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『64ロクヨン』映画と原作はラストが違う!組織の存続と矛盾

昭和64年(1989年)。とはいっても、昭和64年はたったの1週間でした…
1月1日~1月7日、この1週間が昭和64年。1月8日からは平成元年です。

その当時、昭和天皇の御病状が悪化。昭和の終わりが近づいている…日本国民は肌で感じていました。
『64ロクヨン』は、1週間しかなかった昭和64年に起こった誘拐殺人事件という設定。実際に起こった事件がモデルになっているとも言われています。

『64ロクヨン』が発行されたのは2012年10月25日、著者は横山秀夫さん。「D県警シリーズ」の第4作で、シリーズ初の長編です。

人気作家の横山秀夫さんの作品ですし、作品の完成度も高かったこともあり、累計発行部数130万部のベストセラーに。
当然ドラマ化され、その後映画化されました。

ピエール滝さん主演のドラマは、完成度が高かったですね。ところが佐藤浩市さんが主演の映画は…残念ながら微妙かな。

詳しい書評に入る前に、あらすじと登場人物を掲載しておきます。

□あらすじ

D県警の三上義信は46歳にして20年ぶり2度目の広報室への人事異動をくらった。1度目のときは捨て鉢な態度で職務につき広報マン失格。1年で刑事に戻れたものの、人事異動へ怯えが精勤を支え、結果、刑事として確かな実績を作ってきた。だがしかし――。職能を見限られた気はしたものの、前のような愚はおかさず、警務部長の意向に沿うだけではない、広報室に改革に乗り出し、記者との歪な関係も解消されてきていた。そんな矢先、ひとり娘のあゆみが失踪した。全国への捜索手配を警務部の赤間に願い出た三上は、上司に服従するほかなくなったのだった。 変節をした三上が、記者クラブと加害者のやっかいな匿名問題で対立する中、警察庁長官による、時効まであと1年と少しの「64(ロクヨン)」視察が1週間後に決定した。64とは、たった7日間の昭和64年に発生した「翔子ちゃん誘拐殺人事件」を指す刑事部内での符丁だった。遺族の雨宮に長官慰問の件を知らせに行くとけんもほろろに断られる。なぜここまで雨宮と拗れたのか。雨宮を懐柔するための情報を得ようと、当時の捜査員など64関係者にあたるうち、刑事部と警務部の間に鉄のカーテンが引かれていることを知る。それには元捜査員が口を滑らした「幸田メモ」が関わっているらしい。警務部で「陰のエース」の名を恣にする三上の同期・二渡真治も幸田メモに関して動いていた。幸田メモの真相をつきとめ、警察庁長官の視察の新の目的をさぐるために動く三上の前に二渡が現れる。二渡は名将の誉れ高く、8年前に退官した尾坂部の家に入っていった。

Amazon商品ページより出典

□登場人物

三上 義信(みかみ よしのぶ)〈46〉
D県警察本部 警務部秘書課調査官〈広報官〉警視。
三上 美那子(みかみ みなこ)
義信の妻。元ミス県警の美人。
三上 あゆみ(みかみ あゆみ)〈16〉
義信と美那子の娘。
諏訪(すわ)
D県警警務部秘書課 係長。
蔵前(くらまえ)
D県警警務部秘書課 主任。
美雲(みくも)〈23〉
D県警警務部秘書課。元交通課。
雨宮 翔子(あまみや しょうこ)
昭和64年1月5日に、近所の親類宅へお年玉を貰いに行くと言って出かけたまま姿を消した。10日に市内の廃車置き場で遺体で発見される。
雨宮 芳男(あまみや よしお)
翔子の父親。
赤間 肇(あかま はじめ)〈41〉
D県警警務部長。
二渡 真治(ふたわたり しんじ)
D県警警務部警務課 調査官(警視)。三上の同期。
松岡 勝俊(まつおか かつとし)
D県警捜査一課長 参事官。
幸田 一樹(こうだ かずき)
元D県警捜査一課刑事。
日吉 浩一郎(ひよし こういちろう)〈38〉
元科捜研研究員。

Wikipediaより出典

映画と原作はラストが違う

『64ロクヨン』はドラマ化も映画化もされていますが、今回お話するのは映画版の『64ロクヨン』です。

よくありがちな話なんですが、映画『64ロクヨン』にはガッカリしました…
映画なので時間の制約もありますし、脚本家による拡大解釈もあると思います。『64ロクヨン』に限らず、これまでにも原作ファンをガッカリさせた映画は数多くあります。

そんなことは承知の上で、映画には映画の良さを見出して鑑賞するものだと割り切っていました。

しかし、今回だけは本当にガッカリ。ラストが完全に違うものになっていて驚愕。あれはNGだと思います。
公開されたわけですから、もちろん著者の横山秀夫さんの許可は得ているはずです。横山さんは本当に納得できたんですかね?

もしかしたら、横山さんの考えるラストは映画版のようなイメージだったのかもしれませんけど…
私的には本当に残念です。

三上の暴走で犯人に制裁

ネタバレ寸前の話になってしまいますが、どんな風にラストが原作と映画で違うのか気になりますよね?

※ここから先は、未読の人は読まないでください。

原作では『64ロクヨン』の犯人は○○だ、事件は解決に向かう。三上広報官は、矛盾を抱えながらも警察組織に身を投じる覚悟をする。

今後の展開は、読者のご想像にお任せします…的なラストでした。

しかし映画では、三上広報官が暴走。犯人○○に三上個人で制裁を加えようとする。そして責任を取り辞職、部下に後を託す…的な終わり方に。

拡大解釈の域を超えて、完全に改変です。もはや別の物語だと感じます。

警察組織の存続と矛盾

ここまで原作と映画の違いについて、ちょっとキレ気味に書いてきました。

それはさて置き、ここでは警察組織について書いてみます。
警察(警視庁も含む)は、言うまでもなく公僕です。

なので人々の「生命、財産、地位、名誉」を守る義務があると思います。そして公務を執行するために日夜危険と隣合わせで頑張っている。いわば国民のため、最前線で矢面に立っている。

これが警察組織が存続する大義名分ではないでしょうか?もちろん、実際にそのように機能していると思います。

しかし組織の対面を保つため、組織ぐるみの隠ぺい。各部署の対立。出世のために理想を捻じ曲げる。これらも警察組織の現実です。

しかし警察組織が機能していることで、我々の安心安全が担保されています。

難しい問題ですが、矛盾を抱えていても警察組織が存続しなければならないわけです。
横山秀夫さんの描く警察小説は、そのあたりを深くえぐり出している。

引き込まれますし、完全にハマります。

『64ロクヨン』の原作が最高

あれこれ書いてきまたが、私が言いたいことは…

原作を読んでください!これだけです。

原作>ドラマ>映画

イメージをしてはこんな感じ。

まあ、映画が原作を超えることはほとんどありません。特に『64ロクヨン』は原作の方が面白いです。

私の中では本当に大切な物語なので、強く、強く原作をおすすめします。

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