行くからわかる、奥大和のこと。
はじめまして。現在、奈良県内の大学に通っている二回生です。
私は大学進学をきっかけに奈良にきました。今回は、縁あって「奈良奥大和体験プログラム」に参加しました。
”奥大和”って知ってる?
みなさん!
“奈良”と聞いてどんなことをイメージするでしょうか?
大仏に鹿、法隆寺とか…?
実は、それらは奈良県の中の北部に位置しています。
「じゃあ、南部は何があるの?」
“奥大和”、そう呼ばれる地域が、南部には広がっています。天川村とか十津川村とか聞いたことありませんか?
そう。それです。
正確には、“奥大和”は、そうした南部の山間地域に加え、東部も含む19市町村のことを指すそうです。今回は、そんな“奥大和”にある下市町と天川村に訪れました。
伝統の継承と発展
一日目は、下市町に訪れました。下市町の中から2つピックアップします。
はじめに訪れたのは 「吉谷木工所」 です。
みなさん。“三宝”ってご存じですか?(私たちも実際に聞かれました。)
これです。見たことあるでしょ。
そうです。お正月に鏡餅をのせたり、神社に行けばあるやつです。
この三宝。下市町が発祥とされているんです。しかも、三宝を作る際に用いられる「挽曲げ」という技術は、日本遺産に登録されています。奈良に来て一年以上経ちますが、全く知りませんでした。
そんな下市が誇る三宝ですが、見たことはあるけど名前は有名じゃないし、家庭での使用が減少しているらしいです(みんな使ってね)。
そこで!
生み出されたのが、マルチボックスやTONGIなどの製品だそうです。桧のいい香りはさることながら、触り心地の良い面、そしてどこにおいても違和感なしです。
個人的には、「挽曲げ」をする上で必要なスリッド(溝)が、曲げてしまうとかわいい模様に見えて好きですね。
続いて、訪れたのは 「つるべすし弥助」 です。
見た目からわかる、「只者ではない」感じ。
当たり前です。創業800余年、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目「義経千本桜」にも登場するお店で、“日本最古のすし屋”と言われています(ジ〇リの名前奪われる作品に、建物の雰囲気が似ていませんか。この雰囲気、日本人みんな好きだと思います)。
そもそも“つるべすし”とは?という感じです。
我々が普段食べる“握りずし”やお土産で重宝される“押しずし”“棒寿司”よりもっと原始的なお寿司が、つるべすしが該当する「なれずし」と呼ばれるものです。シャリと鮎を桶に入れて圧縮し、発酵させます。
そんな“はじまりのおすし”の弥助さん。
なんと、代々当主は「弥助」という名前を戸籍ごと変更し、襲名するそうです。びっくりですね。
つるべずし自体は、半世紀ほど前に製造を止めてしまい、現在は鮎料理を提供しています。次期当主のお話を聞きながら、一度やめてしまったものを復活させるのは非常に難しいのだと感じました。
この日は、伝統を今現在受け継いで、これからへ繋いでいくお二人にお話を聞くことができました。
何百年と続いているものを“受け継ぐ”というのは、想像しがたいプレッシャーがあるのかもしれません。
しかし、お二人の話を聞いていると、自分が作っているものが大好きで、とても誇りを持っていらっしゃるのだと感じました。
また、同時に「このままではいけない。繋いでいくためには、守るだけではならない。」という覚悟も感じました。
“小さい村”だからできること
二日目に訪れたのは、天川村です。
この村は、関西圏にお住まいの方はご存じの方が多いのではないでしょうか。美しい自然に囲まれ、夏はレジャースポットとして人気です。また、村名の由来にもなった天河弁才天神社や村内の大峰山が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部であるなど、歴史的スポットも盛りだくさんです。
そんな天川村を案内してくださったのは、山端さんです。奈良県で“コミュニティナース”という活動を始めた方の一人です。
“コミュニティナース”僕は初めて聞きました。
ご自身で「システムや制度としての行政と住民の間を行き来する存在」という説明をされていました。専門的な知識を持ちながら、病院などの専門的機関に在籍するのではなく、地域とのかかわりの中で住民の健康を見守るという活動だと私は理解しました。
「病院勤務時代は、“看護師の山端”でした。けど、今はいつ何をしていても地域住民から見れば“山端”は“山端”なんですよ。」
笑顔で話されていたことが、とても印象に残っています。
洞川温泉を散策中は、たびたび住民の方に会釈をされていました。地域住民と“看護師の山端”ではなく、その地域に住んでいる“山端”としてお互いに顔がわかる関係の築ける“小さな村”だからこそできることがありました。
おわりに
二日間のプログラムであっという間でしたが、とても濃い時間を過ごさせていただきました。
ここまでの文章を読み返すと、二日間で“出会った人”のことを中心に書いていました。書いたこと以外のも多くの体験がありましたが、“出会った人”のことばかり書いているのは、それだけ出会った方々が輝いて見えたのだと思います。
また、みなさんが自分の住んでいる地域が大好きだという“愛”が伝わってきました。
下市町と天川村のことが好きになった二日間でした。