死因

古今東西の推理小説において、数多の死体が登場しました。死体が生み出される過程は作品によって様々ですが、死因自体はそれほどパターンがあるわけではありません。それぞれを場合分けして、この死体が出た時はこう、とか、書き手であれば、今回はこの流れでこういう死体を作るのが良いか、などといった基本的な考え方を考察していきましょう。

1.斬ったり刺したり殴ったり
斧や刀で斬る、ナイフで刺す、ハンマーで殴る、これらは一見異なる手法に見えて、"外傷によって絶命させる"という点において、やっていること自体は同じです。どこかから突き落とす転落死とも似たようなものです。舞台装置としてそこにあるものを利用すれば良いですし、動機に関わる部分として凶器を選ぶといった自由度があります。
ほぼ全ての実例において凶器が存在し(素手だと殴るぐらいしかありませんし、素手で殴り殺すというのはそれなりに体力差が無いと厳しいので、それだけで犯人が絞られてしまいます)、外傷があるということで、多くの血が発生するのが大きな特徴だと思います。これにより、用いられた凶器や返り血が問題になることが多いです。

現実の事件では故意性(殺人か傷害致死かが大半ですが、たまに正当防衛が焦点になることもあります)が問われる事の多い死因ではありますが、推理小説においては、"犯行が行われ、そこに死体がある"、という結果のみが重視されがちです。動機は後からついてくる、みたいな。

2.絞める!
これも1の外傷による絶命と近い部分もあるのですが、異なる部分も多いので分けることにしました。
1と異なる部分としては、
・故意性が問わることが少ない:首を絞めておいて「殺すつもりは無かった」なんてそうそう通らない理屈です。正当防衛として「殺すしかなかった」ぐらいならまだあるでしょうか。それでもその瞬間においては殺す気があるわけですが。
・自殺の可能性がほぼ無い:自分で自分を刺しての自殺、毒を呷っての自殺はありますが、自分で自分の首を絞めての自殺というのは基本的には不可能です。首吊りは……まあ大体見ればわかるでしょう。理由は、死ぬより先にまず意識を失いますが、意識を失った時点で締める力が弱まるので、死ぬには至らないんですよね。話は少し前後しますが、自分を殴っての自殺も少し難しいです。体の構造として、内向きに力をかけるのが難しいからです。他者を殴るときと比べて、自身を殴るのは力がかかりにくく、それは絶命には至らないとほぼイコールとなります。
切腹したり毒を飲んだりする時は、それに至った時点で致命傷になり、意識を失うと死まで至るフェーズ移行がスムーズに行われます。ここは大きな違いとして考えて良いと思います。まあ、自分を刺した死体とかなんて見たら大体自殺とわかるでしょうから、そもそも殺人事件としては扱われなそうではあります。
ここまで書いて、"ロープで首を絞めて殺した後、どこかに吊って首吊りに見せかける"というのはどうかなーと思いました。検死ですぐバレそうな気はしますが、それができない環境であれば、ちょっと有効な手段に思えてきました。

3.毒を撒け!
これまでのとは何から何まで違うものとなります。特徴としては、
・相手に直接力をかけるわけではないので、相当に体力差があっても可能です。それこそ幼女が屈強な大人を殺すことだってできます。
・毒は他の凶器と違って、基本的には現地調達は不可能で、最初から用意しておかないといけません。なので、実際の事件では、"毒殺は経路でバレる"が基本のようです。
・上記と重複しますが、最初から殺すための物を持ち込んでいるということで、「殺すつもりは無かった」などということはまず無いと言えるでしょう。殺すつもりが無ければ何で毒なんか持ってきたんだということになります。「死んでくれれば儲けもの」みたいな、可能性の犯罪に用いられるパターンは結構あります。
他の死因との最も大きな違いとして考えられるのが、
・"犯行(毒を仕掛ける)と死体発生(死体発見ではない)にタイムラグを生むことができる"という点です。致命傷を負わせる→死に至るに時間があることはありますが、それとは別の問題です。
これによって、どのタイミングで毒を仕掛けたのか?というアリバイ問題にできるなど、色々な引き出しが生まれます。

実際の毒だと、飲んですぐ死ぬような毒なんてあんまり無いとか、飲んですぐ死ぬような量入れたら大体見た目や臭いとかですぐわかるという問題はありますが、ここでは敢えて触れない事にしておきます。

基本的には上記の3パターンだと思います。一応舞台装置次第では水死、圧死、感電死などは見たことありますが、どう考えるかはその状況次第としか言いようがです。

で、舞台装置のお話も少ししてみましょうか。
建物の構造などを用いた機械的な大掛かりなトリックというのは、男女どちらの方がパターンとして多いと思いますか?
仕掛けさえ整えてしまえば、体力は必要無くなるので、体力的に不利な女性の犯行として使える、と考えるかもしれませんが、そもそも男性より女性の方が機械操作を苦手とすることが多く(機械操作をすることが多い感電による自殺は男性が9割を超えるらしいです)、女性が舞台を整えるとなると、一工夫ある方がストーリーとして自然になると思います。ただ、これは書き手にとってのアプローチであり、読み手としては、元々あった装置を使うとかであれば別に女性でも特に問題にはならなそうなので、大掛かりな仕掛け=男性の犯行とするのは早計です。犯人当ての決定打には全くできませんんが、要素としてうっすら頭に置いておくと有利になることもあります。
また、舞台装置が大掛かりだったり複雑であればあるほど、それを扱える者が限られるため、犯人が絞られやすくなります。ストーリーとして壮大なものにはしやすいですが、犯人当てとしてのみで考えるのであれば、シンプルに作る方がやりやすいとは思います。ですが、大風呂敷を広げるだけあって、しっかりまとめ切れれば大作になることは間違いなしです。
このように、特にリアルに近づけるタイプの作家さんであれば、舞台装置を構成する時点で文字として書いてあること以上の要素を読み取れることもできますが、メタ推理要素が強くなってしまったり、多分に決め打ち傾向が強まるため、叙述トリックに引っ掛かったりすることがあるので程々に。

私がどう考えて殺害方法を選んでいるか、も一例として挙げておきます。勿論こんなものに正解は無いので自由に殺せば良いのですが。
私は、構成の問題などで特に殺害方法に指定が無ければ、基本的には首締め万能だと思っています。極端ですが、他の方法なんて不必要、わざわざ別の方法を選ぶということは何か理由があるのでは?と勘繰るぐらいです。
何故かというと、
・返り血の処理を考える必要が無い
・傷害致死の可能性(殺す気までは無かったけど結果的に死亡してしまった)という曖昧な物を、前提として半ば否定することができる
・特別な物(毒であれば知識も)持ち込む必要がないため、犯人の可能性を広く取らせることができる
など、あらゆる点で、他の殺害方法より考えるべき点が(考えさせるべき点も)少なくて済むからです。これは短編推理クイズをサッと短編に短くまとめる際には重要だと思います。しっかり長いものを作るのであれば不必要な考え方ではあります。
他の方がどう考えて殺害方法を決めているかというのは聞いてみたい事ではあります。何となくだとしても傾向はあるんじゃないかなと。