後輩がイケメンすぎると問題かと… 第6話
1
夕刻、私達は稔さんとゆりかちゃんのアパ―トにお邪魔していた。2DKでそれ程広くないけど、稔さんの勤務する警視庁に地下鉄1本で行ける便利な場所だ。
「ごめんなさいね、突然だったからこんな物しかないの」
ゆりかちゃんが、申し訳なさそうに即席のお摘みとビールをテーブルに持ってきてくれた。
「気にしないで… いきなりおしかけてきたのは私達なんだから。ゆりかちゃんこそ突然で迷惑だったわよね。ごめんなさい」
雑誌の撮影で鎌倉へ行っていたという彼女が家に戻った時には既に私と恵基がいた。稔さんから事情を聞いていなかったみたいだし、ちょっと可哀そうに思っちゃう。
「恵基さんは突然フラッと家に来るから慣れてるけど、今日は由美さんも一緒だったんで、ちょっと緊張しちゃった」
グラスにビールを注ぎながら、ゆりかちゃんがにこやかに笑った。
「俺は、外で会おうって言ったんだぞ。悪いのは稔だ」
そう言いながら恵基は断りもなく冷蔵庫から氷を取り出して自分用のハイボールを作ってる。ウイスキーが入った棚まで知ってるし、まさに勝手知ったる他人の家状態だ。
「捜査の情報を漏らすようなものだからな。外で誰かに聞かれでもしたら、俺だってまずい立場なんだよ」
稔さんが、隣に座ったゆりかちゃんの肩に手を置いて申し訳なさそうに弁解した。時々、稔さんは恵基を使って捜査に有力な情報を得ている。個人的な『タレコミ屋』もいるみたいだけど、ややこしい事件や早期解決が必要なものは、恵基を頼りにすることがあるみたいだ。恵基はプロだから、その辺のタレコミ屋とは情報のクオリティーが違うのは当然だろう。
今回の事件は私達のターゲット『ミュゼ』に関わっているだけに、稔さんと恵基は暗黙の了解でタッグを組んでいるようだった。
「それで稔、西さんは何で逮捕されたんだ? 」
「西さんがヨットに運んだ例のカナッペから真由美さんの体内で検出されたのと同じ睡眠薬が検出されたんだ。やっぱり、睡眠薬は真由美さん自ら飲んだものじゃなかった」
「睡眠薬でウトウトさせて絞殺したってことか。でも西さんに動機はねぇだろ? 」
「ああ。真由美さんの件に関しては全面的に否定している。カナッペは店から運ばれたものをそのまま皿に並べただけで、薬が入っていたことは知らなかったと言っているんだ」
「あ、それは確かよ。私、西さんが箱からカナッペ取り出して盛り付けてるのクルーザーの窓から見てたから。睡眠薬を入れるような細工はしてなかったわ」
恵基達が車を移動させに出て行ったとき、私は窓際に置かれたキャンドルホルダーを弄びながらその風景を見ている。
「由美さん、それ本当か? もしそうなら、西さんは真由美さん絞殺の容疑から外れるんだが… 」
思わぬ所から目撃者が出現して稔さんは少し興奮気味だ。
「稔お前、さっきから『真由美さんの件は』って言ってるけど、西さんは殺人容疑で逮捕された訳じゃねぇってことだよな? 別件なんだろ? 」
さすが恵基。稔さんの細かい言葉尻にも注意を払ってる。そういうテクニック私だって知ってはいるけど、それを私用で親友にまで適用するほどタフじゃない。
たまたま諜報の世界に入った私は、情に負けてしまうクセがどうしても抜けず、会社が期待できるような成果は出せなかった。だから結局、ひとクセあるこの優秀な後輩の「世話役」を押し付けられたのだ。
「西さんの逮捕容疑は盗難幇助だ。例の小犬連れてた男から船荒らしのメンバーらが逮捕されたんだが、そいつら西さんから情報を得て犯行に及んでいたことが判明したんだ」
「なるほどなー。だからこの間の船荒らしは大成功したわけだ。マリーナの停泊契約を結んだ船の管理から清掃まで請け負っていた西さんなら、ねらい目の船も知ってた。もと船乗りで親切そうな人に見えたから、俺を含めた殆どのオーナーも合鍵を預けてたしな」
恵基はそれほど驚いていないようだ。間接的にしか西さんを知らない私やゆりかちゃんだって、びっくりして口を開けたままなのに、西さんと直接交流があった当人は顔色ひとつ変えず淡々と語っている。
この3年間恵基と一緒に行動する中で、彼が人を拒絶し誰も信用していないのではと感じた場面がいくつもあった。それは私達の職業に、ある程度必要なのかもしれない… でも、私はそんな風に割り切ることができない。それがスパイとしての私と恵基の功績の違いだと常々思う。
ゆりかちゃんが、隣の稔さんのグラスにビールを注ぎながら呟いた。
「西さん、初犯なの? どうしてそんなことしたのかな… 」
彼女もショックみたいだ。芯が強そうだけど、とても繊細なゆりかちゃんに私は共感を持った。
「船乗りをしていた西さんは船をこよなく愛していたんだ。引退して、家族もいなかったから船と一緒にいられるマリーナを転々としながら管理人として働いていたんだ」
稔さんは、微笑みながらふくよかな温かい声で語りはじめた。
「…ただ、マリーナの管理人になった西さんは、船をアクセサリーや税金逃れくらいにしか考えていない多くの金持ちオーナー達に反感を抱くようになっていったんだ。特にあそこのマリーナは開発途中だからコスパもよくて、そういう輩が多かったみたいなんだよな」
「俺、あのマリーナに来てまだ日が浅かったけど、西さんは確かに船のこといろいろ知ってたし、ただの管理人以上のことをやってたな。
西さんには世話になったけど、俺もそんな輩と思われてたのかなあ… 」
恵基がどう思われていたかはおいといて、そんな矢先に窃盗団の一味が西さんに話を持ちかけてきたんだそうだ。
捕まった窃盗団の1人が西さんの昔の船乗り仲間だったらしく、西さんは、船を大切に思わない金持ち連中への制裁のつもりで、情報を流したということだった。
「西さんと強盗団の間には金品のやり取りはなかったし、初犯だからそれ程重い刑罰にはならないだろう。
ただ、睡眠薬が混入されたカナッペを西さんが船に運んでいたってことで、真由美さん殺しの容疑がかけられてしまったって訳なんだ」
「西さんもある意味、船に対する愛情に捕らわれて心が壊れてしまったのかもな… 」
恵基の口から珍しく感傷的な言葉が漏れた。その瞬間、正面に座っていたゆりかちゃんが慰むような目で恵基を見詰めた。
私がその視線に気が付いたことを悟ったゆりかちゃんは、作り笑いを浮かべながら隣の稔さんのグラスに手を伸ばしビールを一口流し込んだ。
やっぱり、ゆりかちゃんと恵基は何かを共有してる…
事件現場の船底で見つかったファッションリングもその『何か』に関係しているんだ… その時、私はそう確信した。
「とにかく、逮捕された窃盗団のほうも、事件当日の犯行は全面否定している。現場から持ち去られたとみられる真由美さんのダイヤも持ってなかったし、やっぱり恵基の言うように強盗説とするのは無理な点が多いな」
稔さんはゆりかちゃんの視線には気が付かなかったようだ。この人も仕事となると真っ直ぐに突っ走るタイプなんだ。ゆりかちゃんが稔さんのことを『不器用で世渡り下手』と言っていたのもわかる気がする。
「実はな稔、デリケートな問題だからあんまり言いたくないんだけどさ… 今日俺達凄い情報ゲットしちゃったんだよね」
私達は、亡くなった真由美さんの『秘密の関係』を稔さんに話した。
昔堅気な稔さんには想定外な案件だったようで、グラスに溢れるくらいビールを注ぎ足して一気に呷っていた。
「その事が明るみに出れば、究極のイメージダウンよ。ミュゼは窮地に立たされてしまうことになるわよね」
若いゆりかちゃんは、それほど動じていない。空になった稔さんのグラスにまたビールを注ぎながら、まだ理解に苦しんでる夫に冷静な見解を与えていた。
「それを中嶋社長が知っていたとしたら… 真由美さんは社長にとって、自分が築き上げた栄光を吹き飛ばしてしまう大きな爆弾となりかねないんだ。だけど、本社ビルも土地も全て真由美さん名義だし、会社運営の根回しには、名家出身の彼女の存在が必要不可欠だから離婚もできない。それで中嶋社長は、いつ炸裂するかわからないダイナマイトを自らの手で取り除いた ってことかもな」
中嶋社長の動機がはっきりと見えてきたことで、恵基は当初から持ち続けていた疑いを確信に変えていた。
「だとしたら、単独犯とは考えにくいぞ。あれだけ完璧なアリバイがあるんだ。誰か協力者がいたことは確かだろう」
強盗団の犯行説の立証が困難になった今、稔さんも中嶋社長の第1容疑者説に興味を向けはじめた。
「共犯者として考えられるのはあの現場に居合せて、2人と深い繋がりのある田口麗子だろうな」
「どうして、麗子さんなのよ? 」
ハイボールを飲み干した恵基に私は素朴な疑問をつきつけた。だって、麗子さんは真由美さんの恋人… いや愛人でしょ? そんな人を恋敵と一緒に殺そうとするの? かなり矛盾してるんじゃない?
「現場には中嶋社長と田口麗子、そして亡くなった真由美さんの他は、全然関係ない西さんと俺達だけだったんだ。彼女が中嶋社長に協力した経緯や動機まではわかんないけど、そんなもん、すぐ見つけてやるよ」
恵基はなぜかこの事件への入れ込みが激しい。まるで中嶋社長に挑戦状でも叩きつけてる感じだ。
「でもまだ中嶋社長には犯行時刻に完璧なアリバイがあるわよね」
頬杖をついたゆりかちゃんが難しい問題を解くようにそう俯いた。
それから暫くは、誰もしゃべらなかった。ここにいる4人各々が、中嶋社長の鋼鉄のアリバイを崩そうと、あれこれと思考を巡らせていた。
やがて、その沈黙を破ってゆりかちゃんが顔を上げた。
「ねぇ、もう一度マリーナに行ってみない? 中嶋社長の事務所の前にある花時計に行って、そこからヨットまでどのくらいの移動時間が必要なのか、検証してみましょうよ。中嶋社長が通ったのと同じ道を通れば何かわかるかもしれないでしょ? 」
彼女は隣にいる稔さんに向いて続けた。
「私ね、この金曜日に中嶋社長の事務所近くで仕事なのよ。ちょうど週末は私の誕生日だし、調査も兼ねて、台無しになっちゃった週末のリベンジしましょうよ」
「お前の誕生日を事件現場で過ごすのか? しかも殺人事件の調査も兼ねてって… そんな祝い方いやだな」
事件に突っ走る刑事さんだけど、稔さんやっぱりやさしいな。奥さんのことはちゃんと考えてる。見かけによらずわりとロマンチックな人かもね。
恵基は乗り気だ。
「実は俺も週末マリーナに行く予定なんだ。俺の船、別の場所に移すからその手続きとかもあるし… もう中嶋社長を嗅ぎまわる要素も少なくなちゃったからあそこのマリーナにいる理由なくなったんだよな。だから稔、お前達さえよければゆりかちゃんの誕生日、あの周辺をクルージングして祝おうじゃねーか」
ゆりかちゃんが微笑んだ。そして隣の稔さんに同意を求めるように頷いた。
「ね、そうしましょうよ稔。あっ、由美さんも一緒にお祝いしてくれるでしょ?」
「えっ… う、うん勿論」
自分の日常を狂わせたあのマリーナにまた行くのはちょっと憂鬱だけど、ゆりかちゃんから「でしょ?」なんて言われたら断れないし。
あどけなさと強さを持ち合わせたゆりかちゃんに私は親近感も持ち始めていた。それに週末また恵基と一緒に過ごせる。片思いは重々承知してるけど恵基の隣にいたい…
2
金曜の夕方、私達は再び東京を後にした。
この1週間、ほんとに色々なことがあったけど、いい事はひとつもなかったなあ。
ミュゼの中嶋社長は急速な勢いで買収の話を進め始めている。そのことで私達のクライアントは連日のように情報提供を強く求めてきているけれど、私と恵基は大して役に立ちそうもない調査報告ばかり小出しにしていた。
当然ながらボスは、もう少し有益な情報を掴むようにと毎日私にプレッシャーを与えてくる。
本当は例の真由美さんに関する爆弾情報を暴露したいのだけど、恵基がそれに賛同してくれないのだ。
中嶋社長と秘書の田口麗子さんを犯人と決めつけ、刑事でもないのにその犯行を立証しようと躍起になっている恵基は、2人の犯行が明らかになるまで真由美さんと麗子さんの関係は伏せておくと言い張っている。
勿論、恵基を無視することもできるけど、彼が得た情報だ。コンビを組んでいる以上、できるだけパートナーを尊重してあげたいと思ってしまう私。 ボスには恵基の肩を叩く勇気なんてない。ヘソを曲げられると困るからだ。だからいつも全ての刃は私に向けられてくる。
「… と、恵基に言っておいてくれ」
が、ボスの口癖だ。恵基と出会って3年、私はボスにとってあの傲慢で破天荒な、でも優秀すぎるCIAあがりの『黄金の鳥』につけた『伝書バト』みたいなものなのだ。だから今週は上からのプレッシャーでずっと胃薬が手放せない状態だった。
それだけじゃない。
仕事が終わると、夜の町へ繰り出して真由美さんと麗子さんのことを調べたりもした。あの2人が行きつけだった店は歌舞伎町でもかなりの高級店らしく、会員制かと思ったくらいガードが固かった。
―― 俺、店のスタッフと接触してるから、別人が行く方がいいだろう
って、恵基から押し切られる形で、私が客として潜入したのだ。その甲斐あって、収益もあった。
真由美さんと麗子さんは有名な名門女子大学のテニス部で先輩後輩の関係だったことがわかった。
そして、真由美さんは卒業と同時に中嶋社長と結婚、その3年後に卒業した麗子さんは、当時急成長を果たしていた『ミュゼ』の社長、つまり真由美さんの夫、中嶋社長の秘書に迎えられている。
「じゃ、あの2人の関係は大学時代からずっと続いていたのかな? 」
「どうかな… でもアプローチは真由美さんの方だったみたいだけど」
そう答えながら私は運転席の恵基を見た。
本来は先週と同じように稔さんの車で行く予定だったんだけど、ゆりかちゃんの撮影が長引き、稔さんが彼女を迎えに行くので、現地集合となったのだ。
恵基の愛車フェアレディ―Zに乗るのは初めてだ。メタリックシルバーの2人乗りスポーツカーは多分、女子ハント用に役立てるためのアイテムチョイスなんだろう。
仕事で車を使う時も彼が運転するけれど、いつもは会社の車だから、こうやって恵基本人の愛車の助手席に座ったことはなかった。
真剣に前を見て運転しているその横顔に、夕日が差し込んできた。恵基は長いまつ毛を下ろすように目を細めて、頭の上にのせていたレイバンのサングラスを下ろした。
そんな何でもない仕草が本当に格好いい。私は暫く心を奪われたようにうっとりと見惚れていた。
「ねぇ、由美さん」
いつになく甘い声で私の名前が呼ばれ、夢から覚めたように現実に引き戻された。
―― どうしよう… 私が見入ってたのバレちゃってるよね
恥ずかしさが蒸気機関車みたいに一気に吹きだして、声が詰まってる。そんな私をチラリと見る恵基の視線を感じた。
―― 見ないでぇぇぇぇぇ…!!
私は手の平に汗をかいてアタフタしながら、全身全霊で何でもないような声を絞り出した。
「なに? 」
恵基が一瞬 ふっ と笑ったような気がしたけど、気のせいだったのかな? 彼は無表情で方向指示器を出し、私達の視界を妨げていた大きなトラックを追い抜いた後、話を再開した。
「あの歌舞伎町の店で、葉山弥生|《はやま やよい》っていう名前聞かなかった? 」
「葉山弥生? いいえ、聞いてないけど… 誰なの? 」
「例の化粧品会社の買収なんだけどさ、『ミュゼ』は資金繰りの一環で関連会社の一部を売却するらしいんだ。エステの店舗数件がその対象なんだけど、それを購入者するのが葉山弥生っていう人物なんだよ」
恵基の情報では、この葉山弥生が購入するエステ店舗の全てが真由美さん名義のビルなんだそうだ。
葉山弥生は『ミュゼ』のライバル会社が経営する某エステサロンの運営責任者で彼女自身も優秀なエステシャンということだ。
「運営のマネージャーっていっても所詮は会社員だろ? それが都心のエステの売却なんていうオイシイ情報をいち早く掴んだ上にその購入資金まで用意できてるっておかしいと思わない? 」
「つまり恵基は、葉山弥生が真由美さんと麗子さんに関係がある って考えてるの? 」
「そういうこと」
八景島が見えてきた。中嶋社長の事務所の近くだ。直線距離ならここからマリーナまではそれ程遠くないのに、この辺りは起伏も多い細道が多く、車両通行止や一方通行ばかり。目指すマリーナへは迂回して遠回りしなければならない。
30分ちょっとして、ようやく私達はマリーナへ到着した。
新しい管理人が門を開けてくれた。もともと頑丈そうな門が、この間の事件で更に頑丈になっているような気がする。機械で焼き切るのに苦労しそうな極太のチェーンがぐるぐると巻かれ、それを止める鍵も増えていたようだ。
マリーナの敷地内は閑散としていた。
あんな事件があった直後だ。多くのオーナー達が契約を解除してしまったのだ。船の数も少なく、薄暗い明かりが寂しそうに浮き桟橋へ続くコンクリートの道をぼんやりと照らしていた。
クルーザーに入ると恵基はすぐに主電源を入れて明かりをつけ、冷蔵庫を開けた。
「先週のドリンク、まだ残ってるな。もうすぐ稔達が来る頃だし、夕食持ってきてくれるって言ってたっけ。ゆりかちゃんの誕生日は明日だから、買い出しは明日でいいよな」
恵基がそう呟いたすぐ後に携帯が鳴った。
「もしもし稔、…うん、俺達今到着したよ。えっ? 明日? …わかった、じゃな」
携帯をテーブルに置いた恵基が はぁ~ と大きく溜息をついた。
「どうしたの? 」
「稔達、今日来れないってさ。ゆりかちゃんの仕事がまだ終わらないらしいんだ。今日は近くのホテルに泊まって明日来るって」
―― えっ、ということは… 今夜、私と恵基2人きりってこと?!
思いもかけない展開に私は何て返したらいいか言葉が見つからない。いや、それ以上になんか泡食って混乱しちゃってるよ。
どうしよう… 私今日矯正下着なのに… もうちょっと可愛いランジェリーにすればよかった… って、何考えてるんだ 私!!
「何1人で照れてんの? 俺ここで由美さん襲うつもりねぇから、安心しろよ」
しれっとそう言った恵基は、船底からカンズメやレトルト食品を取り出し、ミニキッチンでさっさと夕食の準備を始めた。
「保存食しかないけど結構拘ったものばかりだから不味くはないと思うよ」
「あ、私も手伝うわ。先週みたいに外のテーブルでいいよね」
体を動かせばこのソワソワ感を忘れられるような気がして、私はデッキへ出ると、先週と同じ場所にテーブルクロスをかけてグラスと食器をセッティングした。
3
簡単な夕食を済ませた後、恵基がカクテルを作ってくれた。先週も食後にカクテルを頂いたけど、私はビール派でカクテルのことは全然わかんない。
この週末も良い天気そうだ。波もなく、夜風も気持ちいいい。クルーザーのデッキで2人きりなんて、凄いロマンチックなシチュエーションなんだけど、無駄に緊張して妙に喉が渇く。折角お洒落なカクテル作ってくれたのに、なんかガブ飲みしてしまいそうだ。
ラッパのように開いた優美なカクテルグラスに注がれた柔らかいブラウンの液体は、口をつける度にエレガントな香りが鼻を擽ってる。程よい甘さとレモンの酸味がゆっくりと味覚を刺激していく。とても落ち着く後味だ。
「これ、美味しい。何ていう名前? 」
「『サイドカー』っていうコニャックベースのカクテルなんだ。由美さんこういう味、好かなと思って」
先週のは確か『モヒート』って言ってたかな? 爽やかなミントの香りとライムが効いたパンチのある、でも口当たりよいお酒だったけど、私はこっちのカクテルのほうが好みだな。私の味覚を予想できるって、さすが恵基だ。
「カクテルよく作るんだね」
「まあね。狙った子を口説き落とす時、最終ステージに使う武器みたいなもんだから」
なるほど、そういうことか。カクテルのことよく知ってて素敵だなって感心してたのに、結局はいつもの『お遊びアイテム』のひとつなんだ。
私は呆れ顔で恵基を睨み、大きなため息をついた。
「もちろん、友達にも作るよ。今日だって、由美さんのために作ったんだから」
恵基が屈託のない笑顔を返した。彼は時々こんな風に少年のような表情をする。たまに見せるこのヒヨドリみたいな表情がたまらなく好きだ。
艶やかな微笑みを見せられて、お酒で少し落ち着いていた胸の鼓動がまた激しく高まっていく。ちょっとした沈黙だけでもクラリと体を預けてしまいそうな危険ムードだ。私は、間を埋めるために切り出す会話をとっさに探した。
「ねえ恵基って、稔さんとゆりかちゃん以外に友達いるの? 」
特に興味があったわけじゃない。他愛のない話題を探そうと焦ってただけだ。
「いや、稔と… あとは、由美さんくらいかな… 」
ふーん、ちょっとしたスター並みに周りの注目集めてるわりには、友達少ないんだ。まあ、私も人のことは言えないけど… 私達の業界に身を置く者の殆どが孤独だ。この商売、稼ぎはいいけど、人に対する信頼を失ってしまいがちだ。
「ゆりかちゃんは? 彼女も友人でしょ? 」
「彼女は友人というより… 」
そこまで言いかけて恵基が少し間を開けた。視線を下に向け、次に続く言葉を考えたようだった。
「まあ、親友の嫁さんだな」
その言い方がなんとなく歯切れ悪いようにも感じた。このクルーザーでは妙な違和感を感じとることが多い気がする。
先週もそうだった。
あの窓際にあったキャンドルホルダーを恵基の前に翳した時も、それから事件現場で発見されたファッションリングを彼が見た時にも、こんな変な空気を感じた。
あのリングは恵基とゆりかちゃんの『何か』を結んでいる。何だろう?
―― 今日は、恵基と2人だけ。聞き出すなら今かもしれない!
何故だかわからないけど「あのファッションリングを知りたい」って叫んでいる自分がいる。それから、「危険だよ、知らないほうがいい」って反対する私もいる…
―― どうしよう…
あのファッションリングを知れば、私達の『ドライな友人関係』が変わってしまうことは確からしい。だからそれは開けてはいけないパンドラの箱か、玉手箱みたいなものなのかもしれない… でも、何れにしてたってこの3年間の『心地よい関係』なんかとっくに崩れているよ。
だって、私は恵基に恋してしまったから。
彼に片思いしている自分に気が付いた日からもう『美形でチャラくて気まぐれだけど、頼りになる後輩』じゃなくなっているのだから。
私は渇いた喉にまろやかなサイドカーを流し込み、できるだけ落ち着いた素振りで恵基に問いかけた。
「恵基… 先週から気になってることがあるの。犯行現場で見つかったファッションリング、あんたあの指輪に心当たりあるんじゃない? 」
僅かに恵基が顔を硬直させたように感じた。でもすぐにいつもの余裕たっぷりな表情で、飲みかけのサイドカーをゆっくりとテーブルに置いた。
「何でそう思うんだよ? 」
椅子の背に肘をかけ深く凭れたまま、顔だけ私に向き直した恵基の声色は穏やかだ。でも淡いライトに照らされた彼の優美な瞳は私に突っかかるように厳しい光を放っていた。
「恵基は最初から中嶋社長を犯人と決めつけてた。そして船底で見つかったあの指輪のことは今でも完全に無視してる。
でもね、よく考え直してみてわかったの。あんたが中嶋社長のことを疑い始めたのは、あのファッションリングを目にした後からだった」
そこまで言って私は一呼吸おき、恵基の反応を見た。
「…それで? 」
同じ表情のまま、恵基は口だけ動かした。僅かに笑みを浮かべているように見えるけど、刺すような鋭い眼光が私をしっかりと射貫いている。
―― そこまでにしときなよ
無言でそう告げているようだった。挑むような彼の瞳に私は恐怖を覚え、ひるみそうになる。
でも、もう後戻りはしたくない。
私は、彼を知りたい。
これまで誰にも踏み入らせなかった彼の内側をこじ開け、真実を引きずり出したい!
その強い思いだけで、恵基の激しい眼光を真っ直ぐに見詰め返し私は続けた。
「つまり、恵基はあのファッションリングを知っているのよ。だから最初から無視してた。知っている事を調べる必要ないでしょ? 違う? 」
恵基は押し黙ったままだ。
ほんの少しの間、お互いが視線をぶつかり合わせ睨めっこしていた。先に目を逸らしたのは恵基だ。
―― ふっ っと、息を漏らしたかと思うと、いきなりいつもの調子で笑い始めた。
「ははは… 俺さ、由美さん諜報には向いてねぇんじゃないかなって思ってたけど、探偵の素質はガチありだね」
さっきまでの挑発的なオーラを全て消し、面白そうに余裕の笑顔を私に向けている。
以前の私はいつも、恵基のこんな態度でうまくかわされていた。誰もが二度見する程の卓越した彼のビジュアルと傍若無人な振る舞いは、肝心なことをケムに巻いて、うやむやにするのに大いに役立っていた。恵基はこれまでずっとそうして誰も自分の領域には踏み込ませなかったのだ。
でも、もう違う。イケメン過ぎる後輩とのドライな関係は終わった。いつまでも、都合よく右往左往引き回される面倒見のよい先輩ではいられない。
私は初めて本気で恵基に体当たりしていた。
「誤魔化さないで。人が死んでるのよ! 真面目に答えなさいよ! 」
気が付けば、これまで出したことのないような激しい声で彼を叱責していた。
恵基の顔から笑みが消えた。そして、何も言わず私を見詰めていた。私が気圧された彼の挑むような視線は、どことなくもの哀しい瞳に変わっている。
どうしてこんな顔するんだろう? あの指輪にはそんなに深刻な事情があるんだろうか?
ゆっくりと私から離れた彼の哀愁佩びた瞳は、遠くの海へ移された。明かりが少ないマリーナの先は真っ黒で波の音だけが聞こえている。長身の恵基が今は何故か小さく見えた。それはこれまで恵基が1度も見せたことのなかった物憂げな姿だった。
「… 疲れたよな。今夜はもう休もう」
恵基がそう言って、席を立った。
「あっ、ちょっとっ… 」
まだ話は終わってない!
そう食い下がろうとした私の目の前で、肩を落とし俯いたまま、歯を食いしばって何かに耐えている恵基の痛々しい姿がライトに照らされた。
「あっ、じゃ私そこのソファーベッド使うね。この間もそこで寝て凄く心地よかったから」
それ以上問いただすほど私はタフな精神を持ち合わせていない。いつも情に流されて、仕事にも失敗してしまう。そこが私の弱点だということは充分わかってるけど、こんな姿の恵基に詰め寄ることなんてできなかった。
諦めて席を立とうとしたした時、恵基の右手がぽんと私の肩に置かれ、少しだけ力が込められた。
それから、漆黒の海に目を向けたまま彼が呟いた。
「あの指輪は、俺の船にあった物だよ」
「えっ? 」
「由美さんが手に取って遊んでたキャンドルホルダーの中に入れてあったんだ」
「どうして、そのことを警察に言わなかったの? 」
「あれは元々ゆりかちゃんの持ち物だったんだ。あんな状況だったし、ややこしくなるの嫌だったから言わなかった」
あの日、稔さんから指輪を見せられた時の恵基の表情は、私がキャンドルホルダーを翳して揶揄った時と同じだったのを覚えている。いつも飄々としている彼の違和感いっぱいの真顔を見た時から、私はあの指輪のことが気になり始めたのだ。
「稔さんはそれを知ってるの?」
「知ってる。稔も気にしていたからな。次の朝、俺と一緒に出かけた時、稔の方から聞いてきた」
あの翌日、朝食の買い出しに行った2人が戻ってきたのはお昼前くらいだった。遅くまで帰ってこなかったのは、お店が混んでいたからだって言ってたけど、きっとこの指輪のこと話してたのかもしれないな。
「じゃ、おやすみ」
それだけ喋って、恵基はキャビンに入っていった。しばらくして、船底のベッドルームのドアが閉まる音が聞こえた。
デッキに残ったカクテルグラスを片づけて私もソファーベッドに横になったけど、気持ちが高ぶってすぐには寝付けない。
仰向けになった私のすぐ近くにはキャビンの窓があり、サッシの近くに置かれた丸っこいキャンドルホルダーが私の足先の上あたりに見える。あの中に指輪があったんだ。なのに、真由美さんが絞殺された現場の船底でそれが発見された。そのことを警察から聞かれた中嶋社長は
「隣の船のものだと思う」
と言った。
このハーバーには他の船も停泊しているのに、社長は『隣の船』と言った。問題のヨットは港の一番端で片側は舗装された道だ。つまり『隣の船』とは恵基のクルーザーのことになる。
中嶋社長はあのファッションリングが恵基の船にあったことを知っていた。それは社長がこの船の内部を知っているということ、つまりここにいた可能性を示唆している。だから恵基は最初から中嶋社長が犯人と断定していたんだ。
少しずつ見えない何かの破片が線で結ばれていくような気がした。
でも、まだ疑問は多く残っている
恵基が言うように、中嶋社長が事件当時、事務所ではなくここにいて真由美さんを殺したとしたら、それからどうやって八景島の事務所まで戻ることができたんだろう?
セルフィー写真に写っていたあの花時計の針は6時40分だった。真由美さんがヨットに入ったのは夕方5時過ぎ。それから彼女はシャンペンをあけて、お摘みのカナッペを食べていた。睡眠導入剤が入っているとも知らずに… 薬が効き始めるには暫く時間がかかるから、犯行は多分午後6時前後と考えられる。そうなると、ヘリでも使わない限りここから事務所へ戻るのは不可能だ。しかも、社長はオンライン会議に出席してたんだし…
何よりも中嶋社長と田口麗子さんがヨットで真由美さんの絞殺死体を発見した夜の9時まで、隣のデッキにいた私達はヨットに入る人を見ていない。
「アリバイがあるんだよなあ……」と呟いていた先日の恵基の言葉を思いだしていた。
それから、例のファッションリングにもまだ疑問がある。
なぜ、現場の船底に落ちていたのか。
恵基はあのファッションリングが、この船のキャンドルボルダーに入れられていて、しかも持ち主はゆりかちゃんだと言った。私があのキャンドルホルダーを弄んだ時には既に指輪はなかった。と、いうことは、私達がここに到着する前に持ち去られていたってことだよね。
でも、どうしてゆりかちゃんの指輪を恵基が持っていたの? しかも自分のクルーザーのキャンドルホルダーに保管してたなんて。
忘れ物だったのかな? いや、そうじゃないな… 忘れ物ならあの夜、指輪を見た時、ゆりかちゃん本人が自分のものだって言えばよかったんだし…
あの夜、指輪を見たゆりかちゃんは恵基の様子を窺ってた。そして無反応な恵基を確認して、何も言わなかった。
恵基とゆりかちゃんの接点は何だろう?
―― 不倫? のはずないよね?
だってあの指輪のこと稔さんも知ってるっていってたし…
やっぱりおかしいことだらけだ。ますますわからなくなってきた。これまで築いてきた恵基との関係を犠牲にしてまで潜入したかった彼の心の内も、こじ開けることはできなかった。
なんか全てが中途半端だ。私、やっぱりスパイには向いてないんだろうな。
物音ひとつしない静粛と心地よい波の揺れが、私の精神的な疲労を癒やしてくれる。やがてうつらうつら自然に眠気がやってきていた。
第7話: https://note.com/mysteryreosan/n/n8cffc7f90215
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