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ドリーミングガール・ダイアリーズ/6月の、甘くて苦い味

◆純喫茶のナポリタンとチャイ

深緑の壁紙にカリモクの家具が映えるその喫茶店に入ると、なんだか秘密基地みたいだな、と一瞬思った。けれど、音楽のヴォリュームは意外と大きい。

懐かしいような、新しいような時間、背のすらりと高い、日本語の流暢な黒人の給仕係が暖かいチャイを運んできてくれた。

シナモンではなく、ガラムマサラのような強い香りに戸惑いながら飲んでみると、どことなくもの悲しいような感じの、ある過去の匂いがよみがえってくる。

留学していた頃、スパイシーな紅茶をよく飲んでいたこと。舌先にビリッとしびれる紅茶を味わいながら、行きたくて行ったくせに、早く日本に帰らなくちゃいけないと思うようになっていたっけ。

それはすべての人間が持っている孤独のせいなのだろうか。どこへ行っても孤独はあるのなら、せめて私はおいしいものを食べて生きて行こうと思う。

鉄板の上で、ジュージュー焦がれているナポリタンをフォークにくるくる巻くと、土曜日の昼下がりのような、甘い甘い香り。”Life is very short, and there is no time…” ビートルズの音楽が流れている。やっぱり、すこし音が大きい。

そういえば同居人のドライヤーはいつも声をかき消す。そのたびに同じことを繰り返して言うことになるけれど、その時間はなぜかムダではない気がしている。

◆ドリーミングガール・ブルー

刷毛に淡いブルーを含ませると、とぷりと水の音が聞こえる。グラスの壁をつたう水滴のような、ひやりとした色をつま先に落としていくと、ちいさな魚たちが長い旅路の準備をしている浅瀬は、そうっとふるえる。耳をすませば、外の世界にうねる波の音が響いてくる。

◆一角獣が食べるもの

ここ二週間あまり、一角獣の出てくる幻想小説を書いている。
一角獣はもちろん、馬だってまともに見たことがないけれど。

でも、できるだけ上手に嘘をつく。図書館やインターネットで調べた沢山のほんとうのことに紛れて、ほんのわずか上等な嘘を。
見たこともないものを、見たように書く。
孤独や悲しみをぜんぶ光に変えたり、つめたい氷を燃やしたり、刃で月をけずってアイスクリームにトッピングしたりする。

一角獣の眼をじっと覗き込むと、まるで一点のきらきら星を見つめている時のような、気が遠くなるほどの永遠の時間を感じる。砂糖水のような透明感にあふれる肌、岩にこすりつけて磨いた角。一角獣はふだん、何を食べているのだろうか。

◆ベーグル屋は素通りできない

1999年から2000年に変わる年の瀬、友人と私は空の上にいた。バックパックを背負い、格安航空チケットで、眠りから眠りを乗り継ぐ。

「私たちの飛行機、ニューヨークへ着く前に墜落するかもしれないよ」

毛布から顔を覗かせて、彼女はいたずらっぽく笑みを浮かべる。「2000年問題」のことでまた私をからかっているのだ。

「やめて、縁起でもないから」

彼女の底抜けの明るさと大胆さの、ほんのわずかでも私に備わっていたらいいのに、と私は思う。けれど、それこそ私がそこにいた理由だ。底抜けの明るさと大胆さの何たるかを、新しく身につけること。

世界中がアラームを鳴らしたにも関わらず、「2000年問題」など何ひとつ起こらなかった。システムはわずかな狂いもなく正しい世界を示し続け、飛行機は私たちを無事ニューヨークに運び終えた。ニューヨークで私は、クリームチーズを塗ったプレーン・ベーグルを気に入って食べ続けた。

ずっと行動を共にした友人とはカナダに入国した後、すぐに別れることとなった。

とても若かった私たちに何が起こったのか、あるいは起こらなかったのか、いまでもよく分からない。コンピュータは誤作動しないけれど、人の心はいつだって気まぐれだ。

東から西へと大陸を横断するグレイハウンド・バスに乗って。『トワイライト・ゾーン』に出てくるような時間も場所もあいまいな荒野で、「カナダに着いたら恋がしたいな」と彼女がささやいたのを覚えている。

彼女はさっさとカナダのユースホステルをチェックアウトし、言葉どおり、先へ走り出した心を追いかけて行った。それ以来会っていないし、この先もたぶん会うことはないだろう。

いま私はさみしさとは無縁の生活を送っているはずなのに、なんとなく硬いものを噛みしめたい時がある。だからベーグル屋の前を素通りできないんだろうか。

私のトングは季節のフルーツをあしらった可愛いベーグルではなく、いつだってシンプルなプレーン・ベーグルを迷いなくつかみ取る。そして、クリームチーズを忘れてはいけない。絶対に。

◆紅茶の余韻

それにしても、あの純喫茶のは、とても濃いチャイだった。

溶けない紅茶の香りの余韻がたゆたう中、私はブルーのゆび先でキーボードをぱちぱちとたたいて、文字の羅列を生み出していく。

恋をする彼女の、動物的な視線。
夕立の気配。
私と彼女の、グレイハウンド・バスのひそひそ声。

目には見えないそんなものが、あたかも存在していたかのように、言葉では書ける。

私たちは絶えず、言葉によって無を有に変えながら、日々を意味のあるものにして生きているのだ。

解けない問題を解くように。そして、夢みるように。



……以上、私の食べた、「6月の甘くて苦い味」。




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