「伊集院光とらじおと」が終わることについて
私は39歳の男性である。16歳ぐらいから伊集院光の深夜の馬鹿力を聞きはじめた。
現在は結婚をし娘もいる。16歳の童貞の私は妻と食事をしなが伊集院光のラジオを聞くことは想像していなかった。ラジオは一人で聴くものというイメージが強く、深夜の馬鹿力などのラジオ番組は一人で聞いている。
この度3月いっぱいで「伊集院光とらじおと」が終了する。なぜ終わるのか。伊集院光の商品価値であるラジオで全部喋るという事を伊集院光が捨て、全容が語られる事はなかった(リスナーとの信頼関係あってのことだと思う)。
急に話は変わるが、東京には下町ってのがあるらしい。山の手なんてのもあるらしい。東京近郊に住まないと理解が難しく必要性の低い概念である。
ここで私の抱く下町のイメージを羅列したい。
・商店街がある。・肉屋があって、コロッケ売ってる。・祭りの時は神輿を担ぐ。・人情に厚い
サザエさんとこち亀と寅さんがごっちゃ混ぜになったような漠然としたイメージがある。その下町ではTBSラジオが流れているのではないか。その下町ってのが崩れていることが「伊集院光とらじおと」が終わる一要因ではないのか。また東京近郊以外在住でラジコで聞く人にとってその下町感は、興味と疎外感が同居するコンテンツとなる。
今後はラジコ中心にコンテンツを組んでいくことは一般的には理解しやすい。ラジコ中心でやっていくということは、東京の下町感を排除していくといえる。
余談だが商店街のラジオが民放なのはNHKが時々国会中継があるからだと思う。またNHKは公共放送という側面から特に東京ローカルの表現に一番適していない放送局である。
上層部と伊集院光との間で想定している客が異なるのではないか。
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