掌編小説 「クリーミーな季節」
雪の中を、ソリのようになめらかに、電車は走って行く。
彼女は苔色のビロードを張った座席にやさしく包まれ、ななめに差し込む光の中でトロンとしている。使い込まれた絵筆が一本鞄からはみ出して、いまにも滑り落ちそうだ。ほのかに絵の具の匂いがする車両には、ほかの乗客は誰もいない。
「終点です———」
電車が止まると、粉砂糖にふっと息をふきかけたように雪が舞い上がり、がらんとした駅のホームが姿を現した。彼女は大急ぎで荷物をまとめ、立ち上がる。
このあたりの葉っぱはうすく発光しながらはらはらと落ちるので、森ぜんたいはポーと青く燃えているように見える。
しゃがみこんでブーツのひもを結び直し、そのペール・ブルーの中へ、彼女は一歩を踏み出す。
(さて、と)
森の奥へ奥へと、風が彼女を誘う。
ゾクリとするようなワクワクするような、その気持ちに名前はあるのだろうか。
彼女は世界中を旅してきたので、いろんな森を知っている。古い森。新しい森。人が住む森。魚たちの森。かつて大きな街だった森……。
奥へ行くほど、木々は優しくなく、森の吸い込む力はいつも強くなる。けれど恐れることは何一つない。あるのはひとつの約束事だけだ。
樹木が覆いかぶさるように迫ってくる。その枝先に、まるくふくらんだ冬芽がついている。
今日はいい色がとれそうだ、と彼女は思う。
◇
とある街の、夜明けのはじまる1分前。
彼は寝床の中でまず彼女のことを考え、彼女の旅の安全を祈る。
(——— いま、どんな空が見えているのかい)
ちいさな声は心の闇の中をまっすぐに通り抜け、上昇していく。朝の窓辺のチューンに乗って、気流をつかまえて、彼女の空をめざして。
ヲランダ通りと呼ばれる一角に小ぢんまりしたレストランがある。彼はそこで今日もお客のためにデザートを作る。
今宵のデザートは、ゆったりと空を流れるわた雲のシュークリームはどうだろう。新鮮な卵たっぷりのカスタードを詰めて。
アーモンドヌガーは、艶やかな葉っぱと木の実が敷きつめられた森の小径。
光る水たまりをとじ込めて、ジャムのクッキーに。
彼女のことを考えない日はないけれど、あの子はちっともメールをよこさない。ただ時おり一通の葉書が、郵便ポストでコトリと音を立てる。
ふしぎな色のインクに浸したペンで書かれた文字は、いつだって読みとれない。
しかたがないさ、と彼は思う。彼女は色でものを見て、色でものを考える。言葉はあの暗黒の森に、みな一直線に落っこちてしまった。
最後に彼はブッシュドノエルを焼く。
それは真っ白なクリームで仕上げる、プロポーズのための特別なケーキだ。なじみのお客からあずかった大切なダイヤの指輪を、息をつめてケーキの切り株に隠す。
◇
樹皮にナイフを突き立て、しゅわしゅわとしたたりおちてくる泡を、彼女はボトルに採取する。
なんて美しい青なんだろう。
この時期のこの森でしか採れない特別な色。絵筆の先に含ませると、ひとりでに紙の上にポトリと落ち、やわらかな水面を震わせるように、すこし滲んだ。
(もうちょっとだけ、奥に行ってみようか)
彼女がそう思った瞬間、キラリと何かが足もとで光る。雪に半分うずもれた切り株のわきに、季節はずれのスミレの花が咲いている。
それを摘もうとして、しかし摘み取りはせず、彼女は何かを思い出し、来た道をもどる決心をする。
ケーキ作りの彼は、今宵のすべてのデザートを作り終え、椅子にすわって、休憩しているところだ。ガタついた古い木のテーブルと椅子のレストラン。そこで交わした彼との約束を、彼女は絶対にわすれない。
———森の奥へはもう二度と立ち入らないこと。
彼女は勇敢すぎたから、かつて夜の森の奥へ入って、とても怖い体験をしたのだ。そこへは泥の中で生きられる魚たちしか行けない。
ボトルの中で水がしゃらしゃらと鳴る。あたりは暗くなりかけている。
青いスープにすべてが浸されたような、夢のように美しい森。ひやりとした色がひろがる空に、やがて駅のあかりが混じり合う。
彼女の心が甘いパンをもとめ、ちょうど、それらを売る人が近づいてくる。その足音を聞くと彼女は、今日も無事に一日を終えることができそうだと、心からやすらかな気持ちになった。
<おわり>
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いつも読んでくださってありがとうございます。今年は、大人のための小さな童話、として、お話を書いていきたいと思っています。このシリーズは、新しいマガジン『花とお菓子』に収めていきます、どうぞお見知り置きを。
創作と日記を混ぜて書いたシリーズ、「#ドリーミングガールダイアリーズ」も、少し似た雰囲気です。あわせてお楽しみいただけると嬉しいです。
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