❺小説家
「雅さんは恋人がいるの?」
さくらは、雅の家の縁側でさくらんぼのジュースを飲みながら、それとなく尋ねてみた。なんとなく、この間のそれが恋しい人とする行為なのは知っていた。
「いないわ。私はひとり。」
雅は、高くひとつに括った髪の毛を解きながら、薄く笑みを浮かべた。さくらは、時折見せる、雅の奥の深い微笑みが好きだった。
「さくらちゃん、こないだ家に来てくれたのね。どら焼き置いてってくれたでしょう?」
さくらは、母が持たせたどら焼きに「ジュースありがとう さくら」という手紙をつけていた。そうだ、そういえばどら焼きよりも気になることがあったせいで、すっかり忘れていた。さくらは雅にあの時のことを指摘されないか、ドキドキしていたが、雅は意に介していない様子だった。
「一緒に食べましょう」
と自分とさくらの前にどら焼きとさっきさくらの温度に淹れたお茶を置いた。
「雅さんはお仕事をしているの?」
さくらはそう言った後、湯呑みの中身が丁度いい温度なのを、舌で確かめる。さくらは雅が仕事でこの家にいない、という状況を聞いたことも見たこともなかった。
「私は、小説を書いているの。といってもそんなに売れているわけではないけれどね」
雅は頬杖をつきながら微笑み、さくらを見る。さくらは、ドッジボールで、すんでのところで前の男子がボールを取った時のような表情が出た。自分でも思いがけなく。
「へえ。私、本を読むのが好きなんだ!見せて見せて!」
雅はにっこり笑い、古い棚から1冊の本を持って、それをさくらの前に置いた。不安になりそうなくらいには薄暗い表紙に「ほどけなくて」とあった。