ひとつの恋の、短い約束たち/"Delete", goodbye midnight highway
まだまだ続きそうな誰かの送迎会を、二人でするりと抜け出した。生ぬるいゼリーの中をゆくような夏の宵、行くあてもなく、金曜の人混みを縫うように進んだ。手をつなぐと一瞬火花が走り、それからじっとりと指先が濡れていく。
派遣社員の契約が終われば私の送迎会は来月だ。でもそんなことはどうでも良かった。水槽から放たれた魚のように、私たちはいま自由だった。Aと私は、歓楽街の真ん中をしずかに歩いた。今月で去る女の子へ渡しそびれたプレゼントが、バッグの中で少し重たい。
「就職決まったの?」
背の高いAが私の顔を覗き込んだ。
「いや、いくつか面接は受けているけど……」
私は曖昧に答えた。留学先から帰国したばかりの私は、同級生のみんなに周回遅れで社会をさまよっていた。
「そっか。でもいいんじゃない、ゆっくりで」
Aはどことなくうわの空で答えた。それはとても優しい言葉のように感じられた。私はその刹那を何のためらいもなく切り取って、心の中の大切なフォルダに保存した。
初めてのメールも、二人きりのデートも、朝帰りのバニラシェイクも、甘やかな思い出になるような名前をつけて保存した。――真夜中のハイウェイのレシートをクシャクシャにした彼がつぶやいた、「証拠隠滅」という不誠実な言葉さえも。
その頃の私にとって大切だったのは、見たいものを見、信じたいものを信じるということだった。だから、「証拠隠滅」という彼の言葉を私は、その時信じたかった感情にすり替えることができた。すこしの痛みと引き換えに。
とめどなく降り注いでいた蝉の声が淡く遠のいていく夏の終わり、長い長いハイウェイに終わりが見えたような気がした。
猛スピードの車の窓を開けると、髪が気の短い猫のようにあばれて、窓をしめると、その突風はあとかたもなく消えた。
まるで私たちが交わしてきた、短いいくつもの約束のようだと気づくと、突然何かを理解して、目が潤んだ。今夜、週末、来週と、私たちは何度も短い約束を果たしてきたけれど、だからこそその刹那たちはもう戻ってこない。一生をかけて果たすような長い約束のない関係は、おそらくもうそろそろ終わりだった。
「これ、僕らの思い出」
彼は私に、写真のデータが入ったUSBをくれた。
「ありがと、大切にする」
私はUSBをパソコンに差しフォルダを開く。写真データがたくさん入っていた。Aが撮った、私の写真。その視点で自分を見るのははじめてだった。二人きりで行ったいろいろな場所で、笑ったり口をとがらせたりしている私。光のあふれる波打ちぎわで、モノクロームのカフェで、火薬の匂いをはらんだ風のゆする、煙の中で。
感情の器に入りきらないくらいの、刹那、刹那、刹那の連続。それらはいっしゅんの美を見せつけて、打ち上げ花火のように消えていった。私はAを前みたいに抱きしめたり、そのすこし湿った肌に、キスしたりしたいような気持ちになった。でも、そうはできなくて、乾いた指先で、クリックを続けた。
ひとつの恋を通して、甘やかさや優しさだと信じたかったものをひととおり見終えると、私は「デリート」を選択して「実行」した。
季節と季節の間のトンネルを通り抜ける。ひそやかに心の中に仕舞った記憶もいつしかジュッと蒸発してしまう。そこに宿った最後の悲しみさえ、時間がかき消していく。この先に現れる鮮やかな景色に私は、きっと新しい約束を誓うんだろう。
ありがとう、さよなら、短い約束たち。
次こそはきっと誰かと、いつ果たせるかわからないほどの長い約束を交わし、泡のように消えていく刹那を愛の証拠として、永遠の中に刻み付けていくよ。
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She isさんの特集「#刹那」の公募のために書いたコラムです。読んでくださってありがとうございます。
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