パレスチナ人映画監督が見たイスラエル
今から4年前、日本でもロードショーされ話題となった『テルアビブ・オン・ファイア』という映画があった。監督はナザレ近郊育ちのパレスチナ人で、難しいパレスチナ問題というテーマをコメディで味付けした稀有な作品だ(今はあらゆるネットサービスやDVDで視聴可、下記のリンク参照)。
2019年にサメフ・ゾアビ監督が来日した際にインタビューを行ない、隔月刊誌「みるとす」2019年10月号に掲載した。少し前の記事になるが、抜粋したものをここに紹介する。イスラエルと共に生きるパレスチナ人のジレンマを垣間見ることができる。
微妙なバランスの上で
――この映画で、どのような点を大切にされましたか。
監督 これは極めて個人的な体験をもとにした映画です。私はイスラエルで育ったパレスチナ人ですが、映画を作る際には常にイスラエル国民であることを意識します。パレスチナ人として映画を作っても、イスラエルの会社が配給する。外部のアラブ人から見たら、私はイスラエルで金儲けをしているパレスチナ人として映っているでしょう。イスラエルに魂を売ったパレスチナ人だと。イスラエル人にしてみたら、私はいつ極端なことを言い出すか分からないパレスチナ人なわけです。私はいつもこの間に挟まれた微妙なバランスの上で、政治的なジレンマの中に生きてきました。
同じ物事を見ても、それぞれの立場で見方が変わってきます。映画では、パレスチナ人がイスラエル人をどう見ているのか、またイスラエル人がパレスチナ人をどう見ているのかを描いています。この映画を見て、それぞれがどう感じるのか、私は非常に興味があります。
――監督は両方の立場を知っているわけですね。
監督 私はテルアビブ大学で学びましたから、イスラエル人がパレスチナ人のことをどう思っているのか知っています。そしてもちろん、パレスチナ人がイスラエル人のことをどう思っているのかも知っている。
しかし、ラマラにいるパレスチナ人が、このような映画を作れるとは思いません。またイスラエルのハイファに住むパレスチナ人でも、同じようには作れないでしょう。私はナザレ近郊のパレスチナ人の村で育ち、常に2つの世界を見てきたからこそ、描けたのだと思います。
――監督はアラブ系イスラエル人で、パレスチナ人でないのでは。
監督 私は自分をパレスチナ人と定義しています。ここにジレンマがあるんです。私たちはイスラエル政府の下で暮らしていますが、パレスチナ人の存在は無視されています。アラブ系イスラエル人というのは、イスラエル人が考え出した定義です。自分のアイデンティティーは、他人が決めるものではありません。自身で定義するものです。
笑いの力
――この映画はイスラエルでも放映されていますが、イスラエル人の反応はどうですか。
監督 とても良いです。オフィール賞というイスラエルで最高の映画に送られる賞があります。本作はファイナリストとしてノミネートされています(注:後日、最優秀脚本賞を受賞)。去年のハイファ国際映画祭でも受賞しました。イスラエルでも非常に良い評価を得ています。
普通はパレスチナ人が作った映画をイスラエル人が見ることはありません。けれども、この映画はコメディなので、受け容れやすかったのでしょう。コメディというのは、人と人との亀裂を橋渡ししてくれます。笑いというのは人間の本能で、政治的な軋轢を超える力を持っています。
次世代へのメッセージ
――映画ではオスロ合意を知る古い世代とそうではない新しい世代が描かれていますが、その違いを感じますか。
監督 オスロ合意が成立したとき、自分たちにもパレスチナ国家ができ、胸を張ってパレスチナ人と言える時代が来たと希望を感じました。しかし現実は、イスラエル人がパレスチナ人を制圧する結果となりました。
映画の中では、主人公のサラームが若い世代の代表で、叔父バッサムは古い世代の代表です。私はサラームの世代です。新しい世代は、オスロ合意は占領を強めるだけで何の解決ももたらさなかったと感じています。これでは何の未来もありません。
それで私は、この映画を通して若い世代の背中を押したかったのです。具体的な解決方法はまだ模索中ですが、この映画を見たサラームの世代が、何かを変えてくれるのではないかと期待しています。時間がかかると思いますが、次の時代をより良くしてくれるのではないかと。
平和共存は可能
――パレスチナ人とイスラエル人は平和に共存できるでしょうか。
監督 今はその兆しは見えないですね。平和が実現するには2つのことが必要だと思っています。
まず、イスラエル人が占領を認識してそれを語るようになること。オスロ合意までは、パレスチナ人とイスラエル人の関係は比較的良かった。今は分離壁があり、双方が顔を合わせることもなく、お互いを身近に感じなくなった。だから占領という現実が見えず、パレスチナ人の苦しみはイスラエル人には届いていません。まずこの認識を改めることです。
そして、パレスチナ人の考え方も変わらなければなりません。私は、2国家共存ではなく、1つの国家になるべきだと考えています。2国家共存はあり得ないと思う。国連では、パレスチナを「オブザーバー国家」として扱っていますが、あんなのはまやかしです。パレスチナ人は占領下にあるからです。
――1つの国家にイスラエル人とパレスチナ人が平和共存できると。
監督 それが唯一の解決方法です。この点について、パレスチナ人は意識を変えなければなりません。自由と権利のために戦うのです。
オスロ合意の後、世界ではアメリカの同時多発テロ事件などによって、パレスチナ人の戦いはイスラムの宗教色が強くなりました。パレスチナ人の中にはたくさんのキリスト教徒もいるにもかかわらずです。パレスチナ人の戦いは、宗教戦争ではありません。天国には良い世界が約束されているなどと考えると、この世のことはどうでもよくなってしまいます。けれども、今生きている現実が大切なのです。
――パレスチナ人の意識を変えるのは、言論の自由などの観点から、とても難しいことではないですか。
監督 違うアプローチで可能ではないでしょうか。先日の再選挙では、アラブ政党は13議席を獲得しました。これはイスラエル政党の中では3番目に大きな勢力です。そこから新たな何かが生まれてくるかも知れません。確かに時間はかかるでしょう。けれども、未来について語り始めなければ何も良いことは始まりません。
共通の話題があった時代
――映画では、イスラエル人の女性たちがパレスチナのドラマを楽しみにしていましたが、実際にそんなことはあるんでしょうか。
監督 今は少なくなったと思います。イスラエルのテレビ局が2つしかなかった頃、金曜日の午後7時には必ずエジプトの映画が放映されていました。あの映画はパレスチナ人もイスラエル人も楽しみにしていましたね。アラブ諸国から来たイスラエル人もいますから、アラブの映画や歌なども愛されていました。パレスチナ人とイスラエル人にも共通の話題があった。私の映画はそういう時代へのノスタルジーでもあります。
この2つの民族は、親しい友になり得ると思うのです。例えば、私のアメリカの友人は、ほとんどがユダヤ人です。またアメリカで育ったパレスチナ人も、アメリカのユダヤ人とは仲良くしています。私たちはうまくやっていけるはずなのです。
監督は終始にこやかに流暢なヘブライ語で応答された。最後に、イスラエル人とパレスチナ人の対話がテーマの『わが親愛なるパレスチナ隣人へ』(ミルトス刊)について尋ねたら、知っているとのこと。記念に日本語版をプレゼントした。