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「C」
こんばんは みょーです。
本日はAOIROさんの企画『青色手紙を打ち返せ』の参加記事です。
応募要項
①参加してくださる方のターン
この記事のコメント欄にて参加表明(わたしからフォローされていない方はいくつかおすすめの記事を教えてください。相互フォローの方でも、おすすめ記事がありましたらぜひ)
②わたしのターン
ご参加いただいた方々にそれぞれエッセイを書かせていただきます。何かしらの形で通知がいくようにします。
③参加してくださる方のターン
わたしからのお手紙エッセイが届くと思うので、これに対してエッセイを自由に思う存分、打ち返してください。
「自由に打ち返してください」とのことなので、ストレートを投げ返していこうと思います。ピッチャーとピッチャーです。せめてテニスしろ。
まだ読んでない方は、この記事なんて読まなくていいのでコチラをよろしくお願いいたします。僕のトリセツです。
読んで感じたこと、考えたことをエッセイにしました。
恥ずかしいです。
「C」
「真面目な部分を隠すようになったのはなぜだろう」と考えた。
僕は「AかBか選べ」と言われたとき、とっさに「Cはねえのか」と考える人間だと思う。
少年漫画の主人公はそういう生き方をしていて、物語を作りたいと思った時から、この考え方が身体に染みついてしまった。だから自分の中にある「いま投げるべきはストレートか、変化球か」という選択肢に対しても、別の答えを探してしまう。
迷った時って、意外と二択じゃないことの方が多い。
「ひとつずつ投げればいい」「二人で同時に投げればいい」「そもそもボールを投げなくてもいい」みたいな感じで、いくらでも新しい選択は出来る。でも行動に移すのは難しくて、ベストなのにベストではない。
「冷やかす人たち」「価値を見誤った人」「私だって辛くて頑張った人」にとって、C案を探すよりAかBかで悩んでいる方が生産的で正しいらしい。だから両方が満足するプランが見つかっても、どちらかをやっつけて切り捨てる方が素晴らしいと言い返される。「ボールはひとつしか投げられないし、投げないといけない」ということにこだわり、信じているから。
信じることが正しいと言って投げない人までいるくらいだから、だから自分が。これが分かるようになっただけでも成長したとは思うけれども。
「じゃあ始めから俺に意見を求めるなよ」が本音だけど、口から出るのは「難しい問題ですね~」で、あとは流れに任せてAかBが生き残る。そこで死ぬのは負けた方と、僕の中で生まれた「C」というボール。自分で生んで、自分で殺す。だから折り合いを取らないと、気持ちを保てなくなる。
でも僕は「C」を殺せないし、生まれるのも止められない。どこかに投げないと抱えきれなくなるのに、投げる場所が見つからない。受け止めようとしてくれる人はいるけど、受け止められる人は身近にはいない。
だから物語が好きなのだと思う。物語の中では、だれかの「C」が息をしている。伸び伸びと走って、跳び上がって、刺さってくる。僕もそこに混ざれたら、どんなに幸せだろう。そう思う。
読ませていただいて
AOIROさんのエッセイを読ませていただいての感想です。
僕が悩んでいることを代わりに考えてくれて、まとめてくれて、話してもらったように感じています。誰かに叱られてあたふたして上手く意見を言えない時に、間に立ってやり取りをしてもらったような、そんな気分になりました。やっぱ「姉さん」じゃなくて「姐さん」や。
良いところを見つけてもらって、教えてもらって、それだけじゃなくて、僕の人生を想像してもらえたことが嬉しい。考えるきっかけを持ってもらえたのも嬉しい。自分自身のことを書いた文章を読んで、自分自身に興味を持ってもらえるというのは、書き手として最高の幸せじゃないでしょうか。
実は、お返しエッセイの通知が来たとき、ちょうどメンヘラおばさんのメンヘラボンバーを正面から喰らった直後でして、僕にまでメンヘラが伝染して気持ちが弱っておりました。「捨てる神あれば拾う神あり」といいますか、とにかく救われました。
「今も自分の中の折り合いみたいなものと向き合い続けているのだろうか」という文章をみて目頭が熱くなりました。だってめっちゃ向き合ってるんだもの。向き合う必要も無いと思う。でも考えてしまう。女々しくて辛いよ(古いよ)
こういうのって単純に「分かる分かる」ウンウン みたいに相槌を打ってもらうだけで救われるのですけども、ここまで考えてくださるなんて、成仏です。我が人生に一片の悔い無し。でもまだ死にません。
目の前の等価交換が好き、というのは気づかなかったです。また目から鱗です。何枚あるんだっていう。
「そういう考え方もあるんだ」と思いました。たしかに巡り巡る等価交換は存在していて、「大事にしなきゃ」とか「これからも仲良くしたいから」とか考えることはあるのだけれど、僕はせっかちで忘れっぽいので、やられたらやり返す倍返しだの方が安心するのかな~、とか考えてみたり。
等価交換という話で思い浮かぶのは、やはり『鋼の錬金術師』です。ぜひとも読んでいただきたい。僕の好きな漫画ランキングでベスト5は揺るがない作品です。
この作品で何度も使われる「等価交換」という言葉。実は最後の最後で覆されるんです。ちょうど僕の記事で考えるきっかけが出来た話題に関係しています。読むしかないねえ~?(悪い顔)
ただ納得できるものかは、どうなんだろうという感じです。なんせ我々の結婚観は少し他人と違いますもので。
勝手に一緒にしちゃったし、ほんとに一緒ってわけではないでしょうけれども、共感できるものは多いのかな~って思っております。「違うわ!」と思ったら鼻に絵筆を突っこんでください。毛のある方でお願いいたします。
なんとなくですけど、僕らは「結婚」を概念じゃなくて、自分のものとして考えているような気がします。人生における「誰もが通る道」ではなく、「必要となったらするもの」みたいな。
男だから当たり前なのかもしれませんが、僕はウェディングドレスに対する憧れというものが全く理解出来ません。いや分かるけど、自分がタキシード着て隣に立ってるとか全然興味無い。はやく帰りたい(陰キャ)
でも他人の幸せはめっちゃ分かる。女友達の結婚式とか感動した。でも自分もしたい! とは全くならない。たぶん、意味とか理由とか、実体のあるものを求めているのだと思う。だから理想の結婚を考えてみても、世の中の結婚に形がないからイメージできないのかな、とか考えてみました。
僕もかっこつけて「対等ですぅ~」とか言ってましたが、あれ漫画の言葉パクってますからね。デスゲームものでサイコパス2人が仲良くなった時の台詞なんですけd
そもそも「理想」って自分で思い浮かぶものじゃないのかもしれない。自分で思い描くものじゃなくて、思考の外からやってくる意外な喜びが理想だったりするのかもしれない。「それ理想って意味じゃございません」って言われるのが怖くて辞書が読めない。
もし思い浮かぶなら、もう既にそこに向かって進んでいるんじゃないかと思いました。行動力のある姉御なら特に。
と、勝手に色々考えちゃった上に、我慢できずにフランクに指を動かしちゃいました。生意気ですんませんした!(生意気)
もう感謝してもしきれないくらい、たくさんの価値ある言葉をいただきましたので、本当の本当に僕が思う「理想の結婚」をぶっちゃけたいと思います。取り繕ってない本当の理想です。
最後に
石原さとみに甘やかされながら死にたい。
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