後輩がイケメンすぎると問題かと… 第5話
1
月曜日はいつも憂鬱だ。
定例会議が行われ、担当案件の状況からこの1週間の行動や計画なんかをボスに報告しなければならない。会議時間は余裕で1時間を超えてしまう。
そのうえ先週のやり残しまで被さってしまえば、トイレに行く暇もないくらいてんてこ舞いだ。
「恵基はどこだ? 」
ひと通り報告を終えた私に、ボスが尋ねた。
「情報提供者と接触するっていって、外出中です。会議までには帰ってくるってことでしたが、間に合わなかったようですね」
「そうか」
ボスは恵基にいつも寛容だ。元CIAの恵基にとって、うちの会社の仕事は赤子の手を捻るようなもの。いつも確実に予想以上の成果をあげてくる。
情報提供者を探し、その人物から情報を得るというのが私達の仕事だ。
情報提供者はターゲットの企業に勤務する社員だったり、出入りの清掃業者の1人だったりと様々。稀に私達本人が潜入することもあるけど、それでは能率も悪いから、よっぽど窮地にたたされている時だけに限る。
貴重な情報を提供できる人物を短時間で確保するのがこの仕事の一番難しい部分なんだけど、恵基はそれをいとも簡単にやってのけるのだ。
まあ、あの抜群のビジュアルでアプローチするのだから、成功率は高いだろう。その証拠に恵基の情報提供者には女性が多い。
もちろん、イケメンだけで成果は上げられない。噂好きな女性達を上手く扱い、核心部分では確実な情報提供者を仕留めてくる彼の諜報テクニックは私達には到底真似できないほど高度なのだ。
だからボスにとって恵基は至極最強「黄金の切り札」だ。少なくとも参加が義務づけられている定例会議を連絡なしにすっぽかしても許されるくらいには…
「由美、君達の耳に入れておきたいことがある。できるだけ早急に『ミュゼ』に関する情報が欲しいとクライアントから連絡があったんだ」
中嶋社長の会社『ミュゼ』は真由美さんが死亡したことで、彼女の持ち株全てが中嶋社長に流れることになる。それだけではない。本社ビルと土地はもともと彼女の父親のもので、真由美さん名義だ。真由美さんには兄弟も子供もいない。つまり、夫である中嶋氏が相続人だ。
「この買収戦争で『ミュゼ』の大きな弱点は資金面だったんだが、中嶋社長夫人の死で、勝算が大きく『ミュゼ』側に傾いている。そのことが我々のクライアントを焦らせはじめているようなんだ。だから一刻も早くクライアントに有利な情報を提供したい。恵基にもこの件を伝えておいてくれ」
「わかりました」
私は、先週末のマリーナでの事件を思い返していた。真由美さんが亡くなって、ミュゼが買収に大きく前進した… タイミングが良すぎる… 初めて私は中嶋社長への疑惑を抱いた。
あの夜午後9時頃、西さんが船に入っていく中嶋社長を目撃している。つまり社長は船外にいたはずだ。そして、あのセルフィーに写り込んでいる花時計は、犯行時刻のアリバイを確証している。
中嶋社長はどうやって誰にも見られずにヨットに出入りできたのか… どう考えても彼の完璧なアリバイは崩せなかった。
その時、机に置いた携帯の着信音が鳴っているのに気が付いた。
恵基だ。
「もしもし、恵基? 会議もう終わっちゃったよ。今、どこにいるの? 」
会議来れないって一言連絡くれてたら、私だってそれなりの心構えができたのに、相変わらずマイペースな奴!
「今、ミュゼの本社近くだけど、由美さんこれから出ておいでよ」
「はあ? 何言ってんの! 今日どれだけ忙しいかわかってる? 」
「忙しくない日なんかねぇだろ? あくせくすると白髪増えるよ」
「失礼ね! 白髪なんかありません! 」
ヤバいいい… いつものアイツのペースにのせられてる。しっかりしなきゃ!
巻き返しを図ろうとした私だけど、時すでに遅し…
「由美さんの白髪増えてないか、俺が確認してやるよ。ミュゼ本社の斜向かいにあるイタリアンカフェで待ってる。ランチおごるからさ、早く来て。じゃっ」
「ちょっとー 待ちなさいよ、恵基っ!!… 」
あのクソ野郎、言いたいことだけ勝手に告げて携帯切りやがった…
絶対行ってやるもんか! 後輩のくせに生意気に、なにが『お昼おごる』だっ! 私、白髪なんて1本もないんだからっ…
ムシャクシャしながらも、手鏡を出してつい生え際を確認していたら、恵基がまたメッセージを送ってきた。
―― 白髪チェックは俺に任せて、早くおいでよ。イタリアン好きな由美さんのために待ち合わせここにしたんだから、すっぽかされたりしたら悲しいよなあ(涙)――
「…… 」
さすが元CIA。私の行動、完全に見透かされた…
それに被せて、いつもの俺様ピヨピヨ攻撃… 私はこれに弱い。
手鏡に写った自分は白旗を揚げていた。
私は携帯をバッグに入れオフィスを出た。
ちょっと悔しい気持ちもあったけど、なんとなくデートに誘われたみたいで、自然と笑顔が浮かんでいた。徐々に膨らんでいく幸福感は嬉しい焦りとなり、地下鉄のホームで電車を待つ僅かの時間さえじれったく感じた。
2
ミュゼ本社周辺は都心の由緒ある閑静な地区だけど、最近の開発ですっかり様変わりしてしまっていた。難しい横文字がついたお洒落で小さな店が多く並び、まるでテーマパークに迷い込んだ気分だ。
お洒落なミュゼのエントランスから斜め向かいに伸びる細い路地に、緑白赤のトリコロ―ルが掲げられた小さな店を発見した。
―― あそこだ! ――
浮足立つのを抑えているつもりだけど、自然と速足で歩くニヤケ顔の自分がいる。
ところが店の入口のちょっと前で、私の浮かれた気分は一気に谷底へと突き落とされてしまった。
似非レンガ張りの大きな窓越しに、若い女の子と楽しそうに話している恵基を見てしまったからだ。
―― なによ、どういうこと? ――
以前の私なら気にせずに入店して、彼の前で
「お待たせ、あら新しい彼女?」
と、おちょくり口調で尋ねていただろう。それなのに今の私は思わず、中に入るのを躊躇ってしまっている。
鋭い刃物で抉られたような胸の痛みが、恋愛をゲームとしか考えない恵基に恋をした『代償』を私に教えてくれていた。
店内の恵基と目が合った。私の心境を知るはずもない彼はいつもの流し目でウインクすると、その視線をまた前にいる彼女に移した。
―― 帰りたい と思ったけど、見つかっちゃったからそうする勇気もない。まごまごしているうちに、女の子が微笑みながら席を立ち店を出て行った。
恵基が笑顔で手招きしてる。複雑な気持ちを飲み込んで店に入った私は、彼の前で不機嫌そうにずんと腰を下ろした。
「早かったじゃん! すっぽかされるかもって覚悟してたんだけど」
「すっぽかせばよかったわよ! お邪魔だったみたいだし!」
飲み込んだばかりの苦い気持ちがそのまま尖った口調で吐き出ていた。
「お邪魔って… 、ああ今の女の子のことか。情報提供者だよ」
ちょっぴり感情まかせの私の態度を完全にスルーして、恵基はメニューを突き出した。
―― 噓つき… あんな情報提供者、私、見たことない
いつも一緒に行動しているから、情報提供者の顔は知ってる。さっきの子は初顔だった。メニューを受け取り一応開いたけど、あの子のことが気にかかって何も見えていなかった。
「ゆーみーさん ♪ 」
恵基のヒヨコ系撫で声で、はっ と我に返った。
どのくらい時間が経っていたのだろう… 私の横にはホール係の女の子が少し困惑したようにオーダーを待っていた。
どうしよう、メニュー何にも見てなかった。お昼時の混雑したお店、まだ決めてないですって待たせるのも悪いな…
焦った私があたふたとメニューを見返す前に、恵基が女の子に微笑んで
「彼女も俺と同じでお願いします」
と言った。
待ち時間が短縮されたことに安心したのか、キラリとした恵基の笑顔が気に入ったのか、そのホール係は嬉しそうにテーブルを離れてくれた。
「ちょっと、勝手に決めないでよね! 食べるの私なんだからっ‼ 」
「由美さんが、ボーッとしてるからだよ。この混雑でモタモタされたらお店の人キレるよ。スープに唾とか入れられたらシャレになんねぇからな」
そう言ってテーブルに両肘をついた恵基がじっと観察するように私に顔を近づけた。
うっ、長いまつ毛をのせたアーモンドの瞳から直接視線を注がれて、心臓飛んじゃいそう…
「さっきの女の子、そんなに気になる? いつものことだろ? 」
周囲に配慮しただけの恵基の低い声まで普段より甘く感じてしまってる。
「そう… ね。いつものことだし」
私は言いたくない言葉を無理やり絞り出して、俯いた。
いつもみたいに毒づけない… なんでこんなことになっちゃったんだろう。もう私、前みたいに他愛のない言葉を交わしてじゃれ合うことできないのかな?
そう思うと、恵基への想いに気づいてしまった自分が悔しくて憂鬱な気分になっていく。きっと今、私、ひどい落ち込み顔してるはず。勘のいいコイツのことだから、このグチャグチャな私の想いに気が付いちゃうかもしれない。このままじゃ駄目だ!
殆ど気力で顔をあげた私に、恵基は穏やかに、そして真面目な顔で言った。
「あの子、ほんとにただの情報提供者だよ。由美さんがあの子の顔知らないのは、今日初めてコンタクトしたからなんだ」
私を包むような柔らかい視線でそう説明してくれた。
それだけで、私の心に覆った黒い雲は一瞬で消え去っていく。今度は少し胸が発熱したように温かくなってきた。
恵基のエキゾチックなハーフ顔は見慣れているはずなのに、あの事件があった翌日からは、彼のちょっとした動作にもときめいてしまう。
私だって30代、それなりの恋愛経験だってある。振られたり、振っちゃったり、なんとなく自然消滅したり… お見合いだってした。相手はみな律儀でそれなりに素敵な人ばかりだったと思う。少なくとも私には…
でも恵基は、これまで私が経験したどんな素晴らしい恋愛や出会いにも当てはまらない。
仕事でコンビを組んでから今まで台風のように私を振り回し、気が付くとひとクセある友人の1人に納まっていて、そしていつの間にか私の心まで鷲掴みにしていた。傲慢で、無遠慮… でも優しくて有能でイケメンのナルシスト… 私が一番苦手なタイプの男なのに、まるで運命の輪に吸い込まれるように私の心はこの『困った後輩』にどんどん接近していた。
3
「噓でしょ?! さっきの子、本当にそう言ったの?! 」
食後のカプチーノを飲みながら、あまりにも衝撃的な情報に思わず声を上げてしまっていた。
隣のテーブルにいたOLらしき2人組が、私に迷惑そうな顔をむけてる。
恵基は『ちょっと申し訳なさそうな流し目』でその彼女達にウインクして、あっさりと丸め込んでしまっていた。
なんて型破りな… 私がそんな事したら袋叩きにあいそうなくらい高慢ちきな行為だ。恵基にしかできない技だよなあ… と、ちょっと感心する。
周囲に疎まれるくらい大きな声を出してしまったのは、前日亡くなった中嶋社長夫人、中嶋真由美さんのとんでもない交友関係を耳にしたからだ。
信じがたいことだが、真由美さんは中嶋社長の他に長く付き合っている人がいた。
その相手は、あろうことか夫の秘書、田口麗子さんだというのだ。
「確かな情報なんでしょうね……?」
「ああ。さっきの女の子は麗子さん行きつけのお店の子なんだ。歌舞伎町にあるちょっとお金持ちのゲイカップルが経営しているお店らしくて、真由美さと麗子さんは店の常連さんだったそうだよ」
「もしそれが事実なら、すごいスキャンダルじゃないの」
「ま、公になれば化粧品製造会社の買収はまず無理だろうな。会社全体のイメージにも傷がついて経営にだって影響が出るよ」
総合美容グループ『ミュゼ』は、ハイソなマダム達をターゲットにした美容整形クリニックやエステが主要産業だ。そのトップである中嶋社長の奥さんが不倫っていうだけでも大問題なのに、その相手が女性となると、もはやこれは破壊的なイメージダウンだ。
「警察はそのこと知ってるのかしら? 」
「知らねぇだろう。こういうのって、わりとタブー事項だからな。麗子さんは絶対に言わないだろうし、歌舞伎町の店のスタッフだって、巻き込まれるのを疎んで自ら警察に告げ口しないよ」
警察すら得ることができないような情報を掴むなんて、コイツはどこまで凄腕のスパイなんだ…
「恵基あんた、なんでこんな爆弾情報つかめたのよ? 」
同業者の探求心というか… つい興味本位で尋ねた私の前で恵基は、ドヤ顔をして満足そうにエスプレッソを飲み干した。
「簡単だよ。麗子さんが俺に靡かなかったんだ」
「はっ? 」
「ちょっと前から俺は麗子さんに接触を図ってたんだけど、相手にされなくてさ… 別の方法を模索してた矢先に、先週の事件だろ。
あの夜、マリーナで真由美さんと中嶋社長の2人に接点があったのは、麗子さんだけ。だから俺は彼女が事件に関係してそうだなーって思って、彼女の周辺をあたってみたんだ。
俺を袖にできる女なんて、そういねぇんだよ。それで予想できたのが、ひょっとしたら麗子さんは中嶋社長の愛人で、社長一筋の『愛人の鏡』なのかも っていう線だったんだけど、調べてみたらもっと凄い結果になっちゃったってこと」
なるほど… 恵基のナルシシズムが功を奏したってことね。
私が妙に納得しながら泡の消えたカプチーノに口を付けようとした時、恵基の携帯が鳴った。
「もしもし、ああ稔… えっ?… 」
稔さんからだ。でも様子が変だ。彫りの深い目をきょとんとさせた恵基は何かに驚いている。
そして稔さんと直接会う約束をしたあと、電話を切って私に呟いた。
「西さんが逮捕された」
「えっ? 何で…… 」
あの親切そうなマリーナの管理人さんが… 全くわからない展開だ。
「詳しいことは電話じゃ言えないみたいだから、今夜稔と会って話を聞くよ。由美さんも一緒に来るだろ? 」
―― コイツ、仕事が終わると私には何も予定がないって決めつけてる。「今晩予定入ってる? 」とか聞いてもくれない。ほんと失礼な奴だな。
私の意見を完全無視して勝手に夜の予定を入れられたのは癪に障ったけど、事実私には夜の予定なんかなかった。
それに、状況がどうであれ恵基と一緒の時間が増えるのは嫌じゃない。くやしいけど、やっぱりコイツと一緒がいい。
第6話: https://note.com/mysteryreosan/n/n82a72b971c73
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