【もし人が死なない戦争なら戦争は悪なのか?】【戦争の総てを否定出来るほど社会は盤石なのか?】【平和を叫ぶことすら、戦いの狼煙になりえる】【祖母と祖父の想いが一つの指針になる】
広島の平和資料館に足を運びました。正直、ちょっと甘く考えていました。資料館という響きが「キレイなモノを並べている」みたいなイメージがあったのですが、そこはまさに「生々しい地獄が置かれていた」です。
原爆が落ちた結果、融解した様々な物品だけに関わらず、そこにいた方々の人生が置かれていました。原爆が落ちる瞬間まで何をして、落ちてどのように亡くなっていったのか。その時に着ていた服、触れていたモノ。
まさに「地獄の瞬間」を切り取りし、如何に戦争というのが社会を・人生を破壊するのかを、これでもか!っと…「戦争」という行為の残虐さを見せつけ、このような行いを二度と起こすまいとする意志が感じられました。
戦争の犠牲者は兵士だけに関わらず、幼い子までに及び、一つ一つの遺留品を見るたびに涙を禁じえない…いあ、実際涙目で展示品を見て回りました。
実際には本当に行って見て頂きたいのですが、かなりショッキングな写真含め、見るべきものだと思いますし、僕は見てよかったっと…心、打ちひしがれますが…
そぅ、まさに「戦争」は間違いなく「悪」です。そして、核の使用の動向含め、今、同じ事がロシアとウクライナで起きている事も、あの「地獄を再現している」と思えば、本当に「戦争」はやめなくちゃならない…っと真に思います。
しかし…しかしだ。冷静、いや、自分の中の冷徹なまでに「物事を正しく捉えよ。総てに疑問を抱け」というのが、一つの逆説を描く。
「もし、人が死なない戦争なら、戦争は悪なのだろうか?」
何を言っていると思うかもしれない。だが、「戦争」には2種類あると思っている。一つは「武力戦争」。これはわかりやすいですね。もう一つは「経済戦争」です。そして、WW2以降、世界は「経済戦争」を延々と繰り返しています。
資本主義が世界を多い、マネーゲームが国家規模で行われ、一か国のバランスが崩れるだけで、世界中がそれに引っ張られる…一見、「武力戦争」よりキレイに見えるかもしれませんが、過去のサブプライムローン問題などで、それぐらいの人が職を失い、家を失い、あるいは、絶望して自ら命を…
日本でもバブル崩壊から始まり、今も株式や円安円高で給料は上がらないけどもライフラインは値上がりし、全体は貧困にひっ迫しつつある…確かに、目に見えやすいような「死」はないが、緩慢的に死んでいっているを…感じる。
日本だけではない。とある国では先進国の余波を受け、温暖化の影響で国が海の中に沈もうとしているところもある。そぅ「経済戦争」は直接人を殺しはしないが、それでもどこかで誰かを養分にして、誰かが儲かっている。
「戦争はダメだ、悪だ!」は分かるし、それは僕も同意見です。でも「人を直接殺さない経済戦争」に多くの人が加担している…それに気づきを得た人が、SDGsなどをさらに謳っているとは思うのですが「資本主義」である以上、「経済的競争」は避けられず、それがそもそもの「戦争の元」である以上、山奥で自給自足でもしていない限り、何らかの形でいやがおうにも加担している形になってしまう。
「戦争の総てが悪だ!」を標榜して、じゃぁ「総ての経済活動をやめよう!」でも、人類は存続するのが難しい…さぁ、どうする?っです。そぅ「平和」を望み、「戦争」を打ち砕く戦いすらも「戦争」にたりえる。
「武力戦争はダメで、経済戦争はOK」という指標も別にありだろう。ただ、結局、抗う力のない国や地域はどうしたらよい?そこで生まれてしまったら「仕方ない」で済ませというのだろうか?
たまたま原発が落ちるところにいたから仕方ない…っで、済まされるわけではないのと同じであろうと僕は思う。仕方ないで済ませられるなら「戦争は止めよう!」ともならないから。
永遠に答えの出そうなにないこの問いに、僕の祖母の言葉が記憶の中枢から蘇る。
「戦争だけはダメだ」そして「自分の権利を守る事」。
完全に矛盾を抱えている言葉ですが、でも、これが真実なのだと思う。「地獄」を目の当たりした祖母の言葉に迷いはなかった。同時にそれは「環境に巻き添え」になった「自分」に対しても。
「自分の権利」を守るために戦う事が出来たからといって戦争が無くなるわけではない。でも、「戦時中」という事を理解して、自分の権利を行使できる社会を創る事が出来たら、少なからず拮抗は出来るようになるんじゃないのだろうか?平和が戦争と。
ファクトフルネスに習うように、少しずつ「戦争の火種」は消されつつあり、マネーも仮想通貨に代表される分散型により、「戦争の種」が無くなりつつある。戦争という最悪のプロセスを経験することで、その火種そのものを消していく人類の歩み。
それは「生きる」という権利を全員が守ろうとしているから。
そんな権利をより強固に、そして確実なものにして、戦争が無い社会を後世に残すために、自分はもっと動く、動けるのだと、改めて誓えた2023になりました。