『碧巌録』第二則「趙州至道無難」
この『碧巌録』第二則「趙州至道無難」は言語的意識的に考えることを徹底的に否定することを強調する公案であるが、この公案を理解するためには逆に言語的相対的にも考えることが必要であると考える。さらに素直に読むことが何よりも大切なことである。
それでは垂示の現代文からはじめましょう。
解説
まず「乾坤窄く、日月星辰一時に黒し。」とは素直に読めば、太陽と月と星が消え天地自然が一瞬の内に闇に襲われ何も見えない状況を表現している。
それでは誰が何故そのような状況に置かれたのかと言えば、棒雨の数ほど、喝雷の如く浴びせられた禅の修行僧のことではなく、趙州和尚自身が禅の提唱者としての地位と名誉を問われ危機に陥った状況と考えられるのである。
禅においては指導者といえど命を懸けた真剣勝負であり修行者に問うことは、自らに問うことであり、それを難と言い其の難を「無難」に変じることが禅である。
一般的には「趙州至道無難」と言えば安全、安心と言う意味に解釈されておりますが、「難」とは「非難」人格に欠点があると言う意味が忘れられているようである。
古来「臨済の喝、徳山の棒」と言えば名の通った禅の指導方法であった。
一方趙州和尚は「趙州の口唇皮禅」と言われるほど言葉でもって修行者を指導することで知られていたのであった。
その趙州和尚が言葉による禅の理解を極めて厳しく否定しているのが『碧巌録』第二則「趙州至道無難」なのである。
たとへ三世の諸仏も只だ自から知ることはできても、歴代の祖師も修行者に言葉でもって理解させることは出来ないと言い。
「一大蔵教も詮注し及ばず。」とは8万4千の法門、5千40巻余の蔵教の中にも納得できる文は探すことは不可能であるといい。
さてそれでは「臨済の喝、徳山の棒」が禅の指導に最適とは言えなかったならば、他に良い方法は無いのかと圜悟克勤禅師は問いかけているのである。
その答えが本則にある趙州和尚の打成一片危機を福となす、ある僧との問答と心境的表情であった。
本則
解説
「至道無難、唯嫌揀択。」とは中国禅宗の第三祖僧璨鑑智禅師による『信心銘』の中の語録で「至道無難」とは平常心と言ってもよく難しいいものでは無いと言い。「揀択」とは選択とか迷い、分別と訳される。
また禅語録では「明白」とは迷悟を超越した境地と解釈するすることを前提するのは間違っていないのであるが、
言葉にはいろんな意味があってその前後の言葉によって意味が違ってくるのは当然である。
問題は「わずかに語言あればこれ揀択、これ明白。」この単純な文に多様な解釈あり、誤解を招く恐れがあるので指摘しておきたい。
ここの所の解釈の先例を調べたところ先入観あるいは偏見とみられる正反対の解説があることである。
趙州和尚は修行者に向かって「至道」すなわち平常心は難しいことでは無く、ただ「唯嫌揀択」あれこれと迷うことを止めなさい。迷っていないと思っていても言葉で良し悪しを考えることはすでに迷ったことに間違い無いのだと言うのである。
圜悟克勤は本則の評唱において「爭奈せん途を同じうして轍をじうせず」と言い、「明白」という言葉は同じでも意味が違うこともあると言っている。
また「至道無難、唯嫌揀択。わずかに語言あればこれ揀択、これ明白。」のどこに区切りを置いて読むかによって意味が違ってくるのである。
もちろん言葉による提唱においては句読点は無く呼吸の間隔などで表現するので微妙なものになるのである。
この点に付いても評唱において文字と文字の区切りは釘を打ち付けたように、また膠でくっ付けたように固定して解釈しては用に立たないと雪竇は言う。
「わずかに語言あれば、これ揀択、これ明白。」ここまでは一区切りに成っていて、「これ明白。」とは先行した「わずかに語言あれば、これ揀択」と解釈することは間違っていないと言う意味である。
ところが趙州和尚は「わずかに語言あれば、これ揀択、これ明白。」とここで句読点を付けて、「わずかに語言あれば、これ揀択、これ明白。」とここまでの意味するところは「明白裏(悟り)にあらず。」と同じ意味であると話しているのである。
それにもかかわらず、空かさずある僧が問うた、「すでに明白裏(悟り)に在らず。箇のなにをか護惜せん」と詰め寄ったのであった。
この僧機先を制して、言っていることと行っている事に矛盾があるではないかと、威勢よく問いただしたのであった。
趙州和尚の心境を圜悟克勤は本則の評唱において「若し是この老漢にあらずんば、僧に拶著せられて、「忘前失後せん」とまで評しているのが分かる。
さすがに趙州和尚も返す言葉に困ったと思ったのであるが、すかさず「わしも知らん」とただ一言言ったのであった。
この僧さらに、言葉尻を捕まえて悟りの何かも知らないのに「すでに明白裏(悟り)に在らず」と何故言えるのかと攻め立てたのであった。
おそらく趙州和尚でなかったらこの僧の言っている意味が理解出来なかったであろう、したがって圜悟克勤は「分疎不下ならん」と、言い訳出来なかったであろうと言う。
何故ならこの僧の言葉の意味を知らず言葉のしっぽを捕らまえて追及しているから、やはり圜悟克勤は「玄を論じ妙を論じ機を論じ境を論ぜず。」と言い、この僧悟りの本質では無く「言端語端」、言葉による三段論法を楽しんでいるだけに過ぎないと喝破している。
そこで趙州和尚は、「気を呑み込み声を込み」、言う事は即ち得たりと「把住」して、礼拝して退席せよと「放行」したのであった。
趙州和尚は境は話さず、「罵ることは君に許す口を閉じよ、唾液が飛ぶのは仕方が無いが水で洗っておけ」と、棒も喝も使わず接するのであった。
頌
頌の解説
雪竇は頌において、「一に多種有り。二に両般無し。」と言い、「難」には色々な意味があり二回使えば二回とも意味は異なり、五回使えば五回とも意味は違うと言い、「両般 」とは同じでないと言う意味であり、それを否定的に「二に両般無し」と言い、その意味するところは、「わずかに語言あれば、これ揀択、これ明白。」と「明白裏にあらず。」とは同じ意味であると言っているのである。
ところが例によって例の通りこの修行僧は「これ明白」と「明白裏にあらず。」とは同じ意味ではないと、「両般あり」と解釈したのであった。
この修行僧、「打成一片」とは否定の否定は肯定であること知らないらしい、『碧巌録』第二則「趙州至道無難」の題名の「至道無難」とは「平常心は平安」であるという意味であるが、「平安」を否定的に「無難」と表現してしていることに注意することである。
「平安」の否定は「難」であり、その否定は「無難」に成り、それを「ある時は難を喚んで難にあらず。」と表現するのである。
「天は是れ天、地は是れ地、ある時は天を喚んで地と作し、ある時は地を喚んで天と作し、」ある時は花を喚んで花にあらず、ある時は難を喚んで難にあらず、と言い、「天際日上がり月下がる」と同じ自然の法則である。
我々は考え無くっても、太陽が昇るのを見れば月は沈むと知るのであり、太陽昇ると喚んで月沈むと作すので、頌で「天際日上がり月下がる。」というのである。
また温度計と数学や統計解析を使わなくっても「檻前山深うして水寒し」ことを知っているのであり、山深いと喚んで水寒しと作すのである、と言葉で考えずして瞬時に知ることである。
至道とは目の前に展開する自然そのもの働きであり我々は言葉で考え無くっても瞬時に知るのである。
そのことを「風吹けば柳の木はゆれ」、「波高ければ船も上下に揺れる」と言うのである。
我々は趙州和尚といえば完全無欠の人格者、理想の崇拝者として存在していることを期待している。
ところが人間とは不可解な存在で、それほど慕い尊敬する趙州和尚を尊敬するあまり、僅かでも期待に沿ってくれないと失望して欠点を探すようになり非難するようになり、アンビバランスな感情の葛藤におかれのである。
多くの指導者、管理職の宿命とも言える理不尽なこの窮地を如何に解決するかが重要な問題に成ってくる。
そのような状況にいかに対処するのか趙州和尚は「心境共に忘じて、打成一片のところにありはしないか」と教えるのである。
「髑髏識無く眼初めて明らかなり」とは窮地に於いて初めて「至道無難」と言うことである。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
参考文献
『碧巌録』朝比奈宗源訳注 上中下 岩波書店
『碧巌録』大森曹玄著 上巻 下巻 栢樹社