『64ロクヨン』映画と原作はラストが違う!組織の存続と矛盾
昭和64年(1989年)。とはいっても、昭和64年はたったの1週間でした…
1月1日~1月7日、この1週間が昭和64年。1月8日からは平成元年です。
その当時、昭和天皇の御病状が悪化。昭和の終わりが近づいている…日本国民は肌で感じていました。
『64ロクヨン』は、1週間しかなかった昭和64年に起こった誘拐殺人事件という設定。実際に起こった事件がモデルになっているとも言われています。
『64ロクヨン』が発行されたのは2012年10月25日、著者は横山秀夫さん。「D県警シリーズ」の第4作で、シリーズ初の長編です。
人気作家の横山秀夫さんの作品ですし、作品の完成度も高かったこともあり、累計発行部数130万部のベストセラーに。
当然ドラマ化され、その後映画化されました。
ピエール滝さん主演のドラマは、完成度が高かったですね。ところが佐藤浩市さんが主演の映画は…残念ながら微妙かな。
詳しい書評に入る前に、あらすじと登場人物を掲載しておきます。
□あらすじ
□登場人物
映画と原作はラストが違う
『64ロクヨン』はドラマ化も映画化もされていますが、今回お話するのは映画版の『64ロクヨン』です。
よくありがちな話なんですが、映画『64ロクヨン』にはガッカリしました…
映画なので時間の制約もありますし、脚本家による拡大解釈もあると思います。『64ロクヨン』に限らず、これまでにも原作ファンをガッカリさせた映画は数多くあります。
そんなことは承知の上で、映画には映画の良さを見出して鑑賞するものだと割り切っていました。
しかし、今回だけは本当にガッカリ。ラストが完全に違うものになっていて驚愕。あれはNGだと思います。
公開されたわけですから、もちろん著者の横山秀夫さんの許可は得ているはずです。横山さんは本当に納得できたんですかね?
もしかしたら、横山さんの考えるラストは映画版のようなイメージだったのかもしれませんけど…
私的には本当に残念です。
三上の暴走で犯人に制裁
ネタバレ寸前の話になってしまいますが、どんな風にラストが原作と映画で違うのか気になりますよね?
※ここから先は、未読の人は読まないでください。
原作では『64ロクヨン』の犯人は○○だ、事件は解決に向かう。三上広報官は、矛盾を抱えながらも警察組織に身を投じる覚悟をする。
今後の展開は、読者のご想像にお任せします…的なラストでした。
しかし映画では、三上広報官が暴走。犯人○○に三上個人で制裁を加えようとする。そして責任を取り辞職、部下に後を託す…的な終わり方に。
拡大解釈の域を超えて、完全に改変です。もはや別の物語だと感じます。
警察組織の存続と矛盾
ここまで原作と映画の違いについて、ちょっとキレ気味に書いてきました。
それはさて置き、ここでは警察組織について書いてみます。
警察(警視庁も含む)は、言うまでもなく公僕です。
なので人々の「生命、財産、地位、名誉」を守る義務があると思います。そして公務を執行するために日夜危険と隣合わせで頑張っている。いわば国民のため、最前線で矢面に立っている。
これが警察組織が存続する大義名分ではないでしょうか?もちろん、実際にそのように機能していると思います。
しかし組織の対面を保つため、組織ぐるみの隠ぺい。各部署の対立。出世のために理想を捻じ曲げる。これらも警察組織の現実です。
しかし警察組織が機能していることで、我々の安心安全が担保されています。
難しい問題ですが、矛盾を抱えていても警察組織が存続しなければならないわけです。
横山秀夫さんの描く警察小説は、そのあたりを深くえぐり出している。
引き込まれますし、完全にハマります。
『64ロクヨン』の原作が最高
あれこれ書いてきまたが、私が言いたいことは…
原作を読んでください!これだけです。
原作>ドラマ>映画
イメージをしてはこんな感じ。
まあ、映画が原作を超えることはほとんどありません。特に『64ロクヨン』は原作の方が面白いです。
私の中では本当に大切な物語なので、強く、強く原作をおすすめします。
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