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九天九地7:虚空に描く、富の山

期待外れの鉄鉱脈

宝の山かと期待した鉄石の鉱脈だったが、思わぬ伏兵が隠れていたようだ。
更に悪いことに、南部藩は、借財の返済ぶんとして、開発資金を出資する、という約束を守らず、嘉兵衛親子は、坑夫達の賃金の支払いにさえ、事欠く始末だった。

清三郎は、老齢の身で山奥の鉱山で苦労する、嘉兵衛の姿を見るにつけ、胸が痛んだ。
何とかしてこの苦境を脱して、父に平穏な余生を送らせたいと、祈るような気持ちで、一心に働いた。その気迫が通じたのか、荒くれ者の坑夫たちも、清三郎の指示にはよく従ったものだ。

そうして日を送るうちに、幼い頃は病弱で、ちゃんと育つかどうかと心配された清三郎も、筋骨たくましい若者に成長していた。180センチもあったので、当時としては、堂々たる偉丈夫である。

山天大畜!

三度目の冬---どうも体の具合の思わしくなかった嘉兵衛は、いったん山を下りて、室羽鉱山で一冬を過ごすことになった。
前ならば、清三郎と一緒に頑張る、と言い張ったであろう嘉兵衛だが、珍しく清三郎の忠告に従い、大人しく山を離れた。
それでも五月には山へ戻ってきた嘉兵衛だったが、少し妙なことを言いだした。

釜石に占いの達人がいると聞いたので、清三郎にこの鉱山事業の将来を聞いてきてほしい、というのだ。
嘉兵衛にしては弱気だな…まだ体の状態が、本調子ではないのか、と感じた清三郎だった。しかし、嘉兵衛の頼みを無碍には出来ず、江戸から連れてきていた腹心の手代に後を託して、釜石へと旅立った。

途中、昼食を取る為に、とある旅籠屋に立ち寄った清三郎。店の主人は、彼が鉱山開発に携わっていると聞き、それならと、一つの石を持ち出してきた。

「お仕事が山師なら、この石を見てもらえませんか。鉄を含んでおることは確かなのですが」

「いったい、この石はどこで取れたのだ?」

「このへんの山にはゴロゴロしてますよ。一山つかみ取りというぐらいに」

「そうか…残念だが、うちの山にもこれと全く同じ石があってな。炉で溶かしてはみたものの、全く使い物にならなかった。将来、技術が進めば、鉄の原料になるかもしれないが、今はどうにもならぬ」

そう言った時、遥か頭上で鳥の鳴き声がした。
まず、鋭く一声、二度目に七声、三度目に六声。

「ご亭主、あれは何という鳥なのだ?」

「私も初めて見ました。はて、何という鳥でしょう」

「この土地に長く暮らしているお前さんが知らぬのか、おかしなこともあるものだ」

清三郎はその時ふと、これは何かの啓示ではないか、と思った。いちおう、四書五経の素読はしているので、易のアウトラインぐらいは分かる。

一、七、六

これを易の卦に置き換えてみると、一は乾で下卦、七が艮で上卦。六は爻変で上九と解釈できる。

この卦は「山天大畜」であり、大きな財産、豊作を意味する卦である。
とすると、この山には大きな富が眠っているという、いかにもそれっぽい、期待できそうな卦ではある。
しかし当時の清三郎は、まだそこまで、易に深入りはしていなかった。
彼はあの始末に負えない鉱滓を思い出し、いくら富が眠っていようと、使えないのでは仕方がない、と呟いた。

虚空無限
目指す占い師には、会えなかった。
白雲道人という名前だそうだが、わずか十日ほど前に、自分には天寿が来たので、見苦しい死に顔は見せたくない、と書置きを残し、姿を消してしまったという。

会えないとなると残念でならず、留守居をしていた老婆に頼み込んで、住んでいた庵を見せてもらった。

そこには、宛名の無い一枚の短冊が、机の上に置かれていた。

「山中勿求道 虚空無限」

読み下すと、山中に道を求むるなかれ、虚空は無限である、となるのだろうが、意味はよく分からない。
しかし清三郎には、どうもそれが、自分に充てて書き残したもののように思えてならなかった。

父子の別れ

嘉兵衛と清三郎父子が、このようにして心血を注いだ鉱山事業だったが、三年経っても、なかなか軌道に乗らなかった。
そればかりか、嘉兵衛が病に倒れてしまった。中風…現在で言えば、脳梗塞とか脳溢血という重病である。

あくまでも清三郎と一緒にこの地に留まるか、或いは二人で江戸へ引き上げる、と主張する嘉兵衛を説得し、江戸へ送り返すことにした。
山駕籠を使用するとは言え、病人の体には負担が大きい。くれぐれも無理のないように、と付き添いの手代に言い含めはしたが、もしかしたら、これが今生の別れになる可能性も、捨てきれない。

駕籠が見えなくなるまで、峠に立ち尽くした清三郎、涙をこらえながら山へと戻った。

嘉永六年(1853)の正月、清三郎は父・嘉兵衛危篤の知らせを受け取った。
急ぎ江戸へ向かった清三郎を、嘉兵衛は店先まで這って出迎え、涙を流して喜んだ。

遠州屋の商売は、嘉兵衛と清三郎父子が留守の間に、大変な事態になっていた。
江戸の店を預かっていた娘婿の利兵衛は、主人の留守を良いことに放蕩三昧、吉原や品川の遊郭に入り浸り。
最初のうちこそ、出入りしている大名江戸屋敷の、家臣たちの接待という名目だった。ところが、当人が遊びの味を覚えてしまい、瞬く間に店の資産を使い果たし、膨大な借金を作っていたのだ。

境沢の鉱山のほうも、南部藩が必要な資金提供の約束を果たさなかった為、まともに機能しなくなっていた。
もともと、鉱山開発には巨額の資本を必要とする。南部藩からの不定期、かつ僅かな補助では甚だ心許なく、遠州屋は多くの私財を投じて、穴埋めをしていた。
この上、本業の遠州屋の商売が傾いてしまっては、鉱山開発事業など、うまく行く筈がない。

ここにきて、ついに鉱山事業を打ち切る決心をした清三郎だったが、まだ残務整理が残っている。
希望の無くなった場所からは、蜘蛛の子を散らすように人が去ってゆく。そんな中、わずかな費用と人員でカタをつけるのは、容易なことではなかった。

余命いくばくも無い父の元へと、急ぎ戻った清三郎、まずは親類一同の前で、利兵衛の隠居を求めた。
次に、自分自身が、二代目遠州屋嘉兵衛を襲名することを決めたのだ。

襲名披露と言っても、華やかなものではない。今や数千両の借金を背負って四面楚歌、借金取りが、連日、店に押しかけてくる始末だ。
大きな富を手中にするどころか、莫大な借財を背負う身となってしまった。そんな中、巨額の債務を引き受けつつ、遠州屋を再建しようという、襲名披露である。

父・嘉兵衛の臨終の際の遺言は、「俺の資産は天に積んであるから、自分で努力して掴め」であった。
何ともやり切れない思いの、遺言だったことだろう。しかし、現実は非情なものである。奉行所に訴え出て、返済を迫る債権者もあった。

債務の行方

父の葬儀を終えた後、その非常事態をとりあえず乗り切る、窮余の一策。
二代目嘉兵衛は、まず大口の債権者七名を、奉行所に集めた。

その方法というのが突飛なもので、ここはまさしく、先代嘉兵衛の血を継ぐ度胸、と言わざるを得ない。

「私も遠州屋嘉兵衛の跡を継ぎましたからには、借財は必ずお返しします。とはいえ、今すぐにお返しする資金はございません。そこでご相談があるのですが、皆さまで『くじ』をお引きになっていただきとうございます。一番札をお引きになった方が、私をお雇いになれば、その給金で、借金を返してゆくことに致します。」

「遠州屋さん、奉公人の給料は、いったい幾らだと思っていなさるんだね?」

「お言葉を返すようですが、奉公人の中には、ただ飯食らいのような者もおりましょう。一方で、年に何千両かの給金を払っても、そのほうが得だというような者もありましょう。ここは私を信用していただき、年に二千両の給金で、働きをお試しになってはいかがでございましょうか」

一同あっけにとられていたが、しばらくして、最も大口の債権者である、材木商の加賀屋が口を開いた。

「遠州屋さん、お前さんはわしの倅と同い年の十九歳と聞いているが、まことに感心しましたぞ。よくぞ、これだけの台詞を吐きなさった。皆さん、これだけのお方を雇うとなれば、住み込みのでっち小僧と同じ扱い、というわけにはいくますまい。何千両の資金を出して、店を出させて商売をさせるしかありますまい。しかし私には、それだけの力がありません。このくじ引きは、ご辞退させていただきます」

加賀屋の判断に、他の六人は顔を見合わせていたが、結局、談義を重ねた末、遠州屋の借金は、嘉兵衛の出世払いと決まった。

普通であれば、十回以上もかかる筈の債務整理は、こうしてわずか一回で決着をみた。
その翌日から、嘉兵衛は他の小口の債権者たちを説いて回った。大口債権者にはこうして話をつけたので、小口のほうから先に返済する、という条件で、債務の繰り延べをはかったのだ。

九天九地8へ続く

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