あとでやろう

物事を後回しにしていても何も良い事なんてないのですが、いつまで経っても「あとでやろう」と思ってしまっていて、30年以上生きてきてこの習性が変わらないのであれば、今後の人生でもまるで改善の余地は見込めず、かなり年を取って「食後に必ずこの薬を飲まないといけない」と言われているのに「あとでやろう」と思ってしまって飲まずに体調が悪くなり病院に担ぎ込まれる可能性がある。あとでやろうと思ってしまった事はあとでやったがゆえに他人に迷惑をかける事が大半なのだから、迷惑をかけないという意味でもあとでやらないほうがいい。

どんな仕事も全て面倒に感じてしまうのは「あとでやろう」と思って一旦放置して、例えばポケモンをしたとしても、頭の片隅には残っているのでポケモンを心の底から楽しむことができない、つまり結局は先に全て終わらせたうえでポケモンを楽しむのが正解、だという事は分かっているのです。
ただ、就業時間というものが決まっていないのが我々(一緒くたにしてしまってすみません)フリーランスの辛い所。
働こうと思えばいつまでも働く事ができるし、働かないと思えばいつまでも働かなくていい。

この「いつまでも」という所がわたしの「あとでやろう」精神に拍車をかけている。
やろうと思えば夜中の2時からでも仕事をすることができるので、そのぶんあとでやりやすくなってしまっている。
夜中の2時まで頭の片隅に「あれやらなきゃな」が残った状態で、一日を過ごすというのはあまりにも良くない。全然楽しくない。

ただ、今抱えている全ての仕事を終えた状態というものは人間に存在するのだろうか。
直近でやること(このnote、原稿修正、ネタ作り、主催ライブのオファー)は今日から数日の間に完遂するが、それ以降でやること(note、ネタ作り、今後の主催ライブのオファー)は常に存在し続けている。
その存在を完全に終わらせて、何もあとでやるものが無い状態はすべてを辞めている時だ。
辞めていない限りはやることは存在し続けている。
でもたまにはそれらを忘れて、生活を過ごしたい。

登校、下校、出社、退社。「一旦の区切り」をつけてくれるものが学校や会社には存在している。色々やる事はあるけどとりあえず、この時間だけ頑張りましょう、というものだ。
あんなに面倒だと思っていたものが、自分を守るために存在していた事はフリーになってから知った。自分で自分の時間を厳格に管理する事などできない。平気で昼まで寝てご飯を食べてまた寝たりする。そんな人間だからフリーでやれている(やるしかない)のかも知れない。

原稿修正をやらないといけないのに「あとでやろう」と思いながらこのnoteを先に書いているので、あまり集中できませんでした。

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谷口つばさ
頂いたサポートでドトールに行って文章を書きます