言葉は刃、ライバルのお前がワンパンで沈むのは見たく無いな

”言葉は刃、ライバルのお前がワンパンで沈むのは見たく無いな”とはよく言ったもので。

気が付いたらずっと言葉について考えていて、そんな必要も無いのに言葉を扱う事を職業にしている。
発話も文章も等しく言葉で、その共通点と相違点が永遠に面白い。
最近だと、短歌を「発話のみ」「文章のみ」「発話と文章」で捉え方が変わるという話をとあるイベントで聞いて帰路に着きながら、「じゃあこの場合はどうだろう」などと脳内で言葉を交わしていた。脳内の言葉は発話でも文章でもなく、これもまた面白い。

短歌に付随して大喜利も同じく「発話のみ」「文章のみ」「発話と文章」でずいぶん印象が変わってくる。
「発話のみ」はギャグやトークに近く、「文章のみ」はネット大喜利など、「発話と文章」はフリップ大喜利と捉える事ができる。
そのどれもが一筋縄にはいかずに、どれか一つを極めたと思っても別の場所に行ったら全く歯が立たないこともある。
言葉はとにかく複雑にできている。

このnoteに書いてあるような文章も、自分の中の大切な言葉の一つだ。
会社を辞める直前まで、そこまで熱心に文章を書いていたわけでは無かった。
小説やブログを読むことは日常化していたが、それを自分でも表現しようとは全然思ってなかった。
芸人になると決めて、ある先輩芸人のブログを読んで「自分の考えを言葉で伝える」という事の面白さを知って、真似をしてみただけだ。
上手いか下手かは置いておいて、どうやら向いてはいたみたいだ。
最初はただ反応があるのが嬉しくて、承認欲求を満たすという目的で文章を書いていた節もあるが、続けていくうちに誰にも届いていないとしても「書かずにはいられない」という状態に近づいてきた。

文章を書く事で「自分はこういう事を考えていたんだ」と気づくことができた。本当に高校卒業まで「自分は何も考える事ができない空虚な人間」だと思っていた。友達と毎日ふざけているだけで、真面目な事なんて考えた事も無いし言語化したこともなかった。読書感想文を書くのが上手いと言われた事もあるが、それも今まで読んできた本を参考にしただけで何も考えていない。
逆に文章を書き始めた事で「自分はこんなに考えていたのか」と驚いた部分もある。どこにも発散させずに言語化もせずに、よくぞそこまで耐えていたと思う。いつか爆発して誰彼構わず喋り続けていた可能性もあるが、喋りが下手なので「こいつ何言ってんの?」という顔をされて「誰にも自分の考えが届かない」という絶望に殺されていたかも知れない。

喋りは下手だが、考えていることも伝えたいことも沢山ある。
芸人を続けている理由の一つはそれだ。


この前「スケベ大学」というライブがあった。

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