イタリアン・ソーダとデッド・エンド
何かをずっと待っている。
「この先行き止まり」。窓から見えるちいさな標識が、今日はやけに気になって目が離せない。
――あんなところにあんな標識、あったかな?
感情はからからとストローで掻き混ぜるたびに、上がったり下がったりするイタリアン・ソーダのライムみたい。べたついた指先でかじる瓶の中のクッキーも、これで最後の一枚になった。
クッキーはなくなる。牛乳もなくなる。向こう側から順番に使っていた卵もぴったり10個目になくなってしまう。次から次へとポストに投げ込まれるそばから、ゴミ箱に捨てていくチラシやフライヤー。いっぱいにしては空っぽにして、またいっぱいにするのが生活というものなんだろうか? それとも、それが人生の正体?
「停滞」の一日は要注意だ。なんだかいろんなことが分からなくなる。生活と人生の違いさえ、曖昧になっていく。
ほんとうに行ったことはないけれど、いつでも行ける場所がある。
たとえば、誰かの思い出の品や、思いがけない意味がこっそりたどり着くような海。
グーグルマップには表示されないどこかの海岸。
満員電車の窓からビルのすき間に、一瞬キラリと光って見えた気がする白い砂浜。
サーと鳴る波打ちぎわに立つと、自分が前にも後ろにも進んでいるような、ふしぎな感覚に襲われる。
どこからか見えない手が伸びてきて、がっしり肩をつかんでいたかと思うと、ちぐはぐなタイミングで「さあ今だ」と背中を押す。
――ちょっと、そんなに乱暴に押さないでよ。
――いつまでも行かないから、押したまでさ。
たしかに私は、何かをずっと待っている。読み取れない消印で手紙をくれるどこかの誰かを。何かこの世の素敵なものを見てきたという人たちが、手を引いてくれるのを。じゃれつくような波にひやかされ、足裏で砂がさらさらと崩れてゆくのを感じながら。
まぶしい陽射し。炭酸の抜けたぬるいソーダ。ライム色の酸っぱさが、口の中に残る。
――翻弄され続けるのがいやなら、待つのを止めて走り出すしかない。
――あ、誰かの失くしもの。
と、足もとを滑るように流れて来たものを見ると、見覚えのある「この先行き止まり」のボードだ。しばらく浮かんでいたかと思うと、たったいま方角を変えた風向きの方へ流れていってしまった……
窓の外をもういちどよく見てみなくちゃ。
ほんとうにそこはデッドエンドだろうか?
そうして私は、ひとりで深くうなずいて駆け出す。
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