『碧巌録』第三則「馬大師不安」:人を喰った真面目な話
垂示にいわく。
解説
まず垂示によって本則の大まかな方針が示されいることに注意しょう。
「一機一境、一言一句、」とは「徳山の棒」、「臨済の喝」、「趙州の唇から後光がさす」と言われるそれぞれの老師の禅の流儀はあるが、「しばらく箇の入処あらんことを図」ると言われる。
「しばらく箇の入処あらんことを図」るとは悟りを得るには「軌則」は存在しないが一応「箇の入処」を通過するのが通例であると言う。
「箇の入処」とは「好肉上に瘡をえる。」ことを覚悟しなければならないとも言う。
なぜこのような危険な言葉が冒頭に出て来るのかと言えばこの公案は若い修行僧に対するものではなく、年期を積んだ老僧に送る戒めの言葉である。
だから悟りについては簡単に話しているにすぎないが、指導者ともなれば日々の緊張は言葉に堪えないのである。
「好肉上に瘡をえる。」ぐらいでは済まない、心は戦国時代の武将にも勝るとも劣らないほどの武勇心が必要だと言う。
そのような状態の人を周囲の人は「窠を成し窟を成」しているように見えるので、「蒼龍窟に下る」と呼ぶのである。
「軌則を存せず、」とは試行錯誤と決断が必要であるが、誰にも相談することは出来ない。
何故なら誰も知らない未知の領域に挑戦してきた馬大師に対して言える言葉である。
「しばらく向上の事あるを知らんと図る。」とはこのお釈迦さんから伝えられた悟りを如何に広く伝えていくかにあるから、「模索不著」であることを覚悟しなければならないのである。
「太孤危生。」とはまさにこの一言で表現しているのである。
そのような「太孤危生。」の生涯を送ってきた馬大師という観点からこの公案を見れば色んな疑問や架空の動物、伝説上の人物の意味が解るのである。
馬祖道一は、中国の唐代の禅僧で一大宗派洪州宗を築いた僧侶であり百丈懐海や南泉普願などの法嗣を育てた前人未踏の領域を開拓した老僧である。
現代のような安定した組織や檀家の存在しない時代の馬大師は決断と実行の「太孤危生。」の毎日であった。
それは中国禅の公案と組織の発展に尽くして多くの信者と百丈懐海や南泉普願など嗣法を輩出したことを念頭に置いて考えれば解るのである。
一人の法嗣を出せば良いとまで言われる禅の世界で八十八人ともそれ以上とも言われるれる優秀な僧を発掘するには「鉤を四海に垂れて、只獰龍を釣ると。只此の一句に己に了して」と圜悟克勤にして評唱で言わせるほど困難を極めることである。
素質のある修行僧を世界中から見つけるだけでも大変であるのだけれども、八十八人を超える獰猛な龍を修行させることは馬祖道一禅師だから出来ることである。
「恁麼」とは肯定を意味して、「不恁麼」とは否定と訳される。
しかしこの公案では「恁麼も他得たり、」とは成功とか勝利、幸福と言う意味に解釈される。
不恁麼も他得たり。」とは失敗とか挫折、負けるとか、不幸、「蒼龍窟に下る」と理解することである。
それでは「太廉繊生。恁麼も他得ず、不恁麼も他得ず。」とはどういう事か。
普通に読めば幸福を得られない、成功も得られない、失敗も得られない、あるいは勝つことも得られない、負けることも得られないと言うことであるが、意味が解らない。
「太廉繊生」とは正確綿密に読めばと言うことであり「他」に注目して読むことである。
「恁麼も他得ず、不恁麼も他得ず。」とは、幸福は幸福にあらず不幸は不幸にあらず、成功は成功にあらず、失敗は失敗にあらず。勝は勝ちにあらず、負けは負けにあらずと読むことである。
何故なら「得ず」とは「得る」の否定であり、これは文字による二元対立的思考を回避した理解の手法と言えるのであり、「不恁麼も他得ず。」とは、否定の否定で肯定である、だから失敗は失敗にあらずと言うのである。
単純に言えば、幸福は幸福でありながら幸福にあらず、不幸は不幸でありながら不幸にあらず、勝は勝ちでありながら勝ちにあらず、負けは負けでありながら負けにあらずと言う意味であり、自然の法則そのまま、ありのままを表現しているのである。
本則
本則解説
「馬大師不安」とは病気のことであり、もう臨終を迎えるといった時にお寺の要職にあるお坊さんがお見舞いに上がり、お言葉をかけますと、馬大師は「日面仏、月面仏」とい言ったのである。
「日面仏」とは千八百歳、「月面仏」とは一日一夜と言う短い寿命のお仏さんのお名前を言われたのである。
「日面仏、月面仏」と馬大師は何を言いたかたのでしょうか、これが公案の言葉である。
この公案の趣旨は長いと短いの言葉による二元対立を如何にして解決するかと言う問題であると同時に馬大師の心境である。
「馬大師不安」と言う公案の意味は「馬大師安心」と言う意味である。
言葉に釣られて誤解してはならない、馬大師と院主とは毎日何度も顔を合わす間柄であり、お寺の組織から見て、お見舞いと言うような疎遠な関係では無い。
何故なら評唱において「祖師若し本分の事を以て相見せずんば、如何が此の道の光輝得ん。」とあるように馬大師はその時不安では無く「光輝」を得たと言うのである。
圜悟克勤は評唱において「須らく是農夫の牛を駆り、飢人の食を奪ふ底の手脚有って、方に馬大師為人の処を見るべし」と言っている。
「飢人の食を奪ふ底の手脚」、この意味は恐ろしいことを言っているが、言葉の意味が解らない人がいたら言葉を奪ってやりなさいと言う優しいお言葉なのである。
なまじ言葉で考えるから難しくなるのであって言葉さえ無ければ、その場の状況から真相は瞬時に解るのである。
もし馬大師が大変危険な状態にあれば院主だけではなく多くの僧も駆けつけて、医療関係者もいるのであり、平凡な日常状態を公案にしたに過ぎないのである。
くれぐれも言葉に騙されては成らない、このような日常生活を公案と言うと難しく考え込んでしまうのが優秀な修行者であって、穏やかに休んでいる馬大師を判断出来れば馬大師は不安では無く安心しているのが解るのである。
また次の頌と頌の評唱を読めばその理由は深く理解出来のである。
頌の解説
「五帝三皇これ何物ぞ。」とは衣食住を初め生活全般に安定安心の象徴であり、全く不安も不満も無い生活を送っている人物以上の安心を得ていて満足していると言う事である。
それでは「日面仏」とは何故千八百歳で、「月面仏」とは一日一夜と言う短い寿命なのかと言う疑問が残こる。
長いとは長いにあらずと言い、短いとは短いにあらずと言う自然現象を単に表現しているに過ぎないのである。
過ぎ去った過去は例え千八百年であろうが瞬時に記憶として思い起こすに過ぎないのであり、一日は長く感じるものである。
頌の評唱で「両面の鏡の相照して中に於いて影像無きが如し。」と言っているが 「日面仏」と「月面仏」の中間には影も形も無きが如しと言いう。
「月面仏」とは過去の記憶であり、「蒼龍窟下」った経験であり、「何ぞ恁麼なることを消いん」とは、過去の苦しい経験を忘れたり消し去ったりする必要は無く、「錯って用心すること莫くんば好し」。とは過去の経験を思い出すことを恐れる必要も無いと言う。
確かに「二十年来かって苦辛。」したが「一に人の蒼龍窟裏に入って珠を取る似て相似たり。」と清々しい気持ちで過去を思い出しているのが、「日面仏、月面仏」の公案である。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
参考文献
『碧巌録』朝比奈宗源訳注 上中下 岩波書店
『碧巌録』大森曹玄著 上巻 下巻 栢樹社