【#おうちで考え中】(絶望と)祈りと救いのエンタメ
とのコラボ企画です。
お笑いメディア『東京で考え中』さんから「エンタメについてコラムを書いてほしい」というお話を頂き「レッドブルつばさと言えばエンタメ。やりましょう」と二つ返事をして今、この文章を書いている。私と言えばエンタメ。エンタメと言えば私。以後お見知りおきを。
音楽、文学、映画、テレビ、ラジオ、漫画、アニメ、お笑い
全てのエンタメは私にとって”救い”だった。
幼いころから私にとって世界は厳しすぎた。小学校の入学式前に学校に行きたくないと駄々をこね親に怒鳴られ泣き、授業で「友達と二人一組になりましょう」という先生の言葉に「私には友達がいない。天涯孤独だ」と泣き、三年生の時大切に扱っていたドラゴンクエストのバトルえんぴつをいじめっ子に盗まれメタルキングを削られ泣いていたような子供だった。
私は学校の中で一人でも心穏やかに過ごせる場所を探し求め、図書室に辿り着いた。物語の中に入り込んでいる時間だけは、私は厳しすぎる世界の絶望から逃れられることができた。「かいけつゾロリ」も「こまったさん」も「デルトラ・クエスト」も「ダレン・シャン」も、ただ素晴らしい物語を与えてくれるだけで不甲斐ない私を責める事は無かった。それが私にとっては救いだった。
中学に上がってもやはり世界は厳しい。私がオタクすぎるばかりに教室に居場所をなくし絶望を感じた時も「高校生になればスクールランブルみたいな青春が待っている」と祈るような気持ちでアニメのOPを繰り返し見て気持ちを落ち着けていた。今でもイントロの部分が流れるだけで泣きそうになる。
高校生になり「スクールランブル」のような青春は全く完全に待っていないし、また教室で孤立する事態に陥ってしまったが、そんな時は祈りのiPod nanoを使えば問題ない。両耳から流れてくるBase Ball Bearの楽曲が絶望を吹き飛ばしてくれた。
大学で漫才をするためにサークルに入り、あまりの自分の出来なさにまたも絶望しかけた時にラーメンズの存在を知った。そこから貪るようにTSUTAYAで借りた色々な芸人の単独ライブのDVDを観続け、初めて「Sweet7」を観た時は面白すぎてベッドから転げ落ちた。自分の知らないお笑いの在り方を提示してくれた偉大な先人達には言葉では言い表せれない救いを頂いた。私がこの世で最も好きなコントは君の席の「お通夜」である。
社会人になり、平日は働き土日は寝るだけで生活が蝕まれこのまま私は醜く老いて、死んでいくのだろうかと全てに絶望しかけた時に中村文則の小説をすべて読んだ。暗い気分の時には明るいものを摂取するのが逆効果な時もある。暗い私に明るい光を当てたところでより影が濃くなるだけなのだ。自分と同化してくれるような暗さを持つ小説家に初めて出会った気がする。「遮光」を繰り返し繰り返し読んだ。
芸人になり、バイトで疲弊し、お金も無く、何者にもなれない自分に絶望したことなど数えきれないほどある。なぜこんな生活をしているかわからなくなった時に救ってくれたのはやはりお笑いだった。ライブを見る、ライブに出る、ネタを見る、ネタをする。「今日だけは楽しい気持ちになれますように」と祈りながら出たライブで涙を流して笑い救われた経験もまた数えきれないほどある。
この世には色々な形の絶望がある。どう考えても世界は厳しすぎる。本当にどうにかならないものか?この世界の事を考えると悔しいような悲しいような居たたまれない気持ちになる。
しかしどんな形の絶望にもエンタメは寄り添って私を励ましてくれた。エンタメがあったから私は生きてこれた。これからもエンタメがあるから私は生きていけるのだと思う。散々お世話になってきたのだ。今度は私が少しぐらい誰かの救いになりたいと願う。
つい二日前に読んだばかりの小説の、有名すぎる部分を引用するという厚顔無恥な行為を持ってこの文章を終わろうと思う。
「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」(太宰治「津軽」より)
太宰治を読むと気障な文章になるのでよくない
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