南へ
かつての、あの日から、”最強”となった親友。
たった1人で遠くに行ってしまった。
この事実は「私だけは置いていかれない」と勝手に思い込んでいた私に
大きな喪失感を与えた。
寂しくて、悔しくて、手を伸ばしても伸ばしてどうにもならなくて。
もどかしくて、でもどうしようもなくて。
全ての意味が失われたように感じて、深く深く沈むことしかできなかった。
10年だ。ふと赤く染まった空を見上げれば、自分がすべきだった行動が
いとも簡単に思い浮かぶ時だって何度もあった。
でも、一度決めたことを覆すことはできない。
それだけのことをしでかした自覚はさすがにある。
別に後悔などはしないし、してはいけない。
しかも、こうなったことで自己肯定できる部分が増えたことだってあるのだ。
自分が巷で悟の“最強の術師”に反して、“最悪の呪詛師”と呼ばれていることは知っている。この呼び名は気に入っている。この呼び名を知って口角が上がる自分に気がついた時、やはり自分は諦めが悪いのだな、と思い知った。
悟の隣に並びたい。それがどんな形であっても、だ。
しかし、自分を殺させてしまったことに関しては申し訳ないと思う。
自分のわがままで離れ、もう親友とは呼べない関係にしたのだ。もちろん悟も自分には心底愛想が尽きているだろうと、そう思っていた。いや、普通はそうだろう。
それなのに、彼は、死に際でさえ私を親友だと言った。彼にとってたった1人なのだと。
そんな彼に殺させた。私にとって最上の終わりだったが、彼にとって心地よいものであったとは思えない。次会った時にはどんな顔をしたらいいのだろうか。
いや。もう会うことなどできないだろう。
そう思っていたのだが、死後にはこんな場所があったのだ。再出発の象徴のような場所が。
そして、まさに彼が。
悟が、今この場所に着いたのを見つけたのだった。
どうしよう。
どんな顔で、どんな言葉をかけたらいいのだろうか。
こんなことで悩むだなんて私らしくもない。
悟はあの頃の姿で、椅子に腰掛け空を眺めている。
その様子は、哀しさや悔いを抱えている訳でもなさそうだが、実際どうなのだろう。
私が離れた後、彼は教師になった。
とても有能な子達を育てていた。直接見て、戦って、よくよく分かったことだ。
また最強の術師として忙しく任務にもあたっているとも風の噂で聞いたこともある。
ついでに私の最期を迎える時でさえ私のことを呪うことすらしなかった。
理性的。
高専時代の彼を思い浮かべるとなんとも似合わない言葉だ。けれども、大人になった彼の行動はそう呼ばれるに相応しい。まるで別人を見ているようだ。
何があったのだろう。何が彼をそこまで変えたのだろう。
知りたい。知らないことが苦しい。彼のことは私が1番よく知っておきたい。
そう思ったら、勝手に足が動いていた。
もうあの10年で十分だ。意地を張るのも素直になれないのも。
死後にこんな場所があって、また彼に会えるという、この奇跡を逃さない。
彼が変わった時期は私が離れた時期と被っている。
そんな事実に淡い期待を抱きながら、彼のいるところに向かった。まるで1週間ぶりに親友に会うかのような軽薄さを纏って。
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