写真の怪

溜まっていた書類を片付けていると、後ろから肩を叩かれて飛び上がってしまった。
慌てて振り向くと、よく知った怖い顔の人が立っていた。警部だ。
「県道○○号の事故の調査に行ってくれないか?」
いくらなんでも唐突が過ぎる。疑問形ではあるが拒否権などない。
「どういう事件なんですか?」
「まだ事件かどうかはわからん。詳しくは交通課の岩田に聞け」
「交通課ですか?ならなんでうちに?」
われわれ一課とはそれほど関係無いようにしか思えなかった。
「だから俺も詳しくは知らないんだ。俺も"変な感じがするから誰か寄越してほしい"としか言われなくてな」
「でも珍しいですね。課を跨いで調査なんて」
「書類の所在に困るから面倒ってだけで別に嫌い合ってるわけではないからな。こういうことはある。さあ行って来い」
情報は引き出せそうになかった。諦めて調査を始めるとしよう。

交通課に行くと丁度良く知り合いがいたので、岩田さんの居場所と事故現場の場所を楽に聞くことができた。考えてみればそれまで事故現場の場所すら知らなかったわけだ。
岩田さんは現場で指揮を執ってるはずとのことで、現場にいるらしいこともわかった。一石二鳥とはこのことだ。


事故現場に行ってみると、四人の警官が一人のベテランらしき警官の指示を受けながら調査をしていた。
話しているのが途切れたのを見計らってベテランらしき警官に自己紹介と来た経緯を伝えると、
「そうか、君がそうか」
と意外と歓迎してくれた。
「で、事故のことはどの程度まで知ってる?」
「全く何も聞かされてません。一から教えてもらってもいいですか?」
「わかった。まず、事故死していたのは金森健一、32歳だ」
「単独事故ですか?」
「ああ、そうだ。同乗者はいない。で、現場はここ。まあこれは見たらわかるか」
「ええ。……言っちゃ何ですが普通の事故にしか見えないんですが、一課が呼ばれたのは何か理由が?」
「まあ当然の疑問だわな。順を追って話そう。見ての通りここは見通しが良く、分離帯がきっちりあるから対向車との接触も無く、人が飛び出してくることもほぼ無いんだ」
言われて見回してみると、確かに道路は真っすぐで、居眠りしていてもここで事故を起こすことは無さそうに思えた。そして、分離帯はそこそこの高さがあり、人が越えるには少し難がありそうではあった。
「その他諸々の理由で、ここでは事故なんてほとんど起きていない」
「ほとんどってことは起きてはいるんでしょう?」
「ああ。だが、前に起きた事故は10年前で、その事故は車の故障が原因だとはっきりしている。その時の資料もある」
「なら今回もそうでは?」
「いや、それは無さそうだ。20万キロ以上走ってるベテラン車ではあるんだが、事故時にできたであろう損傷以外に故障は発見できなかった。何しろ1ヶ月前に車検を通したばかりだったようなんだ」
「つまり故障の線は薄そうと。……じゃあ運転が荒かったとかはどうです?」
「俺はそうは考えていない。金森の免許はゴールドだ。車内に高速道路の領収書が散見していて、色んな所で運転してそうな所も合わせると、慎重な運転を心掛けていたと予想している」
納得の行く説明だった。
「……一課にお呼びがかかったのが大体掴めてきました。事故が起きづらい場所、事故なんて起こしそうにない人物が起こした事故だから、何か別の要因……例えば何かの事件に巻き込まれたのでは?ということでしょうか?」
「そういうことだ。やっと俺が言う事が理解できるやつが現れたか。部下たちは何一つピンと来てなかった」
嬉しそうに言っていた。僕だって鵜呑みにはしていないのだが。
「まあどういう調査をするかは任せる。交通課のやつらだったら俺の名前を出せば協力しないことは無いはずだ」
……結局ここでも放り出されてしまった。
とりあえず、背伸びをして一息ついてるらしい警官を呼び止めて話を聞いてみたが、新しい情報は無かった。どうせ普通の事故なのに付き合わされて大変ですねと心配されてしまった。

困った。全く手掛かりが無い。
とはいえ立ち尽くしていても仕方が無い。警部に指示を仰いでみることにした。
電話をかけると、数コールで繋がった。どうやら急用中ではなさそうだ。
事故の概要などここで聞いた事をかいつまんで話すと、電話口からふーーむと長い声が漏れた。困った顔をしているのが目に見えるようだった。
「つまりはあいつの勘か」
「平たく言えばそうかもしれません」
「まあ頑張ってくれ」
「取っ掛かりが無くて困って警部に電話したんですから他人事にしないでくださいよ。あ、警部ならどう調べます?」
「俺ならか?ふーむ……まずは事故の事を調べ直すかな」
「交通課の人らがきっちりやってるの見てると、門外漢の僕が今更やったところで、という感じはしますが……」
「まあそれもそうか。なら……死んだ金森について調べてみるのはどうだ?お前の話からは何も伝わって来なかったが」
「……言われてみれば金森のことを全く知りませんね。ありがとうございます。ここから始めてみようと思います」
「参考になったなら良かった。今回は別に何もわからなくても帰ってきていいからな」
「それでいいならだいぶ気楽ですね。ありがとうございます」


一旦署に戻って金森の住所を教えてもらい、念の為令状を携えることにした。
金森の住んでいたマンションに行き、管理人に話を通すと、令状を出す必要も無く協力的だった。あっさり鍵を貸してくれた。
ドアを開け、一通り見回してみる。
……第一印象は”極めて一般的で品行方正な成人男性の部屋”だった。
住人の趣味も垣間見え、いつか家宅捜索で押し入った部屋のような、作為的な生活感のようなものは感じられなかった。
何かの事件に巻き込まれるような生活をしているようには思えず、無駄足のような気がしてきた。
だからといって、いくらなんでも何もせずに帰るわけにはいかない。とりあえず部屋を散らかしてみる。旅行雑誌や名所の写真が多く見受けられ、恐らく旅行が趣味なのだろうということは確認できた。ベテラン車に乗ってると言っていたのはこれが理由だったのだろう。

もう少し部屋をひっくり返していると、ノックの音が聞こえてきた。
死者に客……?不審に思いながら出てみると、一人の女性が立っていた。
まずこちらが事情を説明すると、自分は隣の部屋に住んでいる夏野だと名乗り、金森の古くからの友人で、誰もいないはずの隣室から物音がしたから泥棒だと思ったのだと教えてくれた。管理人も僕がいることを伝えておいてくれてもよかったのに。
ともあれ、金森のことを知る人物に会えたのは願ってもない好都合だ。自室に帰ろうとする夏野を押し留め、金森について聞くことにした。

「金森さんは旅行が趣味だったんですか?」
積み上がった旅行雑誌の方を見ながら尋ねてみた。
「いえ、彼は写真を撮るのが好きだったんですよ。旅行はそのついででした」
どうやら逆だったらしい。
「まあ旅も好きではありましたが。何度か一緒に行ったこともあります」
言いながら僕が散らかした写真のうちの一枚を拾って見ていた。覗き込むと、金森、夏野とあと二人ほどが写っていた。
「そういえば"現像した写真が嵩張る"とか言ってデジカメに切り替えていましたよ。どこに置いてるかな……」
一緒に探そうと立ち上がってみたが、ものの数秒で夏野が棚の上から発見した。
「たしか半年ぐらい前に買ってからそればっかり使ってたので、最近撮ったものが見たければこのデジカメのデータを見るのが良いと思いますよ」
と言って渡してくれた。今日の調査は全員が非常に協力的で本当に助かる。
のんびり1枚づつ見ていると、今度は
「一緒に見てもいいですか?」
と夏野が覗き込んできた。拒否する理由も無い。

古い方から順番に見ていくことにした。
初めの方こそ旅先で撮ったであろう写真が続いていたが、途中からはこの部屋から外を撮ったような景色や、部屋の中のものを撮った写真ばかりになっていった。
「金森さんは最近忙しかったんですか?」
思った疑問をそのままぶつけてみることにした。
「たしかにしばらくどこかに行った様子は無かったですが、どうしてです?」
「旅先で撮ったような写真が無いので、その辺の物でデジカメの練習でもしてるのかと思ったからです」
「刑事ってそんなことまでわかるんですね」
……刑事じゃなくてもこれぐらいは気付くんじゃないか?とは思ったが言わないことにした。

黙って画像をページ送りしていくと、
「そういえば、なんで写真を見ようと思ったんですか?」
半分ぼーっとしていたところに質問が飛んできて少し驚いてしまった。
「特に目的があったわけでは無いですよ。誰かにとって撮られてはまずいものを撮ってしまったみたいなものでもあればわかりやすいのですが」
「ふーん……」
適当な相槌を打たれてしまった。全く納得していないのがありありとわかった。それはそうだ、僕だってそんな事これっぽっちも考えていなかったのだから。

のんびり見ていくと、最後から三枚目。
この部屋にある姿見を正面から撮ったような写真が何故か気になった。姿見に焦点を合わせた写真で、鏡には僕たちが座っているテーブル、テレビ、窓だけが映っていた。
「どうしたんですか?手を止めて」
首を傾げていると、横から声が飛んできた。
「いえ、この一枚がどことなく気になって……」
「何か変なものでも写ってました?」
まじまじと見つめだした。が、特に何も発見できないようだった。
「うーん……私には普通に見えますけど……」
「ですかねぇ……」
「一旦最後まで見ましょうよ。残り数枚なんですし」
確かにそうだった。
残りの二枚に特に違和感は無かった。
改めて最後から三枚目を見てみることにした。
「またさっきのですか?」
「えぇ」
「これってこれ撮ったものですよね?」
部屋に置いてある姿見を指差していた。
「だと思いますよ。大きさも形もそっくりです」
「で、えーと……多分ここから撮ったんでしょうか」
夏野が座る角度を少し変えていた。
その後ろに立ってみると、どうやら間違いないようだった。
「そんなに気になるなら、同じように撮ってみてはどうです?丁度デジカメは持ってるんですし」
「やってみる価値はありそうですね。でも、この金森さんのデジカメは保存する物品になる可能性があるから、僕の携帯ででも撮ってみましょうか」
写真とほぼ同じ角度で、座っている夏野の上から写真を撮ってみた。
すかさず見比べてみると、驚きのあまり手にしていたデジカメと携帯を放り投げてしまった。
「どうしたんですか?」
「違和感の正体がわかりました。すぐわかりますよ」
その辺に落下したデジカメと携帯を拾って手渡す。
二つを並べて見た瞬間、
「え……これって……」
絞り出したような声だった。


問.携帯で撮った写真には、二人は写っているだろうとは思わなかった物が写っていたのだが、一体何が写っていたのだろうか?








答.鏡に二人の姿が映っていた。

わかった方には不必要ではあると思いますが一応解説を。

鏡を正面から撮ったら、写真の鏡には必ず撮影者の姿が映ります。何だったら試してみたらいいと思います。体が映らないように手だけを伸ばして撮ったとしても、伸ばした腕は映るはずです。三脚をつけて撮っても、それはそれで三脚が映ります。
デジカメで撮った鏡の写真に写っていたのは、"テーブル、テレビ、窓"のみ(問題中より)。問題文では窓の外の景色は流石に省略しました。金森は映っているとは書いていません。つまり金森の姿は映っていなかった、と考えるべきでしょう。
だから、先の写真だけを見たら、携帯で撮った際に二人の姿が映っていることが奇妙なことに思えたのでしょう。おわかりだとは思いますが、実は携帯で撮った写真の方が適切な写真なのです。
何故か写らなかった、もしくは映らなかった金森。これは何かの予兆だったのかもしれませんね。