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SF小説を再び手に取るということ。

韓国の原書を読むのが好きである。

私は活字中毒で、幼少期は童話を、小中学校ではコバルト小説や赤川次郎を、大学生になって村上春樹を読み、東野圭吾を知り、宮部みゆきを知った。

ミステリー好きなので、すべての作家の本を読んでいるわけではないし、人気作品などと聞くと飛びつく傾向がある。

韓国語の勉強を始めたときに、ご多分に漏れず小説にハマった。

人は韓国ドラマやK-POPにハマるのだろうけれど、私は小説だった。

ヨン様でなくコン・ジヨン(映画「トガニ」の原作者)、BTSでなくハンガン(メンブッカー賞受賞作「菜食主義者」の著者)のほうに心ときめいていた。

今も韓国ドラマを見るより、韓国小説を検索している時間が多い。

(というより韓国ドラマはほとんど見ない。)

そんな毎日を過ごし、昨年だったか、韓国でSF小説をちらほら見かけるようになった。

日本人の私にとってSFは郷愁のするジャンルである。

コバルト小説で読んでいた新井素子の「星へ行く船」シリーズ、漫画で読んでいた鉄腕アトムやブラックジャック、アニメで見ていた「銀河鉄道999」、海外映画では「スターウォーズ」まで、学生時代はSFに囲まれて育っていたといっても過言でない。

そして一度、卒業したジャンルでもある。

大人になるにつれ、あまりにも奇想天外な物語でなく、もう少し地に足つけた比重の高いミステリー小説を好むようになった。

超現実的な小説もよく読むようになった。

だけれど、村上春樹が好きで特別に感じるのはおそらく完璧な現実主義的小説でなく、少し(かなり?)奇想天外さが含まれているからかもしれない。

だけれど、現実の世界を生きていることが他の作家にない特別感を生んでいるのだろう。

そんな中で出会った韓国のSF小説。

とりあえず「流行っているし」「好きな作家だし」程度の取り掛かりで読み始めた。

最初に手にしたのはキム・チョヨプの「わたしたちが光の速さで進めないなら」(原題は「우리가 빛의 속도로 갈 수 없다면」)だった。

私の感想だが、韓国語は文字で見ると日本語よりひんやりとして静かなイメージがある。

それがSFにはよく合うと思う。

その中に奥に秘めた感動が隠されていたりする。

文体が冷ややかだから、より感動を感じる。

それが好きで、文学の一つとして原書で韓国小説を読みたいと思う。

でも、SF小説は意味不明だと思う部分がより大きい。

次に手にした小説はチョン・セランの「声をあげます」(原題は「목소리를 드릴게요」だ(現在、継続中)。

この小説の中に「リセット」という作品がある。

大きな大きなミミズが地球を浄化する話だが、世界中を襲うパンデミックという意味合いでコロナ事態を経験中の私たちには共感性が高い。

いろいろと考えさせられる。

ミミズは人を一掃するために遣わされた地球にやさしい駆除隊であって、人にとって悪でも地球には善かもしれない、と。

SFというのは、ともすれば人の感情や世の中についてのことが削ぎ落されているので(非現実的だったり理解不能なシチュエーションなので)、起きている問題事項だけをギュッとピックアップして眺めることができるのかもしれない。

たまにドロドロでぐちゃぐちゃな人間模様に入り込んで、今の自分を顧みたいときもあるけれど、人生をシンプルにして初めて見えてくる現実もあるのかもしれない。

日本の小説では、本屋大賞にノミネートされた伊与原 新の「八月の銀の雪」を読み、続けて「月まで三キロ」を読んでいる。

こちらも科学という無機質な世界から人間模様を映し出す物語で、新鮮で面白い。

この「月まで三キロ」が本当に良い。しみじみする良さがある。無機質のものに向き合いながら、心が癒される。

科学というものは、宇宙に対する浪漫と似ている。

SFと似て非なる世界かもしれないけれど、感情のない世界から感情に接近する過程が似ていて興味深いと感じる。

今、このような小説に注目するのも、もしかしたらコロナの影響かもしれない。

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