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価値観に従ってまっすぐ生きていく
先日、私の知り合いが主催しているSilver Lining Collegeというゼミの中間発表があり、ゼミ運営のお手伝いの傍ら、中間発表を聞かせてもらいました。
Silver Lining Collegeは山口周さんを講師に、パーソナルビジョンを探求するゼミで、私も以前Newspicksが主催していた同様のゼミを受講していました。その関係で、お声がけいただき、ゼミのお手伝いをほんの少しだけさせてもらいました。
今回のブログは、ゼミ中間発表を聞かせていただいて、私が印象に残ったことを書いてみます。
価値観に独自性は必要か?
今回のパーソナルビジョンの発表の中で、具体的にやることを発表する人もいれば、自分の大切な価値観について発表する人もいました。山口周さんはそれを地図とコンパスで例えて、コンパス(自分の価値観)の大事さについてコメントしてくれました。Xでも呟かれていましたね。
人生は一つの冒険ですが、冒険を歩むためには「地図」と「コンパス」の両方が必要です。多くの人は「地図」に意識を向けがちですが「コンパス」も大事です。自分にとっての「真北」を持つ。
— 山口周 (@shu_yamaguchi) January 11, 2025
このコンパスを発表してくれた人は、自分の体験やその時の感情にしっかり向き合って掴み取った言葉を伝えてくれてすごくよかったのですが、その言葉だけを切り取ると「幸福」とか「居心地の良さ」というめちゃくちゃわかりやすい一般論になる傾向があるな、とも思いました。
確かに、究極は幸福に生きることだけを考えればいいと思うのですが、私が幸福になることだけを考えても、幸福になれないという矛盾も同時にあると思います。だから古代ギリシャの時代から幸福が哲学のテーマになっていて、未だに解決できてないテーマなんだと思います。
そういう事も考えてなのか、コンパスの発表者に対して、会場から「独自性は何ですか」という質問がでてしまう場面もありました。
これもまたすごく考えさせられる質問で、誰にでも当てはまる一般論を語ったところで、他者から見ると、そうだよね、という感覚にしかならないのもすごくわかります。
でも、やはり疑問に思うのは
パーソナルビジョンに独自性は必要なのか?
ということ。
ビジネスをする上では、他者から選んでもらわないといけないのと、社員の方向性を揃えるためにビジョンの独自性は必要かなと思うけど、私が行動することに他者から私を選んでもらう必要性はあまりないので、そこまで独自性にこだわらなくてもいい気がします。
コンパスで信じた道を行く
独自性はないけどコンパスに基づいて進んでいくという話で思い出されたのが、去年本屋大賞を受賞した「成瀬は天下を取りに行く」の続編の「成瀬は信じた道を行く」。
この本の主人公 高校生の成瀬あかりは滋賀の地元が好きで、地元を良くするために自主的に地域のパトロールをやっています。それも下校のついでに。やってることはパトロール中という腕章を付けて歩いているだけなので、何か特別なことをしているわけではないっぽいのだが(いや、暇があれば歩いているって書いてあったかな)、腕章を付けて歩いているだけで防犯になるとのことで続けているらしい。
この行動が個人的にめっちゃ好きで、こういう行動ができるのはコンパスがしっかりしているからこそなんだろうなって、発表を聞いて思いました。
誰からもお願いされてないけど、自分の信念(コンパス)に従ったら、この行動をするのが妥当だった。
小さくてもいいので、誰からもお願いされてないことを自主的にやり続ける行動を増やすと、それがその人の独自性になっていくんじゃないかなと思います。なので、コンパスを作ったら、それに従った行動を恥ずかしがらずにやってみる。大きな地図はまずはなくてもいいかな、って思います。成瀬あかりを見てるとそう思わせてくれます。
ちなみに、成瀬あかりは学校では変な子扱いされているのですが、成瀬のことが好きな人もいて、小学生の弟子までできます。そして、成瀬のことが好きな人はみんな、成瀬は今後大きなことをやってのける、と信じてやまないのです。
成瀬を見てると、みんなに好かれなくても、少数のファンがいるだけでいいなって思わせてくれます。
ちなみにのちなみになのですが、私は公園のゴミ拾いを子どもと遊びに行ったついでにやっています。いつだったか忘れましたが、公園に行ったときにすごくゴミが気になって、だったら自分で拾うかと思い、公園に行くときはトングと袋を持って行くようにしました。私が公園のゴミ拾いをしていると、子どもも気になるようで、「やりたい〜」と言って一緒にやったり、なんならたまに知らない子どもも「一緒にやりたい〜」と言って、知らない子たちと一緒にゴミ拾いをすることもあります。
これも一種のコンパスに従った行動だけど、独自性はなく、誰でもやれることですが、こういうのをちゃんとやることで、小さくても他者を巻き込めることができるっていうのが、公園のゴミ拾いをしながら感じます。
そして、私も成瀬に感化されて、腕章を付けて公園のゴミ拾いしようかと思い、折角だから工作大好きな小4の娘に腕章作ってほしい、とお願いしたら、見事に断られてしまいました。お父さんが変な人になるからやめてほしい、と。確かに、他に公園で勝手にゴミ拾いしてる人はいないので、なんでやってるの、と思われちゃうんだろうな。変な人に思われたくない、という娘の意見も尊重して、腕章は自分で調達することにします。(やっぱり腕章は付けたいw)
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最後に
誰からもお墨付きをもらってないけど、自分の価値観(コンパス)に従って自主的に行動する。
簡単なようで、やっぱり勇気がいる行動だなって思います。
だからこそ、Silver Lining Collegeのような考える場所と行動している仲間がいることが大事だなって思います。私も過去に同じようなゼミに入ったことで、自分のことを考える時間をもらい、そして、考えをともに話し合える仲間に出会えたことが、本当に心強く、立ち返る場所になっています。大きなシステムに流されそうになったとしても、立ち返る場所があることで、コンパスを同じ方向に向き続けられている気がします。
小さな行動でもいいので、自分の価値観に沿った行動ができている人生をあゆみたいですね。