後輩がイケメンすぎると問題かと… 第3話
1
警察のサイレン音で、静かなマリーナの夜は一転した。強烈なライトに照らされた現場には立ち入り禁止のテープが張りめぐらされ、騒然とした戦場みたいだ。
人が1人死んでいるんだから、当然といえば当然だ。
それでも、野次馬は少ない。
こういう場所で過ごす人達は余計な揉め事に巻き込まれるのを極端に嫌う。
もともと立ち入りが制限されたVIPスペースで、夜ということもあり、マリーナにいる人々の殆どは、それぞれが所有するクルーザーに閉じこもってしまっていた。
明かりが漏れるそんな高級ヨットを警察が一艘づつ訪問し、1人1人に聞き込みを始めている。
私達4人は、第1発見者として神奈川県警の大型バンの中で事情聴取されていた。
車内は小さな机やモニターまで設置され、外見よりも広く感じる。少し離れたところで中嶋社長と秘書の麗子さん、それから管理人の西さんも事情を聞かれていた。
稔さんも第1発見者だけど、警視庁の刑事ということで初動捜査に協力している。
全ての話を総合すると、
中嶋社長は仕事を終えた後、秘書の麗子さんが運転する車で自分のヨットに到着した。ヨットに鍵がかかっていたので、真由美さんを呼んだが返答がなく、持っていた自分の鍵を使って中に入り、奥さんの絞殺死体を発見した
ということだ。
ヨットに入る真由美さんと私達が言葉を交わしたのは夕方5時過ぎくらい、死体が発見されたのは夜9時前だから、この4時間足らずの間の犯行だ。
「その時間、あなた方は隣の船のデッキにいらっしゃったそうですね? 」
現場のすぐ近くにいた私達は、犯行時刻頃何か変わったことや気が付いたことがないか聞かれていた。
私達はデッキで夕食を済ませ、恵基が作ったカクテルを片手にお喋りしていた。音楽も流していたけど、ボリュームを上げる必要がなかったくらいに周囲は静かだった。
隣のヨットの窓に明かりがついていたのは覚えている。
それ以上変わった点は特に思いつかない…
「大したことではないけど… 」
ロダンの「考える人」のような体勢の恵基が、稔さんに向かって呟いた。
「中嶋社長は裏門から入ってきたんだよな。正門の方がどう考えても近いはずなのに… 実際、先に来た真由美さんは正門から入ってきただろ?」
「ああそれは、時間も遅かったから管理人の西さんの手を煩わせないように気を使ったからだと中嶋さんが言ってたぞ。
正門は西さんが外に出て鍵を開けないといけないけど、ちょっと遠い裏門はオートロックで、管理人室から直接操作できるんだってな」
警視庁の刑事が偶然にも現場にいたということで稔さんは県警からかなり頼りにされている。もうすっかり捜査員の1人だ。
「西さんにも話を聞いたんだ。今日の昼前に中嶋社長からシャンペン1箱とお摘みを入れてくれと電話があったそうだ。それから夕方にもう一度連絡があり、仕事の都合で遅くなりそうだから、奥さんだけ先に向かわせる。秘書の麗子さんがマリーナまで送るが、真由美さんはヨットの鍵を持っていないから、西さんが管理している合鍵で開けてくれと言われたそうだ」
「確かに、俺が真由美さんと話していた時、西さんが鍵を開けてたよな…それから真由美さんが1人でヨットの中に入っていったのは覚えてる」
「あとそれから犯行時間くらいに、この辺りを子犬と散歩していた男がいたと西さんが証言してるんだけどな」
「ああ、その人なら私もちらっと見たかも… 」
ゆりかちゃんが、思い出したようにポンと手を叩いた。
「氷を取りにキャビンに入ろうとした時だったかな? その男の人、デッキから見かけたわよ。ポメラニアンみたいなムクムクのワンちゃん連れて散歩してた。このマリーンのお客さんの1人かな と思ったけど… 」
「見たことのない男だったそうだ。それで、西さんはその男にすぐ出ていくように注意したそうだ」
「でもその人、どうやってここに入ってきたのかしら? ここは会員制で、門も頑丈じゃない? 」
私の素朴な疑問に、恵基が答えた。
「先日の船荒らし騒ぎもそうだけど、このマリーナの先は拡張工事中なんだ。この間の事件の後で柵は作られたけど簡易なものだからな… 車での侵入は無理だとしても、徒歩なら充分アクセス可能だよ」
「西さんもそう言ってた。まあこれはオレ達刑事の推測なんだが、その男が強盗目的か何かでヨットに忍び込み、真由美さんに見つかり咄嗟に絞殺しちまった って線じゃないのかな… 」
恵基が思わずプッと吹きだした。
「ムクムク犬も一緒にか? だとしたら相当訓練された犬だぞ。真由美さんを絞め殺している間、全く吠えなかったってことになるからな」
ばからしい と言わんばかりの呆れ声だった。
それでも稔さんはかなり真剣にその可能性を考えているようだ。
「恵基お前笑ってるけどな、真由美さんが着けていたダイヤの指輪がなくなってるんだ。1カラット以上もある高級ダイヤだったらしいから、強盗の線は濃いんだよ」
「でもその時間って周りは静かだったのよ。確かに私達は音楽かけて、稔と私の馴初め話で盛り上がってたけど、大きな音がしたら気が付いたはずだわ」
ゆりかちゃんの言葉通り、海風が心地よい穏やかな夜だった… 少なくとも私達のデッキでは…
刑事さんの1人がこちらにやってきた。稔さんにだけ何か耳打ちして、ビニール袋に入れられた小物を渡している。
それを手にした稔さんは唇をキュッと結び顔を傾げながら、私達の前にその袋を差し出した。
可愛らしい金のファッションリングだ。キラキラと光るハート型の小さな石はアメジストかな? 淡い紫色がとってもキュートだけど、どこにでもありそうな指輪でそれ程高価じゃなさそうだ。
「これが船底に落ちていたそうだ。真由美さんは宝石好きだったそうだが、1カラット以上ある宝石しか興味を示さなかったらしい。サイズも違うし、もしかして隣の俺達の船から盗まれた物じゃないか と中嶋社長が言っているらしい。見覚えあるか? 」
「知らねぇよ!」
即座に答えた恵基は、なぜかその指輪から目を逸らした。
その様子に私は、なんとなく今日の夕方と同じ違和感を持った。
窓際でキャンドルホルダーを恵基に翳した時、彼が見せた顔… あの時と同じ表情を見てしまったからだ。
束の間の沈黙の後、ゆりかちゃんが首を傾げてビニールに入ったその指輪を見詰めた。
「これって…… 」
指輪が入った袋を手にしたゆりかちゃんは、それを裏返したり、逆さまにしたりしながら袋の中のファッションリングを観察して、何かを思い出したように、隣にいる恵基にくるりとした大きな目を向けた。
そして恵基がそれに全く反応しないのを確認すると、取り繕うような微笑みを稔さんに見せて、テーブルに指輪を戻した。
「なんだよ、ゆりか。 お前、その指輪に心当たりでもあるのか?
まさか、恵基からプレゼントされたとか言わねえよな… 」
稔さんは、ゆりかちゃんの態度が気になったようだ。自分の妻だから、当然だよね。
「どこをどう辿ってそういう事になるんだよ。全くお前ら刑事ってホント、救いようねぇな」
恵基は『だめだこりゃ… 』ってポーズで机に片肘をつき、頭を抱えた。
ゆりかちゃんは、もっと凄い。もともと大きな目を更に見開いて、
「言っていい事と悪い事あるでしょ!? 奥さんと親友が信用できないなんて、バッカじゃないの? 情けないったらありゃしない」
と、稔さんに凄い剣幕で喰ってかかっていた。
まあ恵基はさておき、ゆりかちゃんが稔さんを差し置いて不倫するような娘|《こ》でないのはt確かだろう。
今夜、2人の馴初めをデッキで聞いた。
いわゆる『不良少女』だった16歳のゆりかちゃんを当時交番勤務だった稔さんが補導したことが2人の出会いだったそうだ。親身になって相談にのってくれた稔さんに、父親がいないゆりかちゃんが惹かれていったんだそうだ。
モデルとして活躍できたのも、街でスカウトされて迷っていた時期に稔さんが、
「やってみれば? うまくいかなくても、俺の嫁くらいにはしてやれるかもwww」
と、さり気なく肩を押してくれたからと嬉しそうに語っていた。
そして現在は、それを見事に両立させている。
歳は若いけど、稔さんとよく似て一本筋が通っているゆりかちゃんが、大切な稔さんをその親友と裏切るなんて考えられない。
恵基だって手の付けようがない女たらしだけど、不思議に自分の周囲の女の子には興味を示さない。
まあそういうことだから、この2人が不倫なんてあり得ないはずなんだけど。
でも、さっきのゆりかちゃんが言いかけた言葉と態度は私も気になった。
彼女はこの指輪と恵基を何に関連付けたのだろう……
それから、今日初めて見た恵基の真顔……
彼のプライベートに立ち入ったことはないけれど、多くの時間を共有してきた私が、初めて見る表情だったことは確かだ。
「何れにしても、県警は犬の散歩をしていた男を探している。舗装された場所だから少し時間がかかると思うけど、まあ明日までには鑑識が靴跡くらい割り出してくれるんじゃないかな」
指輪が入った袋を近くにいた制服警官に渡した稔さんに、恵基が質問した。
「警察は、中嶋社長が犯行時刻に何処で何してたか聞いたのか?」
「もちろんだ。夕方6時頃から八景島の事務所で岡山エリアのマネージャ達とリモート会議してたそうだ。7時半過ぎに会議を終えた後も暫くそこで仕事をしてそのままここへ来たそうだ」
「じゃ、社長はこの近くにいたんだな。リモート会議なんてどこにいたってできるし、アリバイにはならねぇよな」
「何か言いたいんだ恵基。お前中嶋社長を疑ってんのか? 」
「その可能性もあるだろ? 夫婦仲は知らねえけど、社長の女性関係は派手らしいぞ」
―― 派手な女性関係? その言葉、恵基が言うかなあ? 自分のこと棚に上げて ――
不謹慎だと思いながらも可笑しくて、つい笑みが零れてしまった。
私の心の声を察知したのか稔さんも笑いを堪えながら真面目に話を続ける。
「社長がヨットに入るのを西さんが管理人室の窓から目撃してる。そして中嶋社長はヨットに入るなり真由美さんの死体を発見したんだ。
俺達だって声を聞いてすぐに駆け付けてただろ?
第一、真由美さんが船に入ってから中嶋社長が到着するまで、誰もヨットに近づいた形跡はないんだぞ」
確かにそうだ。
私達は隣のデッキにいた。そこからはヨットまで続く浮桟橋がよく見える。私達に目撃されずに、ヨットにいる真由美さんを訪ねていくことは不可能だ。
「ソファーでシャンペンを飲んでいた彼女の背後を船に潜んでいた強盗が襲ったか、船底で真由美さんと鉢合わせとなって咄嗟に絞め殺したか… そっちのほうが理屈としては成り立つだろう。犬が吠えなかったのは口輪をつけてたんじゃねぇかな… 」
強盗がヨットでお宝を物色していた時に真由美さんが入ってきた。それで慌てて船底に隠れたのかもしれない。
私はそういう設定で無い知恵を絞って考えを巡らせてみた。
…シャンペンを飲んでいた真由美さんが、異変に気が付き船底へ行き、そこに潜んでいた強盗と鉢合わせになった。顔を見られた強盗が真由美さんを絞殺して、ダイヤの指輪を奪った。
床に零れてたシャンペンの量からみても結構飲んでたみたいだし、少し酔ってたのかもしれない。だから、いきなり襲われて大声が出せなかったのかも。現場が船底だったら音だって外へは漏れないし。
「犯人は船底で絞殺した真由美さんをソファーに運び、船から出て行った… っていうのはどうかな?
船底で見つかったファッションリングは真由美さんを絞殺している時か、死体を運んでいる時に落としたとか… 」
犯人がどうやってヨットから出て行けたかは思いつかなかったけど、それを稔さんが理屈づけてくれた。
「西さん曰く、風を入れるために朝からヨットのサロンと寝室の窓を開けていたそうだ。そこが侵入経路だろう。
サロン側の窓は俺達のいたデッキに近いから、寝室側の窓から外に出て、あとは犬の散歩を装って逃亡したのではと県警は考えている」
恵基の小型クルーザーの小さな窓だって、人1人くらいは侵入できる。
それより遥かに大きな中嶋さんのヨットなら、窓からの出入りは至極簡単だ。しかも、寝室側の窓はブロック舗装された道に面している。
薄暗かったし、船の出入港も殆どない時間帯だった。窓から出て散歩を装うことは不可能じゃない。
「… 」
私と稔さんが辻褄をあわせた説明を終えてもまだ恵基は疑念を拭えないようだ。
「恵基、なんの根拠でお前は中嶋社長を疑ってるのか知らねぇが、社長にはリモート会議の他にもアリバイがあるんだよ」
稔さんは自分のスマホを操作して、あるブログ記事を私達に見せた。
中嶋社長のビジネスブログだ。最新記事の更新時間は今日の午後6時50分。
『束の間の休憩、美しい花時計に心を癒やされる』とある。
事務所の前に設置された大きな花時計をバックにした中嶋社長のセルフィー写真だった。色彩豊かな美しい花々の大きな時計は6時40分を指し、今日の日付も写り込んでいた。
「会議の途中、20分ばかり休憩があったそうだが、外の空気を吸いに出た中嶋社長は花時計が余りにも美しかったので撮影して、そのまますぐブログにアップしたらしい。
ブログに載せる前に、会議中のメンバーにもこの写真を送ってる。会議に参加してたメンバー全員がリアルタイムでその写真を受信しているんだよ」
「つまり、中嶋社長は夕方6時40分には事務所の外にある花時計の前にいたという確証があるわけだ。事務所からここまでの直線距離はそれ程遠くないけど、車両規制もあって迂回しないといけないから、車で片道40分以上はかかるよな。犯行の後で事務所に戻るのも無理ってことか… 」
「まあ、そういうことだ。社長の派手な女関係なんて動機としては弱すぎるよ。それとも他に何か殺さなきゃいけない理由でもあるのか? 」
「そんなの俺が知るか! それを調べるのがお前ら警察の仕事だろ? 俺は刑事でも探偵でもねぇ」
私達2人に論破された恵基は不機嫌そうに、顔を逸らした。
稔さんは、恵基を負かして嬉しそうだ。ニヤニヤしながら更に追い打ちをかけてる。
「中嶋社長を嗅ぎまわってるのは恵基、お前達だろ? 俺としては、刑事でも探偵でもねえスパイの意見が聞きたかったんだけどなあ… 」
―― 凄いな稔さん! ――
思わず私はそう叫びそうだった。
あの自信満々の俺様恵基が返す言葉を失っている。
ここまで恵基を『普通』に扱える人達もいるんだと思った。
私達がクルーザーに戻った時はすでに夜中を回っていた。結局明日もここに足止めとなりそうだ。もちろん、真由美さんと約束していたブランチもクルージングも中止だ。中嶋社長のことも探れそうにない…
こうして私達の『素敵な週末』は一転して殺人事件の捜査に協力を余儀なくされ、クルージングどころではなくなってしまったのだ。
2
芳ばしいコーヒーの香りで目を覚ました。窓から差し込む朝の光が気持ちいい。
「あ、おはよう由美さん」
ミニキッチンでコーヒーを入れていたゆりかちゃんが、目覚めた私に気が付きコ―ヒーマグをもう1つ取り出してくれた。
私は急いでシーツを取り払い、ベッドを畳んだ。
昨夜はゆりかちゃん夫婦が船底のベッドルーム、私はこのサロンのソファーベッド、そして恵基はデッキに吊るしたハンモックで夜を過ごした。
夜風は殺人事件があったとは思えないようにやさしく、私が寝ていたソファーベッドはまるでゆりかごのように心地よかった。
「稔さんと恵基は? 」
コーヒーがたっぷりと入ったマグをデッキのテーブルで受け取りながら、ゆりかちゃんに聞いた。
「朝食の調達してくるって言って、稔の車で出かけたわ」
そう答えながら、ゆりかちゃんは私の隣に腰掛けた。
薄いレモンカラーのシンプルなリゾートワンピが良く似合ってる。こういう色ってプロのモデルさんじゃないと着こなせないかも… 少なくとも私には無理だ。後ろの大きなリボンが彼女の縊れたウエストラインを更に強調していた。
「ゆりかちゃんと稔さんは、恵基と長い付き合いなんだよね。もうどのくらいになるの? 」
私も恵基の友人の1人だけど、彼のずば抜けて甘いマスクと半ば強引ともいえるカリスマ性にいつも翻弄されている。私だけじゃない… 恵基はいつも周囲の注目の的だ。なのに彼はいつも周りを振り回してばかりで、彼の内面には誰も踏み込ませようとしない。
ところが、この2人と一緒にいる彼はいつもより無口で、妙に『普通』に見えた。
多分それはこの2人が恵基を知り尽くしているからだと感じた私は、その『気になる部分』をさり気なく聞いてみたかったのだ。
それからもうひとつ…
昨夜、犯行現場で発見されたあのファッションリングを見たゆりかちゃんが言いかけた言葉…
―――「これって… 」
彼女は私が知らない恵基の何かを知っている… それも気になったままだ。
「恵基さんと知り合ったのは、7年以上前になるかな? そのころ恵基さんは、ニューヨークにいたわ」
柔らかな海風に揺れる髪を掻き上げながら、ゆりかちゃんが語り始めた。
「アメリカで日本人留学生が射殺された事件覚えてる? あの事件の捜査協力で稔がニューヨークに派遣されることになったの。稔ってああ見えて結構臆病で… 海外経験もないし、語学も苦手だから私も心配だったのよ。それでモデル仲間の私の友人がニューヨークにいた恵基さんを紹介してくれたの」
「そうだったんだ。恵基がアメリカにいたってことは聞いてたけど、稔さんとそこで知り合ったなんて知らなかったな。しかも、2人を巡り合わせたのがゆりかちゃんだったなんて初耳。恵基ってプライベートは一切口にしないから… 」
この3年間殆ど毎日顔を合わせているのに、私達、お互いに何にも知らないんだ… そう思った途端、恵基との『ドライな友人関係』にちょっとだけ暗い気分に陥ってしまった。
ゆりかちゃんは私に微笑んで、続けた。
「きっかけを作ったのは私だけど、結局あの2人は勝手に意気投合しちゃったのよ。実際、恵基さんは稔の親友だもの」
「稔さんが、あの恵基とどうして気が合うのか、凄く不思議だけど」
「一見そう見えるかもね。でも、あの2人よく似てるのよ。大胆なわりに臆病なところとか、不器用で世渡り下手なところとか… 」
――― 臆病で不器用な世渡り下手? ―――
「恵基には正反対のフレーズだと思うけど… 」
「…… 」
なぜかゆりかちゃんは何も言わなかった。私はまた妙なものに触れたように感じ、もうひとつ気になっていた昨日のことに話題を移した。
「ねぇ、昨日ちょっと気にかかったこと聞いていいかな? 」
「なあに?」
「中嶋社長のヨットで見つかったファッションリングのことだけど… ゆりかちゃん、あの時何か言いかけてたみたいだったし。何か心当たりがあったの?」
ゆりかちゃんが僅かに動揺した。両手でしっかりと握りしめたマグカップに目を落としたまま、私にどう答えるか思案しているようだった。
心地よい波の音とカモメの鳴き声が聞こえる中で、私は彼女の言葉を待った。
暫しの沈黙のあと、ゆりかちゃんは思い切ったように私の目を見て、口を開いた。
「由美さんは恵基さんのこと好きなの? 」
想像もできなかった言葉だ。いきなりそんな質問で返された私も、どう答えてよいかわからない。突然の型破りな言葉に私はかなり慌てた。
「あっ、と… どういう事なのかな? 指輪とそれって関係あるの? 」
狼狽した私は作り笑いで誤魔化そうとしていた。でもゆりかちゃんの大きな瞳は、それを逃すまいとしっかり伺っている。私の顔はどんどん火照り、金魚のように口をパクパクさせて、返答に困っていた。
「…やっぱり」
そんな私の態度を暫く観察した後、ゆりかちゃんが、ぱっと嬉しそうに笑った。まるで今、私が見つけてしまった答えを勝手に引き出したように…
――― 私は恵基が好き?
そうだったんだ… そうだよ!
ゆりかちゃんから聞かれるまで、私はそのことに気づかなかったんだ。
いや、気が付かないようにしていたという表現のほうが正しいのかもしれない。
恵基にとって恋愛はゲームだ。遊び人を公言している彼は、いつも違う彼女を連れていた。相手の女の子が真面目な恋愛を仄めかすとすぐに別れを切り出し、本気で彼を愛そうとしたために泣いた人達を私は沢山見てきた。
そんな恵基を好きになれば、傷つくことは火を見るよりも明らかだ。だから私はこの3年の間、自分の気持ちに気が付かないふりをしてきた。恋心を育む自分を無視して、ただの友人を装った。そうすることで、傷つくことなく彼の傍にいることができるからだ。
先輩後輩という関係の隠れ蓑が築き上げたドライな友人関係… お互いプライベートに干渉しないことで、私は恵基と離れずに過ごせる環境を作り上げていたのだ。
多分ゆりかちゃんは、恵基のプライベートに隠れた何かとあのファッションリングを結びつけている。
私の知らない何か……
きっと、恵基が誰にも立ち入りを許さない彼の内側に深く関係しているのかもしれない。それを知ってしまえば、これまでの私と彼の平穏な関係が大きく変わってしまう危険があるんだ。そう考えればさっきのゆりかちゃんの問いも納得がいく… 私と恵基の絆が揺らぐようなきっかけを作りたくないと思っているんだ。
私はそれ以上、この話を掘り下げる勇気はなかった。
第4話: https://note.com/mysteryreosan/n/n6aa7e533d15b
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