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純粋経験ー意味のない意識
無中と言うことは物事に熱中して我を忘れることである。
noteの作成に注意を集中していると書いていることも忘れて時間のたつのも忘れていることがある。
そして時間が過ぎてゆくと、今何をかんがえ、何を書いているのかさえ解らなくなり、今書いた内容の意味が消えて行くことがある。
今書いた文章が無意味に感じられてきて、さらに直前に書いた内容を思い出そうとしても、思い出せづ、次に何を書いてよいのかわからなくなることがある。
夜、眠るとき今日提出したnoteの内容を整理しようと思い出そうとするのですが、さっぱり思い出せない、このような内容のコメントをしたところ少し共感がえられたので投稿しました。
この様な体験が純粋経験だと思う。
書いている主体が無く、書いている内容が無く、意識に意味が無いのだ、これは主客未分に違いないないのだ、書いていた覚えはある、確かに書いていたのだ、決してドロドロとした体験などでは無い、意識は鮮明であって朦朧とはしていない。
翌朝、確認するためnoteの内容を読むと意図したことが書いてあった。
それは今回だけではない、まるで思い出せない夢を思い出そうとするように、意識をたどっている。
そういえばアイデアが浮かぶのはいつも夢の中で考えていた、ところがその内容は決して忘れることはない、何故なら夢の中で何回も復習しているからだった。
たわごとでした。