九天九地5:行く手を阻む、鉄鉱山
険路はるばる
嘉兵衛が盛岡への視察旅行に旅立つには、それなりの経緯があった。
天保四年の大飢饉を、嘉兵衛の働きで何とか乗り切った南部藩ではあったが、決してそれで安泰、と言う訳ではなかった。
南部藩はもともと寒冷の地。天保四年に限らず、毎年のように冷害に悩まされている。その為、藩の財政は決して豊かではない。このままでは、鍋島藩に借り受けている米の代金の支払いも、ままならない。
その為、智恵をふり絞った藩では、天候に左右される農作物に頼らず、鉱山開発に尽力するほうが効率が良いのではないか、という方針を導き出したのだ。
幸い、領内には幾つかの鉱山があり、豊富な鉱物資源が眠っている。
しかし、鉱山開発は、並大抵の仕事ではない。これが妙案となるか愚策と終わるかは、まだ何とも言えない。そこで開発に当たり、再び嘉兵衛の手腕に頼ってみよう、という意図なのだ。
材木商であると同時に、建築土木請負師でもある嘉兵衛であるから、全くの専門外というわけでもない。だが、さすがの嘉兵衛も、この話には考えこんでしまったものだ。
しかしながら、天下国家の為、と頼み込まれては、無碍にもできない嘉兵衛の性格、取りあえずは視察、ということで、盛岡へと旅立ったのだ。
旅から帰った嘉兵衛の様子に、清三郎(後の高島嘉右衛門)は心配して、ねぎらいの言葉をかけた。
「旅はいかがでございましたか」
「ひどい…実にひどいところだった。盛岡までの道中は、東海道と比べてもさほど険しくはないのだが、宮古街道へ入ってからがひどかった。道中すべてが、本格的な登山と同じなのだ。」
「盛岡から境沢までは、四十里余りと聞いておりますが」
「うむ、最初の三十里余りはまだいい。断崖絶壁の間を縫うように走っている道だが、注意すれば何とか歩ける。しかし、その後の山道は、まさに獣道と同じ険しさなのだ。箱根八里の山道など、ものの数ではない。江戸付近にあのような険路はあるまい、とさえ思った」
「それで、鉱山そのものはどうでございました?」
「それが、まさに宝の山なのだ。わしは鉱山には何の知識もないが、山の全てが鉄の塊ではないか、と思えるほどなのだ。斜面の土を掘り、水で洗うと多量の砂鉄が取れる。これをふいごで焼き固めれば、良質な銑鉄になる。これが、南部名産の鉄瓶の原料かと感心したよ。しかも、付近には大きな石がゴロゴロしている。これに鉄片を近づければ、ピッタリと吸着して簡単には引きはがせない。おそらく鉄の鉱石だろう」
「それは確かに、宝の山ですね。なぜ躊躇なさるのですか?」
「理屈では確かにその通りだ。ところがな、現地が、とうてい人の住めるような場所ではないのだ。鉄を採掘しても、それを牛馬の背に積み、近くの港まで運ばねばならない。その帰りに、米麦他の食料を運んでくるとしよう。この往復がだ、なんと六十里。中一日休みを取るとして、七日はたっぷりかかるのだ」
「うーむ、それは…」
「更に、雪の問題がある。まさに深山幽谷、十一月から四月までの半年間、現場は深い雪に埋もれ、人も馬も、行き来が思うにまかせない。家を建てて冬ごもりをしようにも、食料がもたぬ。見積りでは、一つの鉱山を開発運営するには、千人近い人手が必要だ。これだけの人数の半年分の食料を、あの山の中で確保し続けることは、至難の業なのだ」
「なるほど…」
「それにだな、鉱山開発という仕事は、他の商売のように、短期間で結果が出るものではない。何十年もの歳月を費やし、初めてこれぞという結果が見込めるものだ。わしがこの仕事に手を染めたとして、結果が出せるのはおそらく、お前の代になってしまうだろう。そう思いながら帰ってきた。であるから、判断はお前に任せるとしよう。わしがあの山に骨を埋めると決心しても、お前がその志を継いでくれなければ、何にもならない。よく考えて決めるがよい」
「私が…決めるのでございますか?」
迷いと期待
清三郎は驚いた。彼はこの時十七歳、いくらしっかりしているとは言え、まだまだ経験の浅い青年でしかない。今まで何度か、工事請負に成功してはいるが、周りの年長者の智恵も借りられてのこと。見てもいない鉱山開発を成功に導けるのか、甚だ心許ない。清三郎は即答せず、三日間の猶予を乞うた。
考えあぐねる清三郎は、その頃、親交を深めていた鍋島家の家臣、力武弥右衛門のことを思い出した。鍋島藩は九州佐賀であるから、長崎の出島から入ってくるオランダ船を通して、海外の珍しいニュースが伝えられる。
それらの話に、清三郎は目を輝かせて聞き入ったものだ。
地球は丸い球体であり、海の彼方には様々な国があり、我が国とは違った文明が栄えている。外国の人間は、黒船という鉄で造った船に乗り、石炭という硬い炭を焚きながら、大海を自由に航行するのだ。
それらの外国人は、背が高くて紅毛碧眼、日本人とは全く違う外見をしており、話す言葉も違うという。
力武から聞いたこんな話を思い出した清三郎は、黒船を作る原料が、鉄であることを考えた。
日本も黒船に負けないよう、木造船ではなく鉄の船を作らねばダメだ。鉄の鉱山を開発することは、意義のある仕事だ。
しかも父の嘉兵衛は、商人とは言え、自己の利益よりも大きな視野を持って、日本の国益を優先する男である。もし父が、この仕事を見込みがないものと判断していれば、即座に断っているのではないか。
しかし、大きな困難が待ち構えているからこそ、判断を自分へと委ねているのではないだろうか。
その時、清三郎は、乳母から聞かされた水野南北のことを思い出した。
~九天九地の相~
そして自分は、多くの人を幸福に導く運命を担っている、と予言されたともいう。
興味は湧いてくるものの、余りある前途の多難さは予想される。迷いに迷った清三郎は、この上は自分一人の判断では覚束ないと思い、翌朝、当時有名だった浅草の占い師を訪ねた。
この占い師と清三郎との出会いは、資料によって多少、順序が違っているが、ストーリーの流れを壊さない程度に、脚色してお届けする。
易との出会い
当時、浅草に朝元斎・山口千枝という占い師があった。当然、易も立てるし人相や手相も観るという、東洋占術の王道を修めた人物である。
この山口千枝は、「三脈取り」という観相法で有名だった。この方法は、今でもけっこう使っている方があると思うが、自分の首の左右の頸動脈と片方の手首の脈、つまり三脈を同時に測り、病気の兆候や身に迫る災厄を察知する方法である。
根拠があるような無いような、「そんな迷信…」と否定する人もありそうだが、筆者はこの方法は、案外いける気がする。
脈を観るのも一種の観相学に入るのだが、人相というのは、何も形だけではない。脈を観るにもいろんな方法があり、そこに人間の持つ、第六感的な要素が加味される場合がある。
そう言えば、筆者の子供の頃は、医者は各家庭を訪問して患者を診るのが普通だったし、診察の時には、必ず自分の手で脈を観ていたものだ。
今は、血圧計やパルスオキシメーターなんて、便利なものに任せっきりだが、医者が患者の手首を取り、じっと指先の感覚を研ぎ澄ませて脈を観る。機械任せよりも、有難い気がするような。
ここで、本題からは逸れるが、かなり有用な知識なので、少しだけ、人相学のミニ知識を提供しておこう。
下の図で顔の中心に、上から順に名前がついている。
「天中、天庭、司空、中正、印堂、山根、年上、寿上…」となっている。
印堂から上の額部分は、先祖とか神仏に関わることだが、山根から下には、主に健康問題が如実に表れる。
鍼灸治療をしている人に、「山根(さんこん)の上部に赤い苞(ほう=ニキビ)が出たら呼吸器系疾患だよ」と教えてあげたら、「そう言えば、花粉症の人が、みんなそこにニキビが出来てるわー」と驚いていた。
鼻の付け根部分にニキビが出た場合、上のほうなら呼吸器系疾患、下の方なら消化器系疾患である。
顔の両側は、また違う意味があったりなかったりだが、顔の中心=正中線に出た苞は、だいたい何らかの注意信号である。
鼻の付け根や鼻筋に、プチッと赤いニキビが出たら、早目に休養を取ることが大切だ。百発百中なので、覚えておかれると良い。
耳鳴りなども、けっこういろんなことが分かったりするし、三脈による判断も、観相法とつながりがあるので、この朝元斎どのの観法は本物と見た。
危機の兆し
朝元斎の元を訪れた清三郎、果たしてどんな事を言われるかと、半ば期待して待ったことだろう。
しかし朝元斎の顔色は、はかばかしくなかった。
「三十歳までは順調だ。大きな財産を築くことができるだろう。しかし、その後がいけない、生命さえも危うい、という相が出ている。この災厄は人間の力では免れがたいものだ」
「いや先生、お言葉を返すようですが、私は生まれて間もなく、かの高名な水野南北先生に観ていただきました。八十歳以上は間違いない、と言われたそうですが」
「幼い頃のことじゃな。その時の人相は確かにそうだったのだろう。この紋(手相の線)は、確かに八十歳以上の長命を現している。しかし、相というものは、その時の状態によって変わるものだ。長く太い生命線も、ある時、途中でプッツリ切れることがある。おそらく、南北先生が観られた時には、この不吉な線は出ていなかったのではあるまいか」
清三郎はそう言われて、自分の手相を改めてシゲシゲと眺めてしまった。確かに、生命線の上に、傷かと見紛う深い横線が刻み込まれている。いわゆる、障害線である。
「この傷のような横線は、人災を現す邪線なのだ。これで天寿を全うできなくなる…そう解釈するより他はない…まあ、人助けの為に、全力を尽くされることだな。至誠天に通ず、と言う。善根功徳を積まれるならば、この大難はある程度、小さく済ますことが出来るやもしれぬ」
大難は中難、中難は小難、小難は無難に…
なんだか、拝み屋さんの客寄せの謳い文句のようだが、まあ占い師としては、これぐらいしか言いようがあるまい。
「それが我が定め、と言われますなら、それも致し方ないことでしょう。実は本日は、東北の僻地に出向いて、鉱山開発に携わる、という話が出ており、どうにも自分では決めかねております。それでお尋ねに上がったのですが、この鉱山開発の件が、私の命取りとなりましょうか。それとも人助けとなりますなら、私としましても、全力を尽くしたいと思っているのですが」
「そのような現実的、具体的な問題の可否は、人相や手相では観ることが出来ぬ。易占に頼るしかないから、一占立ててみることにしよう」
筮竹を三度、割りさばいて数えた朝元斎、下の卦、上の卦、爻変である。
そして、算木を並べ直しつつ、眉をひそめた。
九天九地6へ続く
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