたソファーベッドの縁に寄り掛ったコイツが、至近距離から私の寝顔を見詰めていたのだ。
「あんた、ここで何してんのよ!」
「朝のコーヒータイムを満喫中なんだけど、わかんない?」
「なんで、テーブルに座って飲まないのよっ?」
寝顔だけじゃなく、起きぬけのボケ顔までバッチリ見られてしまった怒りと恥ずかしさでしどろもどろになっている私を無視して、恵基はその美しい口元にゆっくりとマグカップを運んでいった。
カップを傾ける度に深いコーヒーの芳香が漂って、それを啜る音が間近で聞こえる。ゴクリとコーヒーを飲み込む音と同時に、ゆるいVネックの白いトレーナーから伸びた首の中心がぴくんと動くのが至近距離で確認できた。
―― この男、喉ぼとけまでセクシーだ。
「あんた、いつからここにいたのっ! 」
目のやりどころに困った私は、枕替わりのクッションを壁にして思わず叫んでいた。
「コーヒー淹れてからだから、10分くらいかな。デッキで飲もうと思ったんだけど、由美さんの寝顔がムチャクチャ可愛かったから、ここで朝コーヒーすることにしたんだ」
まるでフラッと立ち入った茶店でお気に入りの席を見つけたような言い回しだ。悪びれる様子すらない。
「由美さんもコーヒー飲むだろ? 」
何もなかったように立ち上がって、ミニキッチンの戸棚から取り出したマグカップに、サーバーに残ったコーヒーを注いでくれる。コイツのこういうマメなところがモテる要素のひとつなんだろうな。
昨日はあんな虚しそうな表情のまま引き揚げていったから忘れてたけど、コイツはこういうシチュエーションに慣れてるんだった…
「コーヒー飲んだら、散歩に出かけようよ」
また勝手にプログラム決めてる。
それは、私の知っているいつもの恵基だった。
2
マリーナの海辺沿いを恵基と一緒に歩く。開発途中のヨットハーバーは少し先から舗装した道が消え、その先は手つかずの砂浜が広がっていた。
いいお天気! 波の音が気持ちいい。ぽかぽかした朝の陽気と開放的な海を前に私の心はちょっと燥いでいた。ふかふかの絨毯みたいな砂浜にわざと足跡をつけながら少し後ろを歩いてくる恵基に向かって振り向いた。
「気持ちいいねえ~、散歩してよかった」
そう叫んで、どきっとした
恵基の笑顔が私の目に飛び込んできたからだ。シンプルな白のトレーナーとジーンズなのに、まるで雑誌から飛び出てきたモデルみたいに絵になる姿だ。
「由美さん、海好きなんだね」
初夏の柔らかい日差しが扇ぐようにゆるやかな微風が少し伸びた恵基の前髪を揺らしていた。
「あ、うん。恵基も海好きでしょ? 」
「いや、特に好きなわけじゃねぇよ。本当は海なんて俺はどうでもいいんだ」
足元の砂浜に目を落として恵基が立ち止まった。
「じゃ、何でクルーザー買ったの? 税金対策? 」
海なんてどうでもいい割にはよくこのクルーザーで過ごしてるみたいだけど…
顔をあげ苦笑した恵基がまた歩き出して言った
「税金対策っていうより、女の子連れ込むためかな」
―― あー、そう。それか。
そうだ、コイツはそういうヤツだった… 呆れ果てて声も出ないよ。夢もロマンもあったもんじゃない!
私は、諦めて恵基の前を歩き始めたけど、何となく矛盾してるような気がした。コイツはクルーザーを自分専用の連れ込み宿に使ってるみたいに言ってるけど、あの船は全くそんな雰囲気がないような気がする。
例えば、例のファッションリング。あれが窓際のキャンドルホルダ―に保管されてたのって変じゃないかな? 連れ込んだ女の子にすぐ気づかれるんじゃない?
ここまで連れ込んだってことは普通に考えて、わりと最終段階だよね? 恵基みたいな強者が、最後にそんなわかりやすいミスするかな?
まあ、単なる女の感なんだけど…
これまでだったら『女たらしの道楽』って締め括ってたけど、昨夜恵基と正面からぶつかったばかりの私にとって、彼の言葉は納得がいかない部分が多かった。
そんな事を考えながら暫く歩き続けていると、大きな鉄柵がキラキラした砂浜を妨る場所に到着した。柵の先は開発途中の工事現場だ。資金不足で工事がストップしている現在は、ゴーストシティーのようにひっそりとしている。
粗大ごみも沢山放置されていた。錆びたネジが飛び出たカウチや、ガラスが割れたリビングラック、車輪がないリヤカーに、まだ使えそうな自転車まであった。
「凄い荒れ具合だけど、この間の船荒らしはここから侵入したのよね」
柵の先に目をやると、そこからは舗装されていない細い道が開発途中の斜面に伸びている。車一台くらいが通れそうなこの道が多分、主道路に続いているのだろう。
「ここは夜になると明かりもないし、管理人室からも死角なんだ。柵はなかったから絶好の侵入口だったんだな。実際、この柵だって今みたいな干潮時は充分に通り抜けることができるだろ? 」
たしかにそうだ。マリーナの敷地内と工事現場を遮断するように取りつけられた柵は干潮時には波打ち際に沿って歩けるスペースが生まれていた。
ちょっと面白くなって私は波打ち際のスぺ―スからその柵を超えてみた。 その瞬間、恵基の叫び声がした
「由美さん、危ない! 気を付けて… 」
同時に、いきなり大波に足元を掬われた私は大きくバランスを崩し尻餅をついていた。
素早く駆け寄った恵基が私の腕を掴んで体を引き上げてくれながら、呆れ声をあげた。
「大波押し寄せるの思いっきりわかる状況だったんだけど、そのタイミングで柵越えるかなあ? ここまで危機管理能力薄い人も珍しいよ」
「ちょっとはしゃぎ過ぎて、全然波見てなかった」
膝下びしょびしょ。派手に転んじゃったなあ。オフホワイトのサブリナパンツが台無しだよ。新品だったのにぃ…
私は尻餅をついたその場所を悔し紛れに睨んだ。波で濡れた砂浜には私の転倒した跡がしっかりと型を作っている。
私につられてその場所に目を落とした恵基が、いきなりしゃがみ込んだ。 口に手を当てて何かを考えていたようだが、暫くしてはっ と大きな目を見張った。
「由美さん、これだよ! 」
「はっ? 」
―― 何?
立ち上がった恵基が言った。
「俺達は中嶋社長に利用されたんだ。事件現場の目撃者として」
どういうことだろう? 状況がうまくつかめなない。衣服についた砂をはたき落としながら私は、困惑した顔を恵基に向けていた。
3
「そういうことか、なるほどな」
稔さんが、顎に手をあてて神妙な表情で聞き入っていた。
「してやられたよ、完全に」
ちょっと悔しそうな口調の恵基は、お皿にのったソーセージをフォークでグサッと刺しパクついている。
10時頃、稔さんとゆりかちゃんが合流して、私達はデッキでちょっと遅めの朝食をとっていた。
稔さん達が昨日宿泊したホテルでテイクアウトしてくれたゴージャスな朝食だ。フワフワのオムレツがとっても美味しい。
ゆっくりと朝食を味わっている私とは正反対に、恵基はガツガツと自分のお皿を平らげながら、入れ直した温かいコーヒーを飲んで中嶋社長の侵入トリックを稔さんに説明していた。
―― 中嶋社長は、あの波と私達を利用した
今朝の散歩中に波打ち際で私が転んだ時に閃いたという。
中嶋社長は、管理人室から死角になる開発途中の工事現場からマリーナに徒歩でアクセスした。徒歩なら、誰も気づかず自分のヨットに辿り着ける。そして開発途中で不自然な形態の湾岸に時折押し寄せる大波は、その足跡を消してくれるはずだ。
中嶋社長が、誰にも見られずマリーナに出入りすることは可能だった。
社長の所有しているヨットは、隣に停泊しているこのクルーザーよりも遥かに大きい。私達がいたデッキからは反対側となるヨットの窓から船に入れば、隣のデッキにいる私達に見つかることなく潜入できる。そして私達は4人とも「ヨットには誰も尋ねてきていない」と証言した。
―― つまり中嶋社長は、真由美さんが到着してから遺体で発見されるまでの時間、「ヨットに誰も近づかなかった」ということを立証するために私達を利用したのだ と、恵基は言う。
「由美さんのお手柄ね」
ゆりかちゃんが、持参したアイスティーを飲みながら私に微笑んだ。
「そっ、そんなことないないっ。私は何もしてないからっ」
ただすっ転んだだけで『お手柄』だなんて言われたくない。かなり恥ずかしいよ、それ。
顔を赤くして下を向く私を横目で見て、恵基がバターをたっぷりと塗ったトーストを齧りながらクスクス笑っていた。
飲みかけのコーヒーカップをテーブルに置いた稔さんが、腕組みをして溜息をついた。
「まあ、誰にも見られず現場に侵入が可能だったってことはお前の説明で納得できるが、その他のことはどうなんだ? 」
そう言って、デッキの後ろ側から僅かに見える管理人室を指差しながら恵基に顔を向けた。
「管理人だった西さんは、夜9時にあそこから中嶋社長がヨットに入るのを見てる。そうすると、社長は犯行の後で再びここから事務所まで戻ったことになるよな?」
「そうだろうな」
稔さんが指差した管理人室には見向きもせず、プラスチックのコップにたっぷりとミネラルウオーターを注いだ恵基が生返事を返した。
「真由美さんの死亡時刻は午後6時過ぎとして、それからお前が説明した経路で事務所に戻れば、あっちへ到着するのは早くても午後7時を過ぎるだろう?」
「そうだな」
「となると恵基、社長のセルフィー写真はどう説明するんだ? 午後7時過ぎないとあの場所に行くのは不可能なんだ。だけど、セルフィー写真は午後6時40分に撮影されている。つまり、あの写真自体が犯行時刻に中嶋社長がここにいなかったことを証明してるじゃないか」
「だな。完璧なアリバイだ」
まるで稔さんの疑問を相手にしてないように、恵基はゴクゴクとお水を飲み干してコップをクシャリと潰し、唐突に変な話題を持ち出した。
「稔、お前コロンブスの卵の話、知ってるだろ? 」
「はぁっ? 」
突然訳の分からないテーマを投げられた稔さんは眉間に皺を寄せて、何かおかしなものでも見るように瞼をパチパチと動かしていた。
いきなり話の腰を折られて呆然としている稔さんをサポートするように、ゆりかちゃんがにこやかに対応する。
「『アメリカ大陸は偶然発見しただけ』と野次った人達にコロンブスが『卵を立ててみろ』と言ったけど、その場にいた人達は誰も立てることができなかったのよね。不可能だと言う人達の前で、コロンブスが卵をテーブルに打ち付けて立たせた。わかってしまえば誰でもできることを最初に思いついて行動するのは難しいってことでしょ? 」
「そのとおり。稔~う、お前、頭の回転早い嫁さんもらって幸せだよなあ」
「だから、それがどうしたんだよ! 事件と何の関係があるっていうんだ?! 」
若妻にヘルプされたことを恵基から揶揄られて、面目丸潰れの稔さんはちょっとイラついたみたいだ。茹でダコのように赤くなって、恵基に噛みついている。
恵基は至極愉快そうだ。ニヤニヤしながら意味不明な問題をもう1つ稔さんに投げかけた。
「二等辺三角形の垂線の角度、知ってるか? 絶対90度になるんだ」
刑事畑一筋で突っ走る一本気な稔さんだ。真面目な事件の話から大幅に反れた恵基の揶揄い口調に逆上して半分キレかかってる。私はヒヤヒヤしながら口を挟んだ。
「恵基、揶揄うのいい加減にしてよ。事件と二等辺三角形の話なんて、どこで結びつくのかすらわかんないし、稔さんに失礼でしょ? 真面目に話しなさいよ!」
ちょっと感情に任せすぎちゃったかな… 無駄に声を荒らげてしまって、今度は逆に私が稔さんとゆりかちゃんから注目されてしまった。
ま、それなりの効果は得られたみたいだ。恵基がおふざけな態度を取り払い、不気味なくらい厳しい表情で答えた。
「つまり、二等辺三角形に垂線を引くことを思いつかなければ、その角度が90度だっていう当たり前のことを証明できないんだよ」
私にはまだ、何を言おうとしているのかわからない。
「私達はまだ垂線が引けてないってことなのね… 」
ゆりかちゃんは恵基が意図する意味を理解していた。彼女、本当に頭いいな。刑事さんの奥さんだから、事件慣れしてるだけかもしれないけど、モデルさんにしておくの勿体ないよ。私よりずっと諜報員向きだ。
「要するに恵基、お前が言いたいのはあのアリバイを成立させる単純なトリックがあるってことなんだな? 」
稔さんも、わかったみたい。
「そういうこと。わかってしまえばものすごく単純なことかもしれないけど、俺達にはまだそれが閃めいていないんだよ」
恵基が悔しそうに呟いた。この事件、彼は何故か思い入れが激しい。絶対に自分が解決してやるって挑んでるみたいだ。
「とにかく、問題の事務所まで行ってみましょうよ。垂線ひけるかもしれないわ」
「おいゆりか、今日はお前の誕生日を祝うためにここに来たんだぞ。捜査は俺達警察の仕事だ。あんまり首突っ込まずに、のんびりやろうよ」
稔さん、ゆりかちゃんの好奇心にちょっと困ってる。若くてエネルギッシュな美人妻持つって結構大変なのかもね。
いいお天気だし、絶好のクルーズ日和。まずは、八景島周辺をクルーズしてから、残りの時間次第で事件の検証を考えてみようということで話がついた。
4
八景島周囲は娯楽施設中心に開発されただけに、クルージングのルートには見どころが沢山あった。便利はいいけど人口島だし、島内のアトラクションを家族で楽しむくらいしか考えられない場所だと思ってた。だけど、少し離れた海から眺めてみると、整った緑の区画に彩り豊かな花の絨毯が敷き詰められて、自然と人口の交わりが生み出した優美さがダイレクトに伝わってくる。まるで巨大な生け花の作品を鑑賞しているみたいだった。
クルーザーを操縦している恵基、時折ナビゲーションのモニターを確認する真剣な横顔は新鮮だ。彫刻刀で彫り込んだような高い鼻とくっきりした深い目元の彼の顔にはサングラスが良く似合う。一緒に仕事をしている時はいつも顎で使われっぱなしの私だから、こうやってゆっくり彼に見惚れている時間なんかなかった。
「由美さんも舵とってみる? 」
私の視線に気が付いた恵基がそう言った。
「あ、うん。やってみたい! 」
私は恵基の横に立って車のハンドルのような船舵を握った。
潮風に混じって恵基のコロンの香りが漂ってくる。仕事ではいつもこのくらいの距離にいるからこの香りはよく知っているけど、完全オフの日に恵基の隣にいるのは初めてだ。
「どう? 車より簡単だろ? 」
風に靡く前髪を抑えながら、恵基が私に微笑んだ。
海風が私の顔の火照りを冷ましてくれていた。
素敵な周遊を終えた後、私達はマリーナへ戻った。人工島の作られた美しさを満喫したせいか、開発途中のこの場所の静けさと不完全さは不気味だ。
近くのレストランからランチをオーダーしてくれるように管理人さんに頼んでいた。管理人さんの僕(しもべ)のようなサービスがこのマリーナをVIP受けさせたのだろう。新しい管理人さんは、私達の寄港時間に合わせてアツアツのラザーニャとサラダをクルーザーに運んでくれた。
小さなクルーザーのデッキがとってもお洒落なシービューのトラットリーアに早変わりだ。このラザーニャ、まじで美味しい。粗目に挽かれたミンチから出るジューシーな肉汁とトロリとしたホワイトソースが、まろやかなトマトソースとチーズに絡まり、イタ飯大好きな私には最高のランチだ。
「由美さん、美味しそうに食べるわね。見ていて気持ちいいわ」
ゆりかちゃんからそう微笑まれて、無言でバクバク食べている自分の醜態に初めて気が付いたくらい夢中になる美味しさだった。
「イタリアン大好物なんだよ、由美さんは」
恵基がそう言っていつもの流し目でウインクしてきた。
やばっ… 美味しいラザーニャに気を取られてしばし忘れてたトキメキが、コイツ得意のウインクでまた戻ってきちゃったよ。
風で僅かに揺れる恵基の前髪が太陽に反射してキラキラ光ってる。眩しそうに少し目を細めてグラスに入ったミネラルウオーターに口をつける彼の何気ない仕草だけでも、頬張ったラザーニャが飲み込めなくなるくらい胸が一杯になった。
「ああそうだ、忘れてた。稔達に報告したいことあるんだった」
ゆりかちゃんが、何か思い出して目を輝かせた。
ここのところよく彼女と一緒にいるから何となくわかる。この目は好奇心旺盛なゆりかちゃんが、ちょっとした耳よりな情報を掴んできた時のものだ。大好きな飼い主の大切な探し物を見つけて駆け寄る子犬のような表情だ。
「昨日の撮影で一緒に仕事したモデルの1人が、真由美さんを知ってたの。その子が通ってるエステの常連だったらしいわ。しかも、そこのマネージャーとは公私ともに親密そうだったって言ってた」
「『ミュゼ』が経営するエステのマネージャー? 」
「それが『ミュゼ』のライバル会社のエステなのよ。真由美さんは、自社とはライバル関係にあったエステに通う程、その人と仲良かったみたいよ」
私達が知っている限り、真由美さんの『愛人』は中嶋社長の秘書、麗子さんだ。でも、真由美さんにはどうやら別の相手も存在するようだ。
稔さんが、複雑そうな顔をした。
「恵基と由美さんの情報を裏付けするために、俺も調べてみたけど田口麗子は間違えなく真由美さんの恋人らしい。真由美さんが、二股かけてたってことなのか? 女同士ってだけでも理解できねぇのに… 全く、俺にはついていけねぇ」
「稔~う 頭、もっと柔らかくしろよ。男女も同性も恋愛は同じさっ。愛はグローバルなものなんだー 」
「勝手に美化するんじゃねぇ、恵基! お前はグローバルすぎるんだよ。恋愛自体を真面目に考えてねぇ証拠だ」
「まあ、それは俺自身も認めるけどな。でも、その新しい愛人ってのが女とは限らねぇだろ? 真由美さん一応結婚してたんだから、相手は男かもしれないよな」
恵基はゆりかちゃんに向き直して、尋ねるようにそう言った。
「女の人よ。名前も聞いてきたの。ええっと、ちょっと待って… 」
ゆりかちゃんが携帯のメモアプリを開いて、名前を確認した。
「葉山 弥生 っていう人」
「葉山弥生?! 」
私と恵基がユニゾン合唱のようにその名前を復唱した後
「…… 繋がったな」
と、恵基が呟いた。
「その人知ってるのか? 」
刑事に変身した稔さんが、いつもより低い声で問いかけてきた。
「『ミュゼ』が売却するエステ店舗の購入者だよ。売却物件のビル全部が真由美さん名義だったんだ。会社員の葉山弥生が、どうやって店舗売却の情報を入手して資金を工面できたのか不思議だったけど、それで謎が解けたな」
「そうね。彼女のバックに真由美さんがいたなら辻褄が合うわ」
葉山弥生さんと付き合っていた真由美さんが自分名義のビルにある店舗を彼女に購入させ、独立させるつもりだったのだろう。購入資金だって真由美さんが援助すれば充分に可能だ。不完全なピースがまた1つピッタリと組み合った瞬間だった。
「田口麗子は真由美さんの心変わりに嫉妬して、中嶋社長に協力したんじゃねぇかな? 稔、葉山弥生の周辺をもう少し詳しく調べる必要ありそうだぞ」
「ああ、すぐ県警と本庁に連絡する」
稔さんが、携帯を掴んで席を離れた。
「ゆりかちゃん、凄いね。私より遥かに諜報能力高いよ。さすが、刑事の妻! 」
素直に感動している私の隣で、恵基は大笑いした。
「何感心してんだよ… いつも情にほだされてる由美さんの諜報能力そのものがハードル低いんだよ。ウサギ以下の察知能力だな www 」
「なんですってぇぇ!! 」
思わず、右手に握っていたフォークを恵基に向かって振り上げた。
「わっ、怒るなよー 」
「怒るわよ! 確かにあんたみたいに高い諜報技術がないのは認めるけど、ウザギ以下だなんて失礼にも程があるわっ」
勿論、恵基は冗談で言ったんだけど、こういう上から目線で無神経な彼の態度は大嫌いだ。それが自分に向けられたのだから、尚更だ。
「恵基さん、失言ね。由美さんに謝ったほうがいいんじゃない? ほら、由美さんもあまり本気で相手にしちゃダメよ… 」
ゆりかちゃんが咄嗟に私達の仲裁に入ろうとしていた。私の逆上ぶりを見て、少し慌てていたのだろう、彼女が突然おかしな言葉を吐いた。
「恵基さんが高度な諜報できるの当たり前よ。そういう風に育てられたんだから… 」
恵基が凍りついたようにピタリと動きを止め、驚いたようにゆりかちゃんを見た。そして、そんな彼の態度をキャッチしたゆりかちゃんも、まずいことを口走ってしまったのを悟っているような様子だ。
「…『そういう風に育てられた』 って、どういうことなの?」
私は恵基ではなく、ゆりかちゃんにそう問い掛けた。恵基に聞いても無駄だ。彼に抱く私の恋心は、真実を知る足枷になっていることを昨日痛感したからだ。
「それは… 」
ゆりかちゃんが、申し訳なさそうに恵基の顔を窺った。2人とも明らかに動揺している。
この2人は私に何かを隠している。少なくともゆりかちゃんは、私の知らない恵基を知っていることは明らかだ。そして、『私の知らない恵基』とこのクルーザーには何か特別な関係もありそうだ。これまでに私が感じた妙な違和感と疑問は、いつもこのクルーザーにいる時だ。この船に置かれていたものだと恵基が告白したあのファッションリングだって、ゆりかちゃんと関係しているらしいし…
私はこのチャンスを逃すまいと2人を交互に見詰めながら、「それは… 」の続きを待ち受けていた。
でも、結局その言葉が繋がれることはなかった。タイミング悪く稔さんがデッキに戻ってきてしまったのだ。
「本庁が早速葉山弥生の周辺をあたるそうだ… あれ、どうかした? 」
氷ついたようにピーンとしていた空気が、稔さんの登場で一気に緩んでしまった。
「恵基、なんかあったのか? 」
キョトンとした表情の稔さんが、つっ立ったまま恵基に尋ねた。
「別にぃ。 俺が生まれつきの天才ダブルオーセブンだってことを話してただけだよ。ねっ、由美さん♪ ゴメン、さっきの言葉撤回するから許してくれるよねー 」
いつもの軽口を吐きながら恵基は私の肩を抱き寄せると、おでこに
―― チュッ とキスしてきた。
「ちょっと恵基、ドサクサに紛れて変なことしないでよっ! 」
恥ずかし気もなく誰にでもキスやハグをするコイツの振る舞いは欧米で培ったものなのかもしれないが、やっぱり刺激が強すぎる。こんな色男にハグされちゃったら、誰でも頭の中が真っ白になっちゃうよ。
でも私は、このような彼の行動を意味のない『女たらしの大胆な振る舞い』として軽く見ようとはしなくなっていた。コイツの派手な振る舞いは、都合の悪いことを誤魔化すために発動させる武器みたいなものだということが、今ははっきりと理解できる。昨日、コイツに体当たりした私が見た光景… 長身の体がいきなり小さく見えたくらい痛々しい恵基の姿こそが、彼自身なのかもしれない。
先週、ゆりかちゃんが私に言った言葉…
―― 恵基さんには大きな心の傷があるの
―― 今の恵基さんはそれが原因で作り上げられた虚像なの
あの時は、日本語自体が理解できなくなったと思うくらいに意味不明なフレーズだった。でも、今はなんとなくそれがわかるような気がしてきた。コイツは別のキャラクターになりきることで、あの姿を露出させないようにしているんだ。
それと、さっきの言葉…
―― 恵基はスパイになるために育てられた?
私達には過去を一切明かさない恵基は、元CIAにいたこと以外何も知られていない。彼がどうして私達の会社にやってきたのかすら謎のままだ。
もしかして私、チャラい傲慢キャラを隠れ蓑にした秘密だらけのとんでもない男を好きになってしまったのかもしれない。
サポート自体に拘りはありませんが、皆様の温かいご声援の証としてありがたく拝受させていただきます。 いただいたサポートはnoteので活躍されるクリエーター仲間の皆様に還元させていただきます。