スニーカーを公園で洗う【フェイクエッセイ】
お気に入りのスニーカーが汚れてしまった。
白地で側面に大きな青のナイキマークが描かれているスニーカーだ。
汚さないように気を付けていたつもりだが油断した。渋谷という街を甘く見ていたようだ。まさか、あんなにもヘドロにまみれた街だとは思わなかった。
∞ホールで知り合いが出ていたライブを観た帰り(45分ぐらいで終わった)センター街を歩いていたら目の前から大きな外国人の男女が歩いてきた。
「お、大きな外国人の男女だ」と思い、何の気なしに見ていたら、下の方から
「べちゃっ」
という音が聞こえてきた。
音のした方を見てみると、真っ黒なヘドロを踏んでいた。
「うわ!ヘドロを踏んだ!」と思って咄嗟に靴を脱いだら、バランスを崩してしまい先ほどの大きな外国人の男女にぶつかってしまった。しかし僕はお気に入りのスニーカーがヘドロまみれになったので、大きな外国人どころではない。「うわ!うわ!」と一人で騒いでいる僕を不思議そうに見ながら、大きな外国人の男女は通り過ぎて行ったが(「Monday…」という言葉だけ聞こえた)、僕のスニーカーはヘドロを身につけ凛としてその場に残っていた。
最悪だ。
仕方がないので、家に帰ってからスニーカーを洗うことにした。洗い方をネットで調べ(洗濯用洗剤と歯ブラシで大丈夫らしい)いざ風呂場で純白のスニーカーを取り返そうと思って気が付いた。
そういえば、アパートの工事の都合でこの時間は水道が止められているのだった。あと、1時間ほど待てば使えるようになるが一刻も早くヘドロを退散させたかった僕は近くの公園で洗うことにした。
国のヘドロで汚れたのだから、国の水で洗っても何の問題もないだろう。
20時過ぎの公園でびちゃびちゃの靴を歯ブラシでごしごし磨く成人男性。はたから見ると少し異様な人物に見えただろうが関係ない。僕は一刻も早く純白のスニーカーを取り戻したかったのだ。
しかし、いくら磨いても全く汚れが取れない。僕は小声で悪態をつきながら渋谷を「ヘドロタウン」と呼び、二度と近づかないことを心に決めた。
そんな僕が無意味な決意(どうせまた行く)をしたのと、後ろから声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。
「手伝う?」
後ろを振り返ると、大きな外国人の男女が立っていた。
めちゃくちゃびっくりした。
「まさか」と思ったが、ヘドロタウンにいた大きな外国人とは違う大きな外国人だったので少し安心した。(僕の家の付近にいたら怖すぎる)それでも知らない外国人に話し急に話しかけられるのは怖い。
二人とも白人系で年齢は30代ぐらいだろうか(外国人の年齢は想像しづらい)男の方は真っ黒なナイキのジャージ、女の方は緑のプーマのジャージを着て、二人とも小さな星条旗が縫い付けられたウエストポーチを身につけていた。(ここで僕は彼らがアメリカ人だろうなと思った)あと、ウエンツ瑛士に似ていた。二人とも。
「手伝う?」
男ウエンツがまた声をかけた。
その声が低かったのがまた怖かった。なんとなくアメリカ人は声が高いイメージがあったので、低い声で片言の日本語を話されると少し違和感がある。
「いや~、え~と、大丈夫です・・・」
一瞬躊躇したが、僕は相手が誰であろうと断っていたと思う。他人の靴を洗うのを手伝おうとする人なんて人種関係なく怪しいに決まっている。
「またまた~」
またまた~??冗談だと思われた??
僕が呆然としていると男ウエンツは歯ブラシを奪い取り、スニーカーを磨き始めた。(奪い取る直前にウエストポーチの星条旗を小指で触っていた)
突然の靴洗いテロに僕はなすすべもなく巻き込まれ、その光景をただ見る事しかできなかった。男ウエンツは小声で「こういうことなんだよな・・・」と呟きながらひたすら汚れを落とそうとしている。
彼から歯ブラシを奪い返すのは無理だと判断した僕は、助けを求めようと女ウエンツの方に目を向けた。
めちゃくちゃこっちを睨んでいた
なんでだ。なんで怒ってるんだ。目の前に親の仇がいるかのような憤怒の表情を浮かべ、彼女はこちらを睨んでいた。しかも、物凄い綺麗な直立不動の体勢をしていた。軍隊の整列の時みたいな直立不動で睨む外国人女性。彼女に助けを求めるのは不可能だと判断した。しかし、こんなに怒っている人を放っておくと何をされるかわからないので、とりあえず理由を聞くことにした。
「え~と・・・どうしたんですか?」
おそるおそる尋ねる僕。彼女は憤怒の表情のまま大声で答えた。
「バンキシャが・・・・・・・・・・バンキシャが始まっちゃうよ!!」
バンキシャが始まっちゃうらしかった。どうやら彼女はバンキシャが観たいのに、男ウエンツが日本人のスニーカーを洗っていることに怒りを覚えているらしい。こんなにもバンキシャを楽しみにしている外国人女性を僕は見たことが無い。今日はそういう特集なのかな。
というか、
「あの、もう20時なんでバンキシャ終わってますよ?」
そう、バンキシャは18時55分には終わる。彼らが公園に来た時点でもう観ることは不可能なのだ。彼女は一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐに先ほどの表情に戻りまた大声を出した。
「せめてもの!」
せめてもの??怒りで我を忘れてるのか、日本語をうまく話せないのか、その後も彼女は「だけれども」「またしても」「花火師」「インド」「世論」などの単語をひたすら発し続け、やがてある程度怒りも収まったのか口を閉ざした。その間、直立不動の体勢は全く崩していなかった。
Wウエンツから一刻も早く解放されたかった僕は、男ウエンツの進捗状況を確かめようと振り向いて、目を疑った。
スニーカーのナイキマークを剥がし、星条旗を縫い付けようとしていたのだ。
「ちょ、ちょっと!!」
僕が叫ぶと男ウエンツはゆっくり立ち上がり言い放った。
「本当かな?」
その後の事はあまり覚えていない。怒りと恐怖で錯乱した僕はWウエンツを公園から追い払い(二人とも後ろ向きで走って行った)無残な姿になった元ナイキのスニーカーに目を落とした。右足の方は無事だったが、左足は両側面とも星条旗が縫い付けられていた。あんな短時間でよくこんなことができたなと感心したが、ヘドロ以上に屈辱的な仕上がりになってしまったスニーカーを見ると胸が痛んだ。無理やりでも歯ブラシを奪い返さなければいけなかったのだ。次、このような機会があったら絶対に歯ブラシを死守してみせると固く心に誓いながら家に帰った。
よく見たら、星条旗の星が3つほど少なかった。