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九天九地:序章
~実録・高島嘉右衛門伝~
品川の高輪泉岳寺に、高島嘉右衛門の墓所がある。
泉岳寺というと、赤穂浪士の墓所で有名だが、この高島嘉右衛門の墓が、ここにあることを知る人は少ない。
しかし、この高島嘉右衛門こそ、昭和の易聖と謳われた人物で、私達の実生活に深くかかわっているのだ。
あまり表面には顔を出さなかったので、知る人ぞ知る、というところだが、日本の近代史の一端を担った人物、と言っても過言ではないだろう。
高島翁とそのご家族の名誉の為に、先に断っておくが、高島嘉右衛門と占い師団体「高島易断」との間には、何の関係もない。
皆さんはこの、「高嶋易断」という、占い団体のことを耳にしたことがあるだろうか。少し昔の話になるが、各地でホテルの一室を借りて、新聞の折り込み広告で集めた客を占う商売があった。
けっこうな繁盛ぶりで、壺とまでは言わないが、高額の鑑定料や祈祷料を取るので、問題になったこともあった。昔はよく「高島易断総本部」なんて鑑定所が、そこここにあったものだ。
まさに、昭和の遺物とでもいうべき商売だが、今ではわずかに「高島暦」とか「高嶋運勢暦」という本に、名残を残している。
高島嘉右衛門及び高島家と、この「高島易断」には、縁もゆかりもなく、占い師商売とも何の関係もない。高島翁は金銭を取って易を立てたことはなく、弟子も一切取らなかった。自分の研究と易断の結果を「高島易断」や「高島嘉右衛門占例集」に書き残しているだけだ。
つまり、「高島易断」とは、占い師団体の名称ではなく、高島嘉右衛門という傑物が残した、書籍のタイトルなのである。
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写真は、筆者所有の、本物の高島易断の本である。購入時にちょうど、出版後100年目だったので、今では120年以上経っているが、綺麗なものだ。
「高島易断」は、四書五経の一冊である「易経」をベースに、高島嘉右衛門が実占に当たっての、解釈を加えたものである。
今回、この高島嘉右衛門がどのような人物であり、またどの様な過程を経て、後世の易占バイブルともなった名著「高島易断」を著したのか、その生涯をひとつ、様々な資料を元に、辿ってみようではないか。
参考文献
「大予言者の秘密」高木彬光(光文社)
「横浜をつくった男」高木彬光(光文社)
「高島易断を創った男」持田鋼一郎(新潮社)
「乾坤一代男」紀藤元之介(東洋書院)
「易断に見る明治諸事件」片岡紀明(中公文庫)
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